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公立美術館は美術教育を支える連峰の一峰になり得るのか −その1−
川崎市岡本太郎美術館 仲野泰生
■岡本太郎と市民
川崎市岡本太郎美術館は2004年10月30日で開館5周年を迎えた。私自身は美術館の準備室から数えて10年が経つ。美術館建設を巡っては一部の市民との軋轢も生じ,市民(大衆の無意識レベルの好き嫌い感覚)と新しい芸術に対する受容の感性との差異・同根が浮かび上がった。それは,現在の日本の「普通に暮らす人々」の美術に対する感性と思考を,ある意味で露呈することにもなったのではないだろうか。たとえば次のような市民の発言があった。「川崎市には珍しく自然豊な公園に,『日本画』なら馴染むが岡本太郎のような『前衛芸術』は馴染まない」(詳細は以前書いた拙文 註1)を参照にしていただければ幸である)。
ここでは,こうした岡本太郎に対するこの市民・大衆の感覚を形づくったマスメディア(特にテレビ)について少し述べてみたい。
現在,岡本太郎美術館では開館5周年記念展「テレビ発掘・まる裸の太郎展」(糸井重里がネーミング。2004.10.16〜2005.1.16)を開催している。美術館の展示室に六つのブースをつくり,1953年のテレビ開局以来教養番組を中心に出演していた岡本の珍しい映像から,1980年以降のお笑いタレント的に扱われたバラエティ番組やコマーシャルまでを紹介している。その中に,タレントの片岡鶴太郎(最近では芸術家)が司会を務めた「鶴太郎のテレもんじゃ」がある。子どもの絵を紹介し,それを岡本太郎がコメントを加え審査するといった番組である。この審査やコメントを含めた岡本太郎の言動や有り様が面白く,また司会者がそれを茶化していくことで,岡本の子どもに対する真摯な言葉さえも「お笑い」に転化されていく。そして会場にいる客(視聴者代表)の笑いに包まれるという,ある意味(残酷さも含めた)で世間における岡本太郎という存在の理解の度合いが浮かび上がる。しかし,この番組での岡本の子ども自身や子どもの絵に向かい発した言葉は,著書「今日の芸術」(光文社文庫 2000年)や「忘れられた日本−沖縄文化論」(中央公論新社 新書版 2002年)に代表される岡本の言説と本質的には何ら変わるものではない。しかし強烈な個性をもった岡本の言葉は,テレビの魔力に飲み込まれてしまう。結果的にブラウン管の中の岡本太郎は大衆に膾炙はしたが,道化師としての岡本太郎像に変容されてしまったのではないだろうか。だが岡本自身はこのテレビの毒を,よく分った上で出演していたようでもある。いま改めてこの当時の映像を観ると,岡本太郎は日本の大衆に対して彼自身の考えを,身を捨てながらも投げかけていたのではないか。
■公立美術館のゆくえ
ここで話しの流れを美術館に戻してみよう。最近10年で全国各地に公立美術館は数多くできた。しかし10年前とは公立美術館を取り巻く内外の環境は激変しつつあるのが現状である。以前の美術館といえば企画展を中心に運営されていた。そして,特に地方の美術館などには,東京の新聞社と組んであらかじめパッケージ化された巡回展を開催することに,あまり疑問ももたないところも多かったと聞いている。
しかし,デパート美術館などの表層的文化のバックボーンであったバブル経済が破綻し,地方自治体の財政も赤字傾向に傾きはじめたここ10年で,美術館は厳しい運営を行政からも市民からも求められる状況になった。そこで公立美術館は,にわかに社会教育施設の顔を見せることになる。それは美術館が美術教育を行おうとする方向に繋がっていく。どこの美術館も展覧会事業と教育普及事業が同じくらいのウエイトをもちはじめたのである。背景には当然,学校教育サイドからのアプローチがあった。それは学校教育の指針ともなっている学習指導要領の改訂によって,「地元の美術・博物館」の利用が積極的に謳われたことにもよるのであろう。
ところで美術館の来館者の年齢層は,ご存知のように子どもから大人,老人まで多層な年齢にわたっている。美術館が社会教育施設の側面をもつのは,学校とは異なり「生涯学習」という大きな枠の中に存在するからだろう。しかし,今の美術館は学校教育と安易に結びつくことが「教育普及」と考えているのではないか,といった節さえ見える。確かに地域の学校と美術館が協力するのは大切である。しかし,学校と美術館で行われる「美術教育」は根幹では同じだろうが,システム(組織)の差異は以外に大きいのではないだろうか。たとえばアメリカのシカゴ美術館は,教育普及の目的を明確に「市民教育にある」註2)と位置づけている。アメリカでは民主主義の思想が社会の基盤となっているので,社会教育施設としての美術館の目的は「市民教育」なのである。もちろん学校と美術館の連携も大変盛んらしいが,その最終目標はあくまでも「市民教育」にある。日本では美術館の教育普及の最終目標がアメリカのように明確ではない。日本の小学校や中学校は,国が方向性をつけているとはいえ,教育目標なるものは,ある程度はっきりしている。しかし日本各地にある公立美術館は,各館の特性もあり,明確な普及事業の共通項的な目的をもてないのが実情であろう。また平成15年6月に国の方針で地方自治法が一部改正され,指定管理者制度が導入されることとなった。この事はテレビや新聞等の報道でご存知の方も多いだろう。これは全国の公立美術館の支持基盤を根底から揺さぶった。指定管理者制度を簡単に述べると,「広く民間に公の施設の管理運営を代行させ,住民サービスの向上,経費の削減を図りながら,多様化する住民ニーズにより効果的・効率的に対応していくための制度である。」註3)ということになる。
この問題は多岐にわたるので,ここでは一例を述べるのに留めたい。それは芦屋市立美術博物館の例である。芦屋市議会は指定管理者制度の導入に伴い,「芦屋市立美術博物館を含む芦屋市の社会教育施設を民間に委託すること,また民間に希望者がない場合は休館あるいは閉館にする」と議会で決定されたのである。芦屋市立美術博物館は,世界的にも評価が高い「具体美術協会」の地元であり,多数の作品・資料を所蔵していることで有名である。具体美術協会のメッカが危機だというニュースは,日本だけでなくアメリカやヨーロッパにも広がった。そして数多くの,芦屋市議会に対する美術館の存続を求める署名が世界中から集まったのである。(つづく)
註
1)『4本足のニワトリ‐現代と子どもの表現』(国土社 宮脇理編 1998年)。ぜひお読みください。
2)『シカゴ美術館における教育プログラムの紹介』(Web
AEから。中村和世さんのレポートを参考にさせていただいた)。
3)川崎市総務局行財政改革実施本部作成の「『公の施設』管理運営主体に関する方針」から。 |