学び!とシネマ

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パプーシャの黒い瞳
2015.04.03
学び!とシネマ <Vol.109>
パプーシャの黒い瞳
二井 康雄(ふたい・やすお)

(c)ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013

 世界中のいろんな人にはそれぞれの生き方がある。どのような生き方を選ぼうとも自由であり、ほかの人たちからとやかく言われる筋合いはない。国境を越えて旅するジプシーの人たちしかり。砂漠の遊牧民の人たちしかり。内陸辺境に住む少数民族の人たちしかり。
 ポーランドの映画で「パプーシャの黒い瞳」(ムヴィオラ配給)を見た。幌馬車を連ねて、ジプシーたちが移動する。夜、火を焚いて野営する。楽器を奏で、踊る。これが、モノクロームの映像で、うっとりするほどの美しさ。映画は、1910年に生まれ、1987年に死んだジプシーの女性詩人、パプーシャ(人形を意味する)こと、ブロニスワヴァ・ヴァイスの人生を振り返る。

(c)ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013

 ジプシーは書く言葉を持たない。パプーシャは小さい頃から文字に興味を持ち、詩を書く。父の弟で、年の離れた叔父と結婚することになるが、ジプシー集落に身を潜めた詩人イェジ・フィツォフスキの影響で、パプーシャの才能は開花する。結果、パプーシャは詩を書き、フィツォフスキはジプシーの内情を本にする。
 ジプシー社会は、内部の実情を外部に漏らさないという不文律がある。パプーシャはジプシーたちから追放される。映画はパプーシャの生まれた1910年から始まり、1971年、1949年、1921年、1925年、1952年、1939年、1971年と、時制を変えながらパプーシャの人生を綴っていく。パプーシャの生まれ育った時代は、20世紀初めからのポーランドの歴史と重なる。第一次世界大戦後の1918年、ポーランドは国家として復活する。1926年、クーデターによるピウスツキ独裁政権ができる。1939年、ドイツ軍がポーランドに侵攻する。ヒトラーは、ユダヤ人だけでなく、ジプシーをも根絶しようとする。

(c)ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013

 雪の中、ジプシーたちの幌馬車は行く。受難は続く。1949年8月、ポーランド内務省はジプシーの定住化政策を開始する。幌馬車での旅ができなくなる。子供は学校に行かねばならない。誰もが定職に就かねばならない…。パプーシャたちジプシーは、このような過酷な時代を生き続ける。まして、パプーシャは、所属している社会から追われることになる。そんな中でもパプーシャは詩を書き続け、フィツォフスキに送る。パプーシャの書いた詩は現存し、各国語に訳されている。映画の中にも挿入され、すてきな詩たちである。

「いつだって飢えて いつだって貧しく 旅する道は 悲しみに満ちている とがった石ころが はだしの足を刺す 弾が飛び交い 耳元を銃声がかすめる すべてのジプシーよ 私のもとへおいで…」

 世界には、国家や国境と関係なく移動しながら生きる人たちがいる。また、世界のあちこちに散在する少数民族は、国家の政策で移住せざるを得ない状況に追いやられることもある。住む場所を追われた難民も多い。まことに国家は勝手なものと思う。
 映画「パプーシャの黒い瞳」は、単なる女性詩人の一代記ではない。あまりくわしく知られていないジプシー一族の内情、個人の受難を描いているとはいえ、政治的な意図を込めているわけではない。受難と孤独の中、パプーシャは「言葉」を紡ぎ続け、「詩」を創造する。「いくつもの時をその瞳は見つめた 森よ 今あなたはどこにいるの」と。永遠の問いだとは思うが、人間にとって自由とはなにか、そして、幸せとはなにかを、静かに問いかけてくる。
 監督は、クシシュトフ・クラウゼとヨアンナ・コス=クラウゼ。言語障がいを抱え、文字の読み書きができなかったポーランドの天才画家ニキフォルの晩年を題材に「ニキフォル 知られざる天才画家の肖像」を撮ったコンビである。クシシュトフ・クラウゼは2014年12月に亡くなった。本作が遺作となる。

2015年4月4日(土)より岩波ホールico_linkほか全国順次公開!

『パプーシャの黒い瞳』公式Webサイトico_link

監督・脚本:ヨアンナ・コス=クラウゼ、クシシュトフ・クラウゼ
撮影:クシシュトフ・プタク、ヴォイチェフ・スタロン
音楽:ヤン・カンティ・パヴルシキェヴィチ
出演:ヨヴィタ・ブドニク、ズビグニェフ・ヴァレリシ、アントニ・パヴリツキ
配給:ムヴィオラ
原題:PAPUSZA
ポーランド映画/2013年/ロマニ語&ポーランド語/モノクロ/1:1.85/5.1ch/131分/DCP
字幕翻訳:松岡葉子
字幕協力:水谷驍、武井摩利

2013カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭スペシャル・メンション
2013バリャドリッド国際映画祭監督賞・男優賞・青年審査員賞
2013グディニャ国際映画祭メイキャップ賞
2013テサロニキ国際映画祭観客賞(オープン・ホライズン・セクション)
2014イスタンブール国際映画祭審査員特別賞
2014ポーランド映画賞 楽曲賞・撮影賞・美術賞