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エッセイ・ボクの気まぐれピクニック Vol.12
最終回・またどこかでお会いしましょうね。
山本育夫 NPO法人つなぐ理事長

昨年の暮れ、ボクは宮崎県にいました。宮崎の美術の先生方の集まりに呼ばれて、学校とミュージアムの連携についてお話したのです。その折、久しぶりに美術の授業を見学する機会に恵まれました。研究授業は段ボールで帽子を作る、という内容。楽しいひとときでした。
この折、ボクは美術の先生方の数が、もう底を突いたこと。授業時数が一時間単位でしかないことなど、言葉では知っていた現実を再確認し、むかしボクが先生だった時代、それは今から30年ほど前のことなのですが、あの頃から始まった芸術科の切り離しの末期の姿をみた気がしたのでした。
「だから子どもたちに恐ろしいことが起こっている、現実に恐ろしい事件が起こっているでしょう。学校から芸術科を切り離したこととそれは正比例していると私は思います」と、ある先生が語った言葉が心に残りました。
ミュージアムマガジンドーム(以下ドーム)では宮崎県立美術館の特集を組んだことがありました。この時驚いたことは宮崎県立美術館の学芸課長さんが、ドームの創刊号から現在までのすべてのバックナンバーを見せてくださったことです。課長さんは熱心なドームフアンでした。(笑)
実は宮崎県立美術館にはいわゆる学芸員さんが一人しかいません。もちろん学芸員の資格はお持ちなのですが、ほとんどが、学校から異動してきた美術の先生たちによって運営されています。ボクは先生方が企画している展覧会のユニークさに驚いて、丸ごとこの美術館の特集を組んだのでした。みようみまねで始めた先生方による美術館運営。そのとき、ドームが課長さんにとっては一つの大切な参考情報となった、と、課長さんはうれしい言葉をくださいました。
ひとことでいえば、この美術館の展覧会は、いわゆる学芸員さんが企画する展覧会のおきて破り! な展覧会でした。展覧会会場は遊園地のように、展望台あり、トンネルあり、すべり台ありのにぎわいで、その中でアートと出会うという展開。このシリーズ展は大変な集客力を持っているそうで夏場は親子であふれかえる美術館となりました。この時お会いした学芸員さんの一人が、翌年、文化庁に席を移されたのにも驚きましたが。 宮崎県立美術館の画期的な意味についてボクは、冒頭の研究会でお話ししました。宮崎の場合は、すでに先駆的に学校とミュージアムの連携の新しい姿が実現していると。
これからのミュージアム像
日本のミュージアム界隈は130年ぶりの大変革の嵐の中にまだいるようです。国立館は独立行政法人化し、市町村のミュージアムは指定管理者制度の洗礼を受けました。残るは直営の公立館の身の処し方、ということになるのでしょう。このエッセイシリーズの最初でも書いたのですが、いずれにしろ、研究施設としてのミュージアム像→社会教育施設としてのミュージアム像というようにその役割が重層してきた日本のミュージアムは、ここにいたって→サービス施設としてのミュージアム像というイメージを必要とする時代に突入した感があります。こういう時代のミュージアム像の一つとして、既存のミュージアム施設を読み直して、別の運営主体に任せて、ミュージアム運営の活性化をはかる、という作法はありえると考えます。その運営主体が企業であったり、NPOであったり、こちらは組織というわけではないのですが宮崎のように学校の美術の先生であったりするという選択肢には可能性が見えます。少なくとも美学美術史専攻の学芸員だけでは賄いきれないミュージアムという母体の運営に関して、あらゆる可能性を試してみる価値は充分にあります。
その先でこの国のミュージアムの姿がどのようになっているのか、目が離せないわけですが、こうした動向は実は学校そのものにも当てはまるというところがこの時代が変革の時代であるゆえんでしょう。
1年間にわたりボクの気まぐれなエッセイをご愛読いただいたみなさん、ありがとうございました。
またどこかでお会いしましょうね。
山本育夫さんのエッセイは今回で終了です。
ありがとうございました。
来月からは、新企画でスタートいたします。 |
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