●Art Education-Now
「現代・美術・教育」の相互視点
−ゴームリーの場合(1)−
福島大学教育学部助教授
渡邊晃一
2001年9月11日直後,文部科学省の在外派遣員として私は,米国(USA)と英国(UK)に滞在した。そこでは多数の教授や学生,院生,そして様々な美術家(註1)と出会うことができた。時々,美術家のスタジオ(アトリエ)を訪問し,直に作者から制作論や美術教育にたいする見解を伺う機会にも恵まれた。その時間は,静寂な美術館で作品を鑑賞したり,本の活字をひろうのとは違った面で,「美術」とは何かを実感させられることも多かった。そこで,これから本誌で私は彼らの「生きた言葉,生の話」を伝えていきたいと思っている。今回,登場するのはゴームリー(Antony Gormley, 1950-)である。周知のようにゴームリーは,英国の現代美術家である。自身の肉体を型取り,自分の「分身」,ぬけがらのような作品等を多数制作してきた。それは「型」を再度,雌型から雄型に戻したものではなく,自分の肉体や魂を覆った「空洞」そのもの,「容器」のような存在を通して,身体の内部と外部(周囲の空間)との関係を示している。また彼の作品は,単体として台座の上に載せる類のものではなく,壁に足をつけたり,ある時は天井にぶらさがったりした作品群で設置(インスタレーション)されている。彼の作品は,テート・モダンやリーズの美術館などで重要な位置を占めており,また英国の書店には彼の作品集が多数並んでいた。ニュー・キャッスルの高速道路沿いには,彼が制作した巨大な作品,《エンジェル・オブ・ノース》が設置されている。それは,B・B・Cテレビの中で郵便局のコマーシャルとして使われており,日常目にすることも多かった。
《エンジェル・オブ・ノース》彼のスタジオは,ロンドン,テムズ川の南側にある,工場跡のような地にある。私は英国滞在中,ゴームリーからスタジオの招待を受けた。私自身,制作を続けてきた「型」の作品に興味を示してくれたことによる。ゴームリーのスタジオで約2時間あまり,作品制作の「現場」を撮影したり,互いの作品について語り合った。彼の制作背景や美術教育に対する思いなども聞くことができた。本誌ではその中から今回,彼が語った「美術教育」に関わる部分を抜き出して紹介したい。
作品の前のアントニー・ゴームリー
Antony Gormley interview
June 2nd 2002ゴームリー(以下G):美術教育は心の扉を開き自分の世界にある可能性を最大限に開花させ,何かをつくりあげるための一番エキサイティングな手段であるべきだと思っています。しかし多くの場合はそうではありません。したがって学校で教えている先生,アーチストには特別の責任があると思っています。
先生のまず一番の義務は,学生にたいして彼らが作品を制作するにあたり,必要なエナジーやコンテクストを生み出す力があり,彼らがやっていることはうまくいくのだという自信を与えてあげることだと私は思います。テクニックやものの見方,視野を教えることもできるでしょうが,しかし芸術というのは才能よりも意思のほうが重要だと思うからです。その意思を養育するためには,彼らに可能な限り違った意見,その意見というのは本当に芸術のことを真剣に,真摯に考えている者からの意見のことですが,そういうものを提供することだと思います。すぐれた美術学校というものを考えると,それは学生と,国際的な視野を持ったアーチストが教師として,自分たちの見解そのものとも格闘している場だと思うのです。それぞれの見解の異なりが大きければ大きいほど良いでしょう。そういう状況で学生は自分自身の意見をもたなければならなくなるのですから。
渡邊晃一(以下W):今の日本では,テクニックやものの見方,美術理論や歴史を,まず学ぶこと,教え込むことが大切だと思っている方も多いので,とても刺激的な御意見です。ただ,英国の現況と日本とは,その背景で異なっている点もあるので,「見解の格闘」を実現するには難しい面も多いですね。
例えば英国では,小学校で,アートとデザインが別々に教科として成立していたり,中学校,高等学校の頃から選択で美術と十分に向き合い,生徒自らが美術を考える時間が持てるような前段階がありますよね。歴史の勉強も,ある特定の時代を徹底的に深く掘り下げようとする「意志」を養っている。しかし日本では他学科の宿題をこなしたり,知的レベルを同程度高めることが望まれるでしょう。美術大学に入るにも観察力,デッサン力を重視した入試が課せられています。自ら現代美術に触れたり,語る機会そのものも少ない状況でしょう。中学校や高等学校では,美術の授業時間そのものが少なくなってきていますし‥‥。
G:それは悲しいことですね。社会や経済の状況が悪化すると,美術というのが真っ先に削られてしまうことが多い。美術というのは希望と不安が強力に表現されていると思うから,美術的な表現の可能性を子供たちから取り去るということは,人間の基本的な権利を阻止していることにもなると思うのですが。
W:美術と教育,社会との関係について非常に強力なご意見をお持ちのようですね。もう少し具体的に英国の状況をお聞かせ願えますか。例えばチェルシーやロイヤルカレッジなどで学生に話を聞くと,今,多くの英国の美術学校や中学,高等学校では,チューター制度をとっており,専属の教授はほとんどいない状況だそうですね。静物や人物等のモティーフを取り囲んで,いっせいにデッサンするような講義もない。そのかわりに個人個人で自由に制作をさせているようですが。一方,日本では,このような講義を推し進めるには難しい面もあります。日常でも美術に携わっている人とそれ以外の人との間には距離がありますし,美術と関わらなくても生きていけるという風潮さえ社会にあります。美術と社会,人と人との関わりという点で,ゴームリーさん自身はどのような御意見をお持ちですか?
G:違った世界に生きている人たちの存在というのは,アーチストにとってはかなり有用だと思う。だからこそアーチストは誰かを喜ばすためにではなく,アートのためにアートをやることになるのだから。それはとても重要なことだと思う。アートの世界が他の文化と異なるのが良いことなのかという点についてはあまり定かではありませんが‥‥。
英国にもアーチストというと決まりきったイメージがあります。アーチストというのはあまり責任感のない人間で,性生活もしまりがなく,多くはいつも酔っ払っていて etc。
このイメージがまかり通っているというのは,とてもばかげている。アーチストのプロ意識や真剣な意図というのが見落とされている。加えて,このアーチストの一般的なイメージというのが英国の文化の特徴を反映しているという点で,深刻な問題だと思います。英国でもアーチストの意識が洗練されていないんですよ。しかしイタリアやドイツなどへ行くと,アーチストを囲む環境はもっと活発で熱狂的で,インテレクチュアルで,アーチストとは何をするものなのかということを,非常に良く理解してくれているように思えます。アートの世界での就職の問題もあまりないようですし‥‥。英国でもこの点ではかなりの問題があると思います。とはいうものの最近は,少しずつ状況は変わりつつありますが‥‥。
W:しかしその中で,ゴームリーさんは希有なアーチストですね。《エンジェル・オブ・ノース》が示すように,そのような英国のバックグランドを感じさせない程,広く一般の人々にも親しまれていますし。人気があると同時に幅広く前衛的な仕事も続けている。真剣にアートを考え,取り組めるという点で,とても充実しているでしょう。
G:自分はとっても幸運だと思います。ただ,一般の人々との関わりという点では,それはアーチストの側にも問題があると思っていましたから‥‥。
(次回,現代のアーチストと美術を取りまく現況に対する意見へとつづく)
〈通訳,対訳協力:高野裕子〉
スタジオの中庭。
外に作品を置き,腐食させている。
スタジオ内部。
多数の新作が置かれていた。
型取られた顔と工具類。
(註1)
カロ(Anthony Caro),ワイエス(Andrew Wyeth),ゴームリー(Antony Gormley),グロリアン(Charles Garoian),ケーブ(Chuck Cave),ナッシュ(David Nash),カバコフ(Ilya Kavakov),ユーゴン(James Hugonin),クィーン(Mark Quinn),ヤーバー(Robert Yarber),トム(Thomas McGovern)など。
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