●海外の社会科授業
帰国児童生徒の良さを生かした学習指導
東京学芸大学海外子女教育センター 佐藤 郡衛
1.帰国子女教育の実践の視点
帰国子女教育はいま大きな転換期にある。帰国子女教育は,日本の教育への適応教育として出発した。やがて,この適応教育は海外での経験を押しつぶす「外国剥し」に結びつくようになったために,海外での体験をいかに伸ばしていくかが強調されるようになる。だが,帰国した子どもの特性が明確でないため,特性伸長教育はなかなか教育実践の場に浸透していかなかった。
その後,特性伸長教育にかわり,個に対応教育と相互交流の教育という理念が打ち出されるようになる。すなわち,文化的背景を異にする子ども同士が,個を尊重しつつ,相互にかかわりを持ち,助け合うことにより,共に学び,共に生きることが帰国子女教育で強調されるようになる。
帰国子女教育における個に対応した教育とは,特性を過度に強調するのではなく,一人ひとりの生活や学習の背景を直接的なかかわりのなかで理解することである。むろん,その際,すべてを「個性」に還元するのではなく,一人ひとりを理解するためには文化的背景を把握する必要がある。教師が自文化の枠組みを固定し,その固定した規準で子どもの言動を理解するおそれがあるためである。ただ,文化的特性を固定的にとらえるのではなく,子どもの成長とともに,そして子どもの視野の拡大とともに,変わっていくものであることもあわせて認識する必要がある。
個に対応した教育とは,いうまでもなく「個別指導」ではない。個に応じつつ,それを交流を通して全体へと広げる視点が求められる。帰国した子どもと一般の子どもが現実の相互作用を通して,それぞれの個別的な生活の背景を基礎にして,新しい関係性をつくることが必要になる。こうした相互交流により,帰国した子どもと一般の子どもがともに,自分たちの行動様式や思考様式の準拠枠を広げることが可能になる。
最近の子どもの特徴の一つとして,自分に関係のあるもの,関心のあるものは受け入れるが,そうでないものは排除するという傾向が見られる。「自分」だけが存在して,他者との「関係性」が失われているのである。もともと,自己とは孤立し内面に閉ざされたものではなく,他者とのつながり,環境とのかかわりの中で成り立っており,そうしたかかわりを通した学びの中で自己を確立していくことが可能になる。子ども同士が,違いを前提にして,しかもその違いをプラスにしながら,新しい学びを展開していくことが帰国子女教育の実践的な視点になる。個に対応した教育と相互交流の教育とは密接に関連しており,帰国子女教育の車の両輪といえる。
こうした視点を教育実践のなかで受けとめていくには,まず,子ども同士が相互に学び合う場を教科・領域をはじめとして学校生活全体にわたり意図的に設定していくことである。同時に,相互の学び合いを可能にするための多様な学習活動を保障していくことである。教師が一方的に既存の知識を伝達するのではなく,子どもたちが自分で調べたり,自ら体験したり,自分なりの方法で表現したりするような学習活動を保障していくことが求められる。
2.相互の学び合い
帰国子女教育における学習指導では,子ども同士が相互に学び合う場を教科・領域をはじめとして学校生活全体にわたり意図的に設定していくことが課題になる。ただ,相互交流とは,単に場を共有することでも,交流自体に意味があるものでもない。異なる考えや立場を理解し,認め合い,高め合うことにより,一人一人の子どもの判断基準,価値基準の形成をはかり,その上でお互いの考えや立場を理解していくことである。
ここでは,小学校の社会科の取り組みを紹介しよう(1)。社会科は,いうまでもなくその国や地域の文化や生活,歴史,政治,経済などを取りあげることになる。現地校に学べば,当然,現地についての内容が多くなり,日本の学校の社会科の学習内容は未知のものである。
6年生のA子が編入して間もない社会科の時間に,「どうして日本の歴史なんか勉強するの?やる必要がないんじゃない!」と突然切り出した。この発言をきっかけに,歴史をどうして学ぶのか,みんなで考える機会をつくった。ほとんどの子どもが分からないと答えたものの,話し合っていく中で,A子は自分なりに納得していった。
A子はアジア地域のあるインターナショナル・スクールに通っており,ほとんど英語で生活していたし,米国とヨーロッパの歴史を学んでいた。日本の社会科の元号や歴史上の人物などの表記に苦手な漢字がたくさん使われていたため,戸惑いがあった。
そこで,日本の歴史を年代順に時代や出来事などを学習するのではなく,ヨーロッパとアメリカの歴史に日本史を同じスケールに重ねて見ることにした。西暦の上に,ヨーロッパとアメリカの歴史を並べ,その下に日本史を元号とともに並べる方法をとったのである。こうすることで,A子はいままで自分が学んできた歴史観を使いながら日本史を学べることになった。共に学ぶ子どもたちにとっては難しくなるが,A子から話を聞きながら進めることで,多くの子どもたちが歴史に興味を持つようになった。
この実践では,A子の疑問から出発し,それをA子の個人体験にとどめることなく,授業中の交流を通して学級全体の学びへと転換し,より質の高い学びを実現させている。交流全体が自己目的化することなく,世界史と日本史とを結びつけ,交流の結果,子どもの歴史認識が深まっているのである。
また,相互の学び合いとは多様な学習活動によりはじめて可能になる。教師が一方的に既存の知識を伝達するだけでは交流も生まれない。
しかも,全員が前を向き,教師が話したことを子どもが記憶するというトップダウン方式の授業方法だけでは,「一部の子どもだけがその恩恵を被ることになり,学習の機会が平等に提供されているとはいいがたい」(2)。対話,体験,そして参加に重点をおいた学習活動をとりいれていくことが必要である。その際,子どもたちの差異(個性)を前提にしていかなければならない。
3.帰国した子どもの「特性」を生かす
この差異の中でも,子どもたちの学習のスタイルに注目していくことが大切になる。学習のスタイルは,もともと多様なものであり,帰国した子どもと一般の子どもとの学習スタイルにも違いがみられる(3)。一般の子どもは,定型化された学習課題を規則的,系統的に学習していくという学習のスタイルをとる傾向が強く,そこでは,構造化された一定の知識を習得することが重要になり,学習の成果も一定の知識の習得の度合いで測られる。これに対して,帰国した子どもは,学習に際してあらかじめ課題が構造化されておらず,自らが経験的に学習していく中で,学習したものを自分で構造化していくという学習のスタイルをとっている。
いうまでもなく,こうした学習のスタイルは,決して固定したものではなく,変容していくものである。国内でいち早く帰国子女教育に取り組んできた東京学芸大学附属大泉中学校の実践を紹介しよう。同中学校の成田喜一郎は,自らの社会科の取り組みを通して,この学習のスタイルについて報告している(4)。2年生の帰国した生徒が相談に来て,「先生,私,歴史が全然わからない。……何とかしてちょうだい」と訴えた。具体的に何が分からないかと尋ねると,「農民って,なんだか分からない。教科書に出てくる農民はいつも違うじゃない。何が本当なのか分からないわ」と言う。そこで,原始時代から順に時代を追って農民生活の歩みを話した。この生徒は,農民を単に「農業に従事する民」と辞書的に理解するだけでなく,「農民」という歴史的な概念の変化に気づいたと成田は指摘する。そして,意味がわからないという問題意識をもち,「分からないこと」をそのままにせずに,「農民って分からない」と疑問を教師にぶつけることにより,歴史認識を深めたのである。他の生徒にとっては,「農民は農民,分かり切ったこと」であり,疑問を挟む余地もないが,この生徒は辞書的な定義では納得できなかった。というのも,日本語の力が弱く,日本史の知識も不足していたためである。しかし,ユニークな問題意識と鋭い思考力,そして自ら質問に来るという積極的な学習のスタイルで,乗りこえていった。こうした生徒とのやりとりの中で,成田は帰国した子どもの学習スタイルに気づいていったのである。成田が報告するように,この生徒は定型化した知識をそのまま習得するのではなく,自分がよってたつ原理を内面につくりあげ,固有の見方,感じ方,物事を判断する際の基準を確立していったのである。
こうした力を育成していくことが帰国子女教育では重要になる。しかも,帰国した子どもの学習スタイルを生かす授業を展開することは,知識習得型の授業に偏っている日本の学習指導の改善にもつながっていく。帰国子女教育は,これまで,日本の教育とは別枠で構想されてきた。このため,学校全体の取り組みとして位置づけられてこなかった。帰国子女教育における学習指導は,日本の教育改革がめざす方向性とも一致しており,帰国子女教育の実践に改めて注目したい。
(注)
(1)文部省編,1999年,『よりよい出会いのために−帰国子女教育実践事例集』,ぎょうせい,73〜78頁。なお,筆者はこの実践事例集作成委員会の座長として執筆・編集に携わった。
(2)学習スタイルについては,拙著,1997年,『海外・帰国子女教育の再構築』,玉川大学出版部を参照のこと。
(3)Pike G., & Selby D., 1988, Global Teacher, Global Learner, Hodder & Stoughton, pp. 93−96
(4)成田喜一郎,1993年,「帰国生が生き,一般生が生きる社会科教育の実践クケ」,『海外子女教育』1993年11月号12月号,海外子女教育振興財団を参照。