●わたしの提言 中学校
道徳のススメ−自然体を基本とした道徳の授業−
石川県 小松市立国府中学校 宮森陸夫
はじめに
私は,数学の教員である。中学校で教鞭をとり7年。まだまだ未熟者である。道徳については,専門的な知識も先進的取り組みにも疎いほうだが,ひとついえることは道徳が好きだ,ということである。その理由は,何といっても答えがないこと,そして普段の姿からは想像もつかない生徒の意見に驚いたり,笑ったり,時には感心し意外なる内面を覗くことができたり……,そう,道徳には数学や教科にはないおもしろさがあると考える。
道徳は自然に
〜ちょっとした工夫〜しかしながら道徳の存在はまだまだ小さいように感じる。特に今年から本格実施の総合的学習の時間に追い回される毎日で資料の分析や授業の準備もままならず,雑誌等でも評価やら情報やら新教育課程やらでどこか道徳の文字は少ないように感じられるのは不勉強の私だけか……。そこで道徳の授業に尻込みなさっている方へ「道徳は自然がいちばん!」
しかし自然の意味は,いい加減にとか行き当たりばったりとかいうことではない。道徳の授業の答えは一通りでない。展開も一通りではない。目の前の生徒の実態に合わせ,発問も教材も用意すればよく,同じ資料であっても,また主題が同じであっても,導入も展開も結末も変えることができる。この自由度の高さが道徳の授業の魅力であり,自分なりの授業を,これが自然の意味するところである。
まず,私は「導入」を重んじる。「監督のくれたメダル」(社会的責任と役割)では,はじめに高校野球の「栄冠は君に輝く」を流しながら登場人物を紹介する。これで雰囲気も変わってくる。
生命の尊重を主題とした「二人の子どもたちへ(改作)」では,まず「自分の命があと○○日だったら」の発問。日ごろおとなしい弱者的な子が「北海道の牧場に行きたい」の答えに和み,優等生的な子が「銀行強盗をしてみたい」で盛り上がる。いろんな意見から「生きる尊さ」もにじみ出てくる。この資料は,余命幾ばくもない父親が子どもにあてた手紙で,読むだけでジーンとくるものである。ここでは,最初の盛り上がりがなお授業にメリハリを持たせることになるのである。
また展開の中でも,ちょっとした細工で生徒の心を引きつけることができると思う。自動販売機を叩いて壊し,ジュースをタダ飲みしようとする「2丁目の自動販売機」では,棒で黒板の絵を叩くだけで臨場感がわく。「紙やすり」(友情と信頼)では,ラストにKiroro の「Best friend」を流す。こういうちょっとした演出で教室の雰囲気が和み,自分を見つめ直すことになると思う。
昨年は自称「命のシリーズ」と名づけ,4回続けて「生命」に関する資料を取り上げた。一口に生命といっても「誕生」「死」「病気との闘い」,先述した「余命」など,いろいろな角度がある。虐待,いじめなど社会問題が噴出している昨今,自他ともの命を大切にする心をはぐくむことは不可欠と考えた。
そして最後は福井県丸岡町の一筆啓上「いのち」の手紙を全員で書いた。そのいくつかを紹介すると……。
「『泣いてくれる人がいる間は死んじゃダメ』といった母。お母さんは一生死ねないよ。」
「遊びで虫を殺した。悪いとは思わなかった。でも,心が重くて暗いのは,何でだろう。」
「命と生命。読み方は同じだけど,生命のほうがみんな生きてるって感じでいいな。」結局,全員の分を冊子にまとめ配布した。貴重な共有財産となった。
やはり,道徳の授業でいちばん大切なことはねらい,すなわち主題(=中心価値)である。目標がなければただのおしゃべりで終わってしまうが,やはりその時間を通じてその価値に迫って考えることこそが道徳の授業だと思う。したがって,中心発問をどこにするか,どう問うかは非常に大切な準備である。
授業の一手法
―モラルジレンマ―さて,道徳の授業のねらいは,道徳性の発達を促すことにある。しかし道徳的価値観は,人によっても違うし,年齢,それに歩んできた人生によっても違う。「自分はこう思っていたけれど,こんな考え方もあるんだな。でも,やっぱりぼくはこう思う。」という価値観を見つけることが道徳の授業であると思う。そんな中,その経験を葛藤場面により刺激し,解決していこうとする中で道徳性を高めようという「モラルジレンマ」も有効な一手法である。
道徳性発達認知理論を唱えたコールバーグによれば,道徳性の向上を促す要因として「道徳的な葛藤の経験」をあげている。道徳的葛藤に直面させ,それが自分の考えでは処理できないことがわかると,自分の考えを絶えず吟味し,また,より発達性が上の考えに接することで,自分自身の道徳性の発達につながるという。私もたまに実践するのだが,生徒も真剣に考え,自分の判断理由を必死になって探すのである。これはなかなか活発な授業になる。(たまにの理由は,資料がなかなか見つからないからである。これも不勉強の至りであることはいうまでもない。)
1年生を受け持ったときに必ず使う資料に「お楽しみ会」(北大路書房)がある。実は小学校高学年の資料だが,一部改作し使っている。2時間扱いで,1時間目に第1次判断,2時間目に討論と第2次判断を行う。中心価値は「友情と信頼」だが,身のまわりによくある題材であり,生徒たちも真剣に論議する。
もちろん,議論によって何かを決めたり,優劣をつけたりするわけでなく,討論を通じて考えたり,他者の意見を聞いたりすることによって,より多角的な道徳性を身につけることができる。したがって,論点がずれないよう出された意見を焦点化したり,出た意見に対し発問を切り返したりするなどの工夫が必要である。
最後に
今年の教育現場はほんとうに忙しい。一息つく間もないくらいである。まさに道徳どころではなかったかもしれないが,逆に一息つく時間として道徳をもっと楽に考え,肩ひじを張らずに取り組むといかがだろうか。たとえそれが失敗に終わったとしても,資料を読んであげるだけでも何か伝わるはずである。自由な発想で豊かな道徳の授業を築きあげていきたいものである。
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