●鏃 YAJIRI
 

学校におけるハードとソフトのはざまで 

 
 知人の建築家との雑談で学校建築が話題に上がることがある。私的ニーズを重視する個人住宅とは異なり,「育てる器」という一味ちがう公共性を持つ学校は興味を引くのだろう。同じく私自身も二十年余り,教育環境としての学校建築のありかたに注目してきた。

 戦後の学校建築は災害から生徒を守る構造の強化と規格の一律平等化の歩みであった。しかし,学校の個性化と多様化の流れが生じるに従い,設計のコンセプトも明らかに変化してきた。とりわけ小回りの利きやすい私立や町立,村立,区立などは,いち早くユニークな学校建築が次々と建てられた。具体的には,特色ある風土に根ざしたもの,自然材や曲線にこだわったもの,フリースペースなどの空間配置に工夫を凝らしたもの,さらに,「これが学校か!」と意表をつくものまで実に多彩だ。

 しかし,ここで気になるのが器の主人公たる生徒や教師の存在である。個人住宅ならば住人が施主であるが,学校は注文主が行政当局であり,設計段階から生徒や教師の意見が反映される比率は実に少ない。極端な場合,建築家の創造したオブジェに完成後,身の丈を合わせることになる。

 そこで私論になるが,本来,学校は未完成な部分を意図的に残すべきだ。例えばロフトのように,とりあえず空間があり,入居するアーティストの発想でインテリアや使い勝手を自由に変容しうる可塑性の高いものにできないか。子どもの発達段階により程度や方法に差異はあっても入学,入級した子どもと先生が手を携え学習空間を徐々に形成していく。そして,その過程は「総合的で実際的な学習」として生かされ,結果として個性的で多様な学校の場が数多く生まれることとなる。

 学校は,これまでの長すぎた平均化志向で自由裁量能力を決定的に低下させた。総合的な学習の時間の経緯を見ても,「時間」以上に「空間」の自由裁量は容易に進まないと予想できる。しかし「真四角で無機的な箱」の次に来るのが建築家の発想の「一方的な受け皿」で終わってはならない。

 そこで出番が美術や図工だ。これまでの壁面や中庭を飾る集合制作,各教室の標示デザインなどを端緒として,工夫しだいで空間デザインへの発展は可能である。柔軟な構想力を持つ建築家のパスを受け,ユニークな学校づくりのコラボレーションをリードできるのは,やはり美術や図工の担当者であろう。施設,設備という学校のハードと教育内容というソフトのはざまを埋めることは,今後,美術が担うべきベンチャー事業といえないだろうか。

(谷山 育)

 


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