先輩からのアドバイス vol.32
【マンガ】研究会に参加して 後編

指導や授業で、つまづきがちな悩みや疑問をとりあげ、ベテラン教師から読者と同じ目線で問題解決へのアドバイスを提案します。

ここがポイント

自己の考えを価値づけ、でもあらためる
 今回の研究会で井澤先生が得たものは大きかったのではないでしょうか。私的な研究会にはいろいろなスタイルがあります、それぞれ一長一短がありそうですね。例えば、カリスマ的な存在がいて、参加者はもっぱら聞き役の会では自分の意見を生かしにくいでしょう。しかし気の合った仲間が集まるフランクな会では、ハイレベルな研究発表はできずとも、個人的な成果や日頃の手応え、はたまた悩みも共有できる安心感があります。回を重ねることで、そこから新たな考えや工夫を導き出すことができそうです。大切なことは、そこで導き出された答えに自分像を投影し、フィットする自分なりの考えを分析して、価値づけていくことです。しかし、仲間同士の研究会のよさは、見つけた自分の答えすら修正していく柔軟性にあるのではないでしょうか。

作品制作は誰のため?
 (前編)で、ミュズが感じた町田先生の指導した作品に対する違和感とはいったい何だったのでしょうか? その時点で井澤先生は、まだ違和感を見いだせていませんでした。しかし今回、町田先生の指導作品に感心しながらも彼のことをライバルとして位置付けた根拠をまだはっきりとは分析できていないけれども、自分だったら違った指導をするという思いが芽生えたからではないでしょうか。では何が違っていたのか、彼より少し先回りをして考えてみましょう。
 参考作品を鑑賞する際に注意したいのは、個々によって制作による学びの視点が微妙に違うということです。指導する内容を方法で統一しようとすると、「研究会で見た制作途中の参考作品のようには指導してもうまくいかなかった」っと、こんな美術教師の意見が生まれそうです。もちろん参考作品の鑑賞は授業の節目となり、大切です。しかしここで見落としてはならないこと、それは「制作方法の明確化のため?」なのか「学びに意味を持たせるため?」なのかという問題です。さらに言えば「完成度の高い作品制作の成就感のためか?」あるいは、「試行錯誤しながらも制作しようとする子どもたちの達成感のためか?」の違いと言ったら言い過ぎでしょうか。

(シナリオ・監修、文 川合 克彦)