機関誌Web版「FORME」

  >> No.279 >> p24
 
連載 鏃YAJIRI

 表現のすすめ

福島大学教授
天形 健

 「ひとりでに育つこと」と「教えなければできないこと」の混乱が,子どもたちの内包する「溝」として今ほど感じる時代はなかったかもしれません。私たちは小学校に入学する児童のだれもが平均的に成長し,小学生らしいレベルの感性や考えをもっていると想像するのかもしれません。そしてある程度の成長差を個々の資質や感情の差異あるいは個別性として容認します。ですが,私たちは彼らとの交流で「こんなことも知らない」と感じたり,「常識外の行動」に驚かされたりします。そんな「置き忘れてきたような体験不足」や「情報過多の中で知ったつもりの錯覚」の場面が増えています。
 それは「ひとりでに育つこと」と同じように「教えなければできないこと」もどこかで学習するであろうと高を括くり,教えなければならないタイミングを逃した結果であるのかもしれません。そこから生じた「溝」が子どもたちの間で不調和を生んだり,児童と先生の深刻な不協和音であったりすると考えられます。
 今,子どもたちに必要な学びと学力低下の問題は大きくずれたところで議論が交わされています。「学力低下論」のもとで「総合的な学習の時間」が削減され,多くの教科が知識理解重視にシフトされそうです。この「溝」が埋まらないまま,今後も途切れることなく学校を通過する子どもたちの学力は将来どのように生きるというのでしょう。
 私は子どもたちにもっと表現させたいと考えています。まず私たちは,私たち自身とのコミュニケーションが必要です。私たちは表現時に自らの感性に問いかけながら,他者にも同様の印象や視覚認識が伝わるように表そうとします。また,時を経てその作品を見直すと,それが過去の自分からのメッセージであることに気づきます。
 私たちは,なんらかの形で自らを表現できる場に常に居ようとする姿勢が大切です。それは他者との交流の始まりでもあるからです。自らの表現を通して神経にシナプスが形成されなければ双方向伝達どころか,他からの多様で魅力的な発信さえ豊かに受け止めることはできないでしょう。
 ペーパーテストなどの結果が示す子どもたちからの情報は,彼らのほんの一部の情報でしかないことは明白です。意外にも現代っ子の傾向として,文字を書いたりマンガを描いたりするのを苦にしないタイプが多いのも事実です。そこに彼らのコミュニケーションを引き出す糸口が見えているのかもしれません。

前へ  次へ

目次へ