京都府京都市立下京中学校 / 乾 茂樹
美術1、30・31ページに掲載されている「文字を生かしたデザイン」を基にした実践事例です。
普段私たちが何気なく使っている“文字”を注目してみるとその形の美しさとおもしろさに気づく。こうやって原稿を書いている今も「この“ひらがな”っておもしろいなぁ…」と思ってしまうのは私だけだろうか。例えば、“ゆ”は右を向いて泳ぐ金魚だったり、“そ”は左にすすむタツノオトシゴ。“よ”を右に寝かすと犬かなぁ…それともライオン?いろいろなイメージがあふれてくる。“か”がフラフラと飛びながら足にとまった。パチン!とたたくと…“へ”になっちゃった。カタカナの“カ”では角が立って手が痛い。角が丸い“ひらがな”の持つやさしさである。
国語の授業で生徒は、現代文や古文などから言葉の伝えるイメージを感じ取り、その背景にせまりながら言語文化の豊かさを学んでいる。特に「いろは歌」では、その“かな”のもつ音の響きやリズムから文字の持つ形の美しさも感じている。そこで、伝統的な言語文化の特質な感性から造形的な感覚の高まりへと発展させ、漢字が持つ指示性や伝達性ではなく、かな文字が持つおおらかな曲線と音の優美さを動物をヒントに考えさせ、日本文化の奥行きに触れさせる題材を考えた。
表現において、かたちを利用することにためらいはない。しかし、「そのかたちが合っているのだろうか」という問いは、 必然である。生徒は上手くできたことに終始し、その形にこだわる。表現の活動を通して何を学んでくれるのだろうか。美術は形への固定ではなく、かたちの開放ではないだろうか。つまり、プロセスを重視した内容こそが形からの脱離がおこなえるのである。
ひらがなをじっと見る。上下左右をひっくり返す。「文字が何かに見えてきましたか?」との質問に「“お”が“カニ”?」との発言。なんておおらかな発想なんだ…。「“や”が“頭や角”に、“む”がひっくり返って“足から尻尾”。“へ”が“前足”になって、キリンの完成」「“そ”が寝転んで“い”と“へ”でラクダが歩き出す」生徒たちはかたちと遊んでいる。
【写真1】はアイデアスケッチと制作中の作品である。いろいろな方向からの視点が“お”をカニに喩えることにつながる。例えば、“お”の丸い部分、3画目が爪になっている。1画目、2画目は足をかたどり、4画目は目の輪郭を表している。爪を輪郭線でとらえているのならば“り”を上下逆にした方がピッタリである。しかし、作者は爪を稜線や塊として把握しているため“お”の3画目を当てはめたのであろう。
大切なのは、対象をイメージでとらえること。
【写真2】を見ていただきたい。生徒の対象を見つめる視点は無限である。
文字は大きく明朝体とゴシック体の2つに分かれる。生徒は主題にあわせ、自分のイメージにあう文字のかたちを選択する。その選択は表現したい線やかたちにあり、その背景には“スケッチ”が大きく関係していると思われる。線のたまりや強弱を大切にした明朝体。とりわけ“観察するスケッチ”という感じだろうか。ポップなイメージのゴシック体は“伝えるためのスケッチ”。選択することは、自分のイメージを表現するステップにつながる。キリンが右に歩いていくかたち。四角形から五角形。かたちにも主題がある。
ひとこと
葛飾北斎は1812年(文化9年)に発刊した略画早指南絵文字(りゃくがはやおしええもじ)の中で、かな文字や漢字、円や弧を使って人物や自然物を描く方法を紹介している。ポール・セザンヌは自身の手紙の中で「自然を円筒形、球形、円錐によって扱い、…」と言葉を残している。この2人の対象のイメージをとらえ特徴をつかむための方向性は同じである。そこには時代を超えた感性の扉が開いている。18年前の話だが、人の顔をした魚“人面魚”が話題になった。それは、形と影のいたずらで人の“視覚”が持つ“不安定感”を示している。人が対象を何かに喩える時、その目線は輪郭線と稜線を追いかける。輪郭線の身近な遊びでは「“へのへのもへじ”で顔描けた」であり、積み木やブロック遊びの延長は、稜線だと考えている。この2つに組み立てが大切だと思う。
私ごと。佐伯祐三が気になる。彼は、パリの街角や店先を描いた風景画を多く制作し、街角のポスター、看板などの文字を造形要素の一部として取り入れている。その文字に日本の書道の精神を見るのである。佐伯と書道、いい関係である。そこに、日本人としてのアイデンティティーを感じる。
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