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	<title>日本文教出版Webサイト｜小学校・中学校・高校の教科書出版、教育図書発行</title>
	<link>http://www.nichibun-g.co.jp</link>
	<description>未来をになう子どもたちへ　日本文教出版は小・中・高校の教科書出版や教材・ソフトウエア開発の会社です</description>
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		<title>まなびと：「学び！と歴史」Vol.53 “荻生徂来にみる、指導者が問われること” 追加</title>
		<description>Webマガジンまなびと：「学び！と歴史」Vol.53 “荻生徂来にみる、指導者が問われること” を追加しました。 </description>
		<link>http://www.nichibun-g.co.jp/news/%e3%81%be%e3%81%aa%e3%81%b3%e3%81%a8%ef%bc%9a%e3%80%8c%e5%ad%a6%e3%81%b3%ef%bc%81%e3%81%a8%e6%ad%b4%e5%8f%b2%e3%80%8dvol53-%e2%80%9c%e6%8c%87%e5%b0%8e%e8%80%85%e3%81%8c%e5%95%8f%e3%82%8f%e3%82%8c</link>
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		<title>荻生徂来にみる、指導者が問われること</title>
		<description>




[caption id="attachment_8854" align="alignright" width="272" caption="荻生徂徠『先哲像伝　近世畸人傳　百家琦行傳』（有朋堂書店）より"][/caption]





荻生徂徠のこと


　江戸時代の儒者荻生徂徠は、５代将軍綱吉の側用人柳沢吉保に仕え、吉良邸に討ち入りをした赤穂浪士を「名分論」でなく秩序紊乱者として処分することに道をつけました。朱子学を信奉していた綱吉の死後は、柳沢吉保が隠居したこともあり、柳沢邸を出て、江戸茅場町に私宅を構え、「茅」の同義語である「蘐」により「蘐園」と称し、宋学の呪縛を脱却し、古文辞学をたちあげます。徂徠は、当時の儒者のなかでもっともよく中国の口語に通じており、儒学を原典から読み解くことができました。そのため８代将軍吉宗は、享保６年９月頃、島津吉貴（よしたか）から献上された『六諭衍義』に訓点を付けることを徂徠に命じました。
　この『六諭衍義』は、明の太祖洪武帝が民衆教化のために頒布した「孝順父母（父母に孝順にせよ）」「尊敬長上（長上を尊敬せよ）」「和睦郷里（郷里に和睦せよ）」「教訓子孫（子孫を教訓せよ）」「各安生理（各々生理に安んぜよ）」「母作非為（母に非為をなすなかれ）」という六つ徳目に、范鋐（はんこう）が平易な口語で註解をしたものです。徂徠は、この訓点をなすことで吉宗の下で政務の機密事項にかかわる「隠密御用」を仰付けられ、政務の具申をなし、『政談』を献上しております。『政談』は、後に「享保の改革」と称されることとなる吉宗の治世に期待し、政治が法と制度で運営されるべきであるとの思いを述べたもので、現在においても聞くべき政治哲学が認められています。かつ徳川の治世をささえた政治の眼が読みとれます。


執政たる者とは


　昨今の日本は、「失われた20年」云々と、政治の混迷が語られ、国家指導者に人を得ていません。そこで徂徠の言に耳を傾け、指導者たる者には何が問われるかを考えてみませんか。この営みは、一過性のマスコミを舞台に、愚にもつかない「タレント」と称する輩が発するその場その場の世間受けする言動に踊らされることなく、明日を己の眼で見極めるためにも、現在まさに求められていることです。徂徠は指導者たるべき者には何が問われるかを「重き役人の挙用のこと」として述べております。


　執政の臣は言語・容貌を謹み、下へ向き慮外をいわず、無礼なる事のなきを第一とすべし。聖賢の深き戒也。疎そかに心得るべからず。俗了簡には、才智さえあらば、言語・容貌は構わでも苦しかるまじきと思えども、さにはあらず。執政の臣は外の役儀とは替り、古の大臣の職也。「赫々たる師尹（しいん）、民ともに爾（なんじ）をみる」といえる『詩経』の文を、『大学』にも引きたるにて、聖賢の道には甚だ重き事にいえり。執政の臣は重き職分なれば、その人の詞・行作をば、下よりは万人常に心を付けて見る事なる故、一言一事をも世上にて評判し、遠国までも伝え聞きて、天下に隠れなし。されば御役を重んじて、上の御為を大切に思入れたらんは、言語・容貌に心をつけ、慎まずして叶わざる事也。
　元禄の比までいずれもこの嗜（たしなみ）ありて、言語・容貌も見事なりしに、正徳の比よりこの風衰えて、今は重々しき身持の人なしと承る。その事の起り、不学なる人の了簡はまわり遠なる事を嫌い、近道に御用を弁ぜんとし、殊に才智のある人は、その才智を働かさんとするより、容貌・言語の慎み崩るる事也。されども執政の職は己の才智を働かさず、下の才智を取用いて、下をそだて、御用に立つ者の多く出るようにする事、職分の第一なり。己が才智を働かす事は有司の職にて、執政などの職分には非ず。何ほど才智を働かせたりとも、下の才智を用いざる時は、己が才智ばかりにてたる事に非ず。然るを手前の才智を働く事、執政の臣の上にはかえっ職分の筋に違いて、畢竟不忠になる事を知らぬは、不学の過（あやまち）なり。
　言語・容貌を嗜む事は、我が身を重々しく持ちなして、外をつくろうように不学の人は思えども、これまたさにはあらず。職分重ければ身持も重々しき事第一当然の宜しき也。さようの人をば重んじ敬う事、これまた自然の道理なり。人の重んじて敬う人を上にすえて下知さする時は、下よくこれに従う。これまた自然の道理也。これにより役儀重ければ言語・容貌を嗜む事、古よりかくある事にて、全く外をつくろう筋にはあらず。言語・容貌粗末にて、下へ向きて無礼をする人は、下の才智をそだてぬ心入れなる上に、さようの人には下の心心服せざる故に、必ず政務の滞りとなり、上の思召しの筋も下へ行き渡らぬ事也。
現在、「節南山」が問いかけること


　『詩経』の引用は、無道の臣を重用する幽王を風刺した「節南山」によるもので、「厳粛であるべき大師（天子の師）の位に尹氏が在る、天下万民がそのありかたをみている」と。「詩」は、「その姿をみれば、人々の心は憂いで灼かれ、戯れの言葉すら発する気持ちになれない、国はすでに傾き衰え乱れている、どうして顧みることをしないのであろう、天意に適わず、大師に相応しくない者を用いて天の禍乱を招き、国家民衆を空乏させてはならない、」云々と、政治の乱れを糺し、国家人民を安んじるのが政治の要道だと説いたものです。徂徠は、上に立つ者に問われる器量をはかるに、己の才智によらず、下の者の「才智」をみぬき、それを用いる力量に求めました。「言語・容貌」を慎み、下の者を大切にし、その力をふるわせる作法こそは指導者たる者が身につけておかねばなりません。
　さらに徂徠は、家康が「重き御役人を仰付けらるるには、必ず下の沙汰を御聞きありて、下にてその役になるべしと沙汰する人を必ず仰付けられた」ことをあげ、「人の善悪は上よりは見えかぬる物なり」となし、下の者の眼が大切だとも説いております。
　これらの言説には、家康が創始した徳川の治世が幾多の困難がありながらも、260有余年の「平和」の世をもたらした鍵があるのではないでしょうか。現在想うに、「言語・容貌」のない人物、己の小さな「才智」に溺れた者が政治のみならず、日本の各界を跋扈しているとの感のみつのります。それだけに徂徠が説き聞かようとした指導者像、その政治哲学に学びたく想う次第です。







 

　『政談』
　荻生徂来　著
　辻達也　校注
　1987年 岩波文庫　刊


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		<link>http://www.nichibun-g.co.jp/manabito/history/h053</link>
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	<item>
		<title>教育資料：日文の教育情報No.110 追加</title>
		<description>教育資料：日文の教育情報No.110 を追加しました。 </description>
		<link>http://www.nichibun-g.co.jp/news/%e6%95%99%e8%82%b2%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%9a%e6%97%a5%e6%96%87%e3%81%ae%e6%95%99%e8%82%b2%e6%83%85%e5%a0%b1no110-%e8%bf%bd%e5%8a%a0</link>
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	<item>
		<title>異動は最大の研修である</title>
		<description>■ 異動希望ゼロの学校


　「うちの生徒に講話をしてください」と依頼されて、ある中学校を訪れた。
　校門からきれいに清掃された美しい環境の学校だった。
　体育館に整然と並んだ生徒たちは行儀も良く、しっかりと話を聞いてくれた。
　「校長先生、とてもいい学校ですね。」と感想を言った。
　「うちの学校の先生は、誰も転勤したがりません。異動希望ゼロの学校です。」という答えが返ってきた。
　「異動基準の年数をこえても、皆本校に残りたがるので、苦労してるんですよ。」と満足そうに続けた。
　「異動は最大の研修ですからね」と私が言うと、「“異動は最大の研修！ ”それ、使わせてもらいます。」と返ってきた。


■ 他市への異動希望ゼロの町


　学校だけでなく、市町村ごとに見ても他市町村への転勤希望がゼロの町が大阪にも存在する。
　周辺部の比較的人口の少ない落ち着いた市町村に多い。
　大都市の中心部に比べると確かに地域も保護者も学校もおだやかで平和である。
　そういう恵まれた環境の学校で勤務を続けられることは本人にとっても幸せなように見えるが、実はそうとは限らない。
　子どもたちが可哀想と思える事もある。
　私は中学校の教師を15年間したあと大阪府教育委員会に20年も在籍していた。しかも、その大半を教職員人事の担当をしてきた経験をもつ。
　大阪府で府下全体の管理職試験をしている時にいつも感じたことだが、大都市で幾つもの学校を転勤して、もまれてきた先生は対応力もあり、しっかりした人が比較的多い。
　小さな町で、あまりもまれてこなかった先生は若干頼りなく感じてしまうのである。
　若い時から、市の教育研究会で発表するとなると、大都市では何百人の先生方の前でやらなければならないので、気合いを入れて準備したり、勉強したりする。
　町に中学校が２～３校で皆仲良しだったら緊張もなしに普段着のままで過ごしてしまうことも多い。
　それだけでも、管理職になるまでに大きな差ができてしまう。
　生徒指導や保護者対応にしても、その体験には差があるだろう。
　その先生が、あまり成長しないという個人的な問題ですむなら気にならないけれど、力のない先生に習っている子どもたちが可哀想である。


■ 絶えず新しい血を入れよう


　異動で出て行ってもらう先生に、「冷たい心じゃないんだよ、可愛い子には旅をさせよ、だよ」という気持ちで送り出すことも大事だが、実際、マンネリになって伸び悩んでいた人が、新しい学校で心機一転、よみがえったように生き生きしている姿もよく目にし、耳にすることも多い。
　その先生にとっては、教職員研修を100回受講するよりも、１回の転勤で大きく飛躍できたということになる。
　まさに、「異動は最大の研修」である。
　学校や市町村にとっても、毎年同じメンバーで繰り返していると、どうしてもマンネリ化がさけられない。
　毎年、何パーセントかは新しい血を入れて新陳代謝を図るほうが望ましい。


■ “人事はエゴだよ”


　私が大阪府の小中学校人事の責任者をしていた頃、尊敬する教育長さんの忘れられない言葉がある。
　「野口君、人事は芸術だよ」
　この校長とあの教頭を組ませたら学校からどんなメロディーが聞こえてくるか。
　「人事は哲学だよ」
　市内全体の学校の人事を描き終わった時、その教育長の願いや考え、哲学が浮かんでくる。
　「そして、人事はエゴだよ」
　その時、私はすぐに、「ハイ、それはよくわかります」と答えたように記憶している。
　しかし、エゴが前面に出てしまった時、人事交流は全て止まってしまうのだ。
　お互いのエゴを十分にわきまえた上で、お互いの信頼関係をくずさない努力が必要とされる。教職員の資質向上の為にも、何よりも子どもたちの笑顔があふれる学校づくりの為にも、人事を担当する人々の信頼と絆のもとに学校の活性化を進める積極的な人事交流を望みたい。


著者経歴　元　大阪府堺市教育長
　　　　　元　大阪府教育委員会理事　兼教育センター所長
　　　　　元　文部省教育課程審議会委員



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		<link>http://www.nichibun-g.co.jp/education/kyoikujoho/k110</link>
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		<title>お知らせ：みる美術ページ公開</title>
		<description>新商品（4月発売）・提示型デジタル教材「みる美術」日本美術編、西洋美術編の専用ページを公開しています。デモ画面で、新しい「みる美術」の魅力をご体験ください。 </description>
		<link>http://www.nichibun-g.co.jp/topic/%e3%81%8a%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9b%ef%bc%9a%e3%81%bf%e3%82%8b%e7%be%8e%e8%a1%93%e3%83%9a%e3%83%bc%e3%82%b8%e5%85%ac%e9%96%8b</link>
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		<title>なるほど：みる美術ページ追加</title>
		<description>なるほど：提示型デジタル教材「みる美術」日本美術編、西洋美術編 のページを公開しました。 </description>
		<link>http://www.nichibun-g.co.jp/news/%e3%81%aa%e3%82%8b%e3%81%bb%e3%81%a9%ef%bc%9a%e3%81%bf%e3%82%8b%e7%be%8e%e8%a1%93%e3%83%9a%e3%83%bc%e3%82%b8%e8%bf%bd%e5%8a%a0</link>
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	<item>
		<title>中学社会歴史的分野：教科書訂正のご案内（平成23年度用）</title>
		<description>中学社会歴史的分野：教科書訂正のご案内（平成23年度用） を掲載しました。 </description>
		<link>http://www.nichibun-g.co.jp/news/%e4%b8%ad%e5%ad%a6%e7%a4%be%e4%bc%9a%e6%ad%b4%e5%8f%b2%e7%9a%84%e5%88%86%e9%87%8e%ef%bc%9a%e6%95%99%e7%a7%91%e6%9b%b8%e8%a8%82%e6%ad%a3%e3%81%ae%e3%81%94%e6%a1%88%e5%86%85%ef%bc%88%e5%b9%b3%e6%88%9023</link>
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	<item>
		<title>教育資料：「高校教科書 x 美術館」に2月分 No.32 追加</title>
		<description>教育資料：「高校教科書 x 美術館」に2月分 No.32 を追加しました。 </description>
		<link>http://www.nichibun-g.co.jp/news/%e6%95%99%e8%82%b2%e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%9a%e3%80%8c%e9%ab%98%e6%a0%a1%e6%95%99%e7%a7%91%e6%9b%b8-x-%e7%be%8e%e8%a1%93%e9%a4%a8%e3%80%8d%e3%81%ab2%e6%9c%88%e5%88%86-no32-%e8%bf%bd%e5%8a%a0</link>
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	<item>
		<title>「那智瀧図」</title>
		<description>






[caption id="attachment_8833" align="alignnone" width="111" caption="絹本着色／159×57.8cm／13世紀末"][/caption]








　紀伊半島の南端、熊野・那智山にある瀧を描いた絵画。日本では、古くから山や瀧、樹木や岩などに聖霊が宿ると考えられ、高さ133メートルを一気に落下する那智瀧も神聖なものとみなされていました。その後、仏教が普及するにしたがい、日本古来の神々は、実はインドの仏さまが、日本人のために姿を変えて現れたと考える神仏習合（しんぶつしゅうごう）の思想が広まります。それゆえ、神聖な那智瀧も、仏教の千手（せんじゅ）観音が姿を変えたものとみなされるようになります。ですから、この絵は、たんなる風景画ではなく、神でもあり仏でもある瀧を描いた宗教絵画なのです。
　絵の上の方では、崖の上には紅葉した木々が茂り、金色の月がのぞいています。暗い色の崖を白い瀧は一直線に落下し、途中の岩壁に当たって幅を広げ、やがて岩場に落ちて三方向に流れてゆきます。まっすぐに落ちてゆく瀧の、神々しい姿を描いていると言えるでしょう。下の方には、緑の葉を茂らせた杉の木立や、瀧を礼拝するために建てられた拝殿の屋根（赤茶色の部分）が見えます。
　誰が、何のためにこの絵を描いたのかは、記録が無いため明らかではありません。しかし、拝殿の向かって左側に描かれた大きな碑は、弘安４年（1281）にこの地に詣でた亀山上皇（1249‐1305）が、参拝の記念に建てたと考えられており、このことから、熊野御幸（くまのごこう）から帰ったのち、13世紀末から14世紀初めのころ、上皇が、京にいながらにして、はるか遠くの那智瀧を礼拝できるよう描かせたのではないかと推測されています。
　日本人の自然に対する敬虔な思いや日本独自の宗教観を、一筋の瀧の姿に表したこの絵は、日本の宗教絵画を代表する作品の一つにあげられています。


（根津美術館　学芸部　白原由起子）


■根津美術館

		所在地　東京都港区南青山６-５-１
		TEL　03-3400-2536
		休館日　月曜日(月曜日が祝日の場合は、翌火曜日）・展示替え期間・年末年始

＜展覧会情報＞

		特別展　虎屋のお雛様
		2012年２月25日（土）～４月８日（日）



展覧会概要
和菓子の老舗「虎屋」に伝わる雛人形と極小雛道具約270点を展示します。雛人形は，きらびやかな衣装と端正な面差しの京雛。雛道具は，極小でありながら細部にまで蒔絵をほどこしたものなど，華やかな品々が並びます。


＜次回展覧会予定＞

		KORIN展　－国宝「燕子花図」とメトロポリタン美術館所蔵「八橋図」－
		2012年４月21日（土）～５月20日（日）



その他、詳細は根津美術館Webサイトでご覧ください。 </description>
		<link>http://www.nichibun-g.co.jp/education/k-bi/kb032</link>
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	<item>
		<title>まなびと： 「学び！とシネマ」Vol.70 “ものすごくうるさくて、ありえないほど近い” 追加</title>
		<description>Webマガジンまなびと： 「学び！とシネマ」Vol.70 “ものすごくうるさくて、ありえないほど近い” を追加しました。 </description>
		<link>http://www.nichibun-g.co.jp/news/%e3%81%be%e3%81%aa%e3%81%b3%e3%81%a8%ef%bc%9a-%e3%80%8c%e5%ad%a6%e3%81%b3%ef%bc%81%e3%81%a8%e3%82%b7%e3%83%8d%e3%83%9e%e3%80%8dvol70-%e2%80%9c%e3%82%82%e3%81%ae%e3%81%99%e3%81%94%e3%81%8f%e3%81%86</link>
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