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どうとくのひろば

道徳教育資料
年2回発行。学校現場からの提言、実践例などを内容満載の教育誌です。誌名を「みちしば」から変更しました。

2012.01.31

どうとくのひろば No.08

発達の段階を考慮した道徳の指導

畿央大学 教授 島恒生


hiroba-8_hyou1はじめに

 新学習指導要領では、「第1章総則の第1の2」の道徳教育に関する記述に、「発達の段階を考慮して」という文言が新たに加えられ、学校や学年の段階に応じ、発達的な課題に即した適切な指導を進める必要性が示された。
 「発達の段階を考慮した指導」とは、どのようなものだろうか。道徳の副読本には、発達の段階を考慮した教材が、学年ごとに配列されている。指導に当たっては、児童生徒の実態やその学年の段階の特徴、指導のポイントなどを踏まえながら、ねらいや教材を分析したり、発問や手立てを考えたりすることで、発達の段階を考慮した指導が実現する。
 そこで、このことを、『生きる力』の教材を通して考えていきたい。取り上げる道徳の内容は、「2-(2)親切・思いやり」である。
 なお、本論で述べる展開や発問は、あくまでも一例である。同じ教材を使っても、道徳の時間には、様々な進め方がある。そして何より、子どもたちや学校等の実態に即した展開や工夫が大切であることは最初に押さえておきたい。

1 低学年の2-(2)の指導

 学習指導要領によれば、低学年の2-(2)の内容は、次のとおりである。

幼い人や高齢者など身近にいる人に温かい心で接し、親切にする。

 まず、対象が、「幼い人や高齢者など」となっているのは、低学年の発達の段階を考慮したものと考えることができる。親切の対象が、あらかじめ「幼い人や高齢者など」と「指定」されているのである。なぜだろうか。
 このことは、「思いやり」という文言が、低学年の道徳の内容にはまだ登場していないこととも関連していると考えられる。思いやりは、相手の気持ちを想像し共感する中で、自分ならこうしてほしいだろうなと思うことを相手に届けることである。「思い」「遣(や)る」のである。低学年では、まだ自己中心性が残り、相手の気持ちを十分想像する段階にまでは至っていないことから、「思いやり」が道徳の内容に登場するのは、中学年以降となっているのである。
 一方、「幼い人や高齢者など」が親切の対象であることは、低学年の子どもたちもわかっている。普段から、まわりの人たちに「小さい子やおじいちゃん、おばあちゃんには、親切にするんだよ」などと言われ続けているからである。つまり、低学年には、親切を必要とすることがわかっている「幼い人や高齢者など」が対象として取り上げられているのである。
 これに対して、中学年では対象が「相手」となり、高学年では「だれに対しても」となる。相手の気持ちを想像し、相手は困っているのか、親切を必要としているのか、どのような親切を必要としているのかを考える必要がある対象へと発展するのである。
 では、そんな低学年に、「親切っていいな」「もっと優しくしたいな」といった思いを高めるには、どうすればよいだろうか。それが、低学年の道徳の内容にある「温かい心」である。
 小学校どうとく『いきる ちから1年』の「さんぽだね」を見てみよう。
 主人公の「やすのり」は、おばあちゃんから、一緒にぬくもりえんまで行ってほしいと頼まれる。「やすのり」は、どんなことを考えたのだろうか。「おばあちゃんには優しくするんだよ。」と言う親や先生の顔が浮かんだかも知れない。頼みを聞けばよいことがあるのではと考えたかも知れない。他律の段階にある低学年の子どもたちは、親や先生の言うことが正しいと考えがちである。また、物質的な損得で、判断を行いがちである。よって、おばあちゃんの気持ちを想像したり共感したりと深く考えるというより、どうしようかなと少し迷っただけであろう。実際、本文にも「ちょっとまよった」とある。したがって、ここを中心発問にはしにくい。
 では、どこを中心発問として時間をたっぷりとって考え合いたいか。それは、最後の部分である。おばあちゃんやぬくもりえんのお年寄りの人たちがにこにこするのを見て、「やすのり」はいい気持ちになるのである。ここを問いたい。
 「どうして、『やすのり』は、いい気持ちになったのだろう。」と問うのもよい。ただし、この場合、「おばあちゃんたちが喜んだから」と、状況を答える発問になる可能性がある。「どうして」という問いには、状況を答える「どうして」と、考えや気持ちを答える「どうして」があることは、道徳の時間を進めていく上で大切にしたいポイントである。当然、前者の「どうして」は、状況や場面の確認の問いであり、いわば、教材の読み取りのための問いである。一方、後者の「どうして」は、考えや思いを問う、まさに道徳の時間の問いである。
 さらに、文中の「いい気持ち」に着目して、「いい気持ちって、どんな気持ち?」と問うかも知れない。しかし、いきなりこれでは、子どもたちは戸惑うだろう。答えにくい問いである。
 ここでは、「おばあちゃんたちが喜ぶのを見て、『やすのり』はどんな気持ちだっただろう。」と問い、「やすのり」のもった温かい気持ちに共感させたい。子どもたちからは、「いい気持ち」という発言もあるだろう。その場合は、「いい気持ちって、どんな気持ちかな。」と、補助発問でさらなる思考へと導きたい。「あったかい気持ち」「ふわっとした気持ち」「最高の気持ち」などと、共感的な発言が出てきたら、まさに、ねらいとするところである。
 こうして、親や先生に言われるからとか、親切の見返りという物質的な損得で、親切のよさをとらえている低学年の子どもたちが、「親切って、相手も自分もとてもいい気持ちになるんだ。いいなあ。」といった気付きへと、道徳的価値の自覚が深められるのである。
 なお、このように低学年では、道徳的な行為に至る過程よりも、行為の結果に注目して指導することも、発達の段階を考慮したものとなる。もちろん、これを固定的に考えてはならないが、自己中心性の残る低学年の子どもたちが結果に注目しがちであることは、ピアジェの道徳的判断に関する過失の実験からも言えることだろう。ピアジェは、7歳ごろから、結果を優先する考えが減り始め、9、10歳ごろからは動機を優先する考えが優勢となると述べている。
 このことは、2-(2)だけでなく、他の道徳の内容についても言える。例えば、「1-(2)自分がやらなければならない勉強や仕事は、しっかりと行う。」という道徳の内容で考えてみよう。低学年が「自分がやらなければならないこと」に対して、中学年では「自分でやろうと決めたこと」へと発展する。低学年で取り上げるのは、やらなければならないことである。そして、苦しくてもがんばった後には、ほめてもらったり、してよかったという喜びが得られたりすることなど、動機や過程よりも結果に注目させて指導を進めることが効果的である。
 これに対して、中学年では、自分でやろうと決めたのであって、それは自分の願いや夢に基づいて始めたことであることや、あきらめてしまうと所期の目的は得られないこと、まわりからの応援を励みに自分ががんばることで目標が実現することなど、結果だけでなく動機や過程に注目した指導を大切にしたい。
 さらに、高学年では、「より高い目標を立て、希望と勇気をもってくじけないで努力する。」と、ますます動機や過程に注目することになる。目標の実現には、高い目標を立てることや、小さな目標を一つずつステップアップしていくことが大切であるということを、子どもたちと考え合っていくのである。

2 中学年の2-(2)の指導

 続いて、中学年の内容は次のとおりである。

相手のことを思いやり、進んで親切にする。

 『小学校学習指導要領解説 道徳編』にもあるように、「この段階においては、相手の気持ちをより深く理解できるようになるため、温かい心とともに、相手に対する思いやりの心を育てることが一層重要になる。相手の現在の状況、困っていること、大変な思いをしていることなどを想像することで相手のことを考え、親切な行為を自ら進んで行うことができるように指導していくことが大切である。」
 小学校どうとく『生きる力4年』の「おじいさんの顔」を見よう。
 主人公の「ぼく」は、席を譲ったことで、おじいさんから感謝される。「おじいさんから、『ありがとうね』と言われた『ぼく』は、どんな気持ちだったか。」と、問いたくなる。ただし、この問いを中心発問にすれば、それは低学年の展開である。この問いは、中心発問に続く基本発問とすると効果的であろう。
 では、どこが中心発問か。主人公の「ぼく」が、相手、すなわちおじいさんの気持ちを最大限に考えているところである。「次の駅でもすわれなかったおじいさんを見て、『ぼく』は、どんなことを考えただろう。」などを中心発問とし、たっぷり時間をとって子どもたちと考え合いたい。まさに、過程に注目した問いである。

3 高学年の2-(2)の指導

 低学年や中学年の学習をもとに、高学年の内容は、さらに発展する。

だれに対しても思いやりの心をもち、相手の立場に立って親切にする。

 「だれに対しても」ということは、相手に応じてということである。
 『小学校学習指導要領解説 道徳編』には、「この段階においては、特に相手の立場に立つことを強調する必要がある。どのように接し、対処することが相手のためになるのかをよく考えた言動が求められる」とある。
 小学校道徳『生きる力5年』の「車いすの少女」を見よう。
 主人公の「わたし」は、道のくぼみに車いすの車輪をとられて困っている道子さんを見かけ、思わず駆け寄る。そこに、道子さんのお母さんから、「手伝わないで」と声がかかる。手伝おうと思っていたのを止められた「わたし」は、不満そうにしながらも、道子さんを見守る。やがて、道子さんは、くぼみを乗り越える。よかったと目を向けたお母さんの目には涙が。「わたし」は、はっとするのだった。
 道子さんの気持ちを考え、思わず駆け寄る「わたし」は、中学年でねらいとするところである。ところが、高学年では、相手の気持ちだけでなく、相手の立場に立ち、どのように接し、対処することが相手のためになるのかをよく考えた言動が求められる。
 そのことを踏まえながら、「わたし」の道徳的な変容の瞬間を考え合いたい。それはすなわち、「わたし」が、はっとした場面である。
 「はっとした『わたし』は、お母さんのどんな気持ちに気付いたのだろう。」と問うこともできる。確かに、「わたし」は、お母さんの気持ちに気付いた。ただし、「わたし」は、お母さんの気持ちに気付き、そして、自分のとった親切の行動に対して、それでは違っていたのだと気付いて、はっとしたのである。
 「お母さんのすがたを見て、はっとした『わたし』は、どんなことに気付いたのだろう。」と、お母さんの気持ちや自分のとった行動、道子さんにとってもっともよい親切などについて、より広い視点で考え合える問いを発したいものである。

4 中学校の2-(2)の指導

 最後に、中学校の2-(2)の内容である。

温かい人間愛の精神を深め、他の人々に対し思いやりの心をもつ。

 中学校では、人間の心の弱さと気高さを踏まえながら、「人間愛の精神」にかかわって考え合うことになる。私たちは、相手のことをかけがえのない存在として純粋に思いやろうとする真心をもっている。また、その真心に感動する温かい心ももっている。そして同時に、「してあげた」「私がした」とつい自分を主張したり、してもらうことが当たり前と考えたりする弱さをもっているのも、私たち人間である。
 だからこそ、損得や駆け引きのない、さりげない親切や思いやりに、私たちは心から感動し、自分もそんな心をもちたいと願うのである。
 小学校で培ってきた、親切の温かさや、相手の気持ちや立場を考えて思いやることの大切さを踏まえ、真の思いやりは、見返りを期待するのではなく、相手のことをかけがえのない存在として心から尊重し、さりげなくなされる人間愛に基づいた心遣いであることを考え合いたい。
 中学道徳『生きる力3年』の「夜のくだもの屋」を見よう。
 合唱コンクールの練習で夜道を心細く帰宅する少女にとって、くだもの屋の明かりは、心に響く温かさだった。それを素直に感謝できる少女の心の温かさを、まずはみんなで感じたい。ただし、ここでは少女は、まだ、店の人の思いやりには気付いていない。
 中心発問は、少女の心の変容場面であろう。「明かりが店の人の心遣いであったことを知り、声も出ないほど驚いた少女は、どんなことを思ったのだろう。」と問い、さらなる温かさやさりげない親切の素晴らしさを共感し合いたい。
 ある授業で、一人の子どもが、「少女は、情けないと思ったのではないか。」と答えた。「これほどまでに自分のことを考えてくれていたことに自分が気付けなかった。」「その温かさに比べ、自分の感謝があまりに足りないのでは……。」と。さりげなく当たり前のようになされる真の思いやりの心と、それに気付き感謝できる心の素晴らしさを自覚し、思いやりの心と態度をはぐくんでいきたい。

おわりに

 発達の段階を考慮することについて述べてきた。やはり、学習指導要領や解説を「全学年を通して」しっかりと読み、ねらいや教材を分析することが大切である。その際、授業のねらいやポイントを子どもの言葉で具体的に考えることも心がけたい。このとき、各学年の『心のノート』がとても有用である。
 また、今回は、道徳の時間を中心に述べたが、それぞれの発達の段階に応じた豊かな体験を、教育活動全体で進めることも大切である。この活動の中で、どんな心を育てるのかという視点である。
 以上のことを、最後に確認しておきたい。


【参考文献】
ピアジェ 大伴茂(訳) 『児童道徳判断の発達』 同文書院 1977 ほか、学習指導要領等