学び!と美術

学び!と美術

「子どもの学力が伸びる」という「言説」
2012.11.12
学び!と美術 <Vol.03>
「子どもの学力が伸びる」という「言説」
奥村 高明(おくむら・たかあき)

art2_vol3_01 話したいことは山ほどあって、でも筋道立ててまとめる時間がありません。今回も思いつくまま書くことにどうかお許しを。

 今回は、学力の面から考えてみます。自分の経歴を考えれば、学力の面から語ることは避けられないと思うからです。ご存知のように、教育基本法改正を反映し、学校教育法で学力が規定されました。「思考・判断・表現」「知識・技能」「学習意欲」です。これまでは「読書に親しませ、生活に必要な国語を正しく理解し、使用する基礎的な能力を養うこと」「生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸その他の芸術について基礎的な理解と技能を養うこと」のようにいくつも示されていました。それをひとつにまとめたのです。
 これはけっこう大事件です。
 このことを法律の安定性と運用の妥当性という観点から考えてみます。
 まず、法律は安定性が必要です。みだりに変わってはいけません。例えば国会で法律が180度変わったらたいへんなことになります。人権や道路交通法で考えればすぐわかるでしょう。「明日から人権変化!」「車は右側通行!」もう大混乱です(※1)。法律は大きく変わらないという安心感が社会を安定させるのです。法律の運用も同様です。行政や国民が拡大解釈してその時々で運用を変えてはいけないのです。では、杓子定規に進めればいいかというと、そうではありません。明治時代にできた法律を当時の考え方のままに運用しても困ります。そこで時代の変遷に応じて解釈し、概ね妥当に運用しなければなりません。学習指導要領が10年に一度改訂されるのも、その一つです(※2)。法的安定性と具体的妥当性、この二律背反を同時に満たしながら進むことが法治国家では大切なのです。
 そんな性格を持つ学校教育法が平成20年に第30条2項として学力条項を示したのです。この改正の意味は大きい。まず百家争鳴だった学力論争を終わらせます。次に学力の質保証の議論が始まります。行政の方策が工夫されたり、議会で学力について議論が行われたりします。何もかも学校まかせだった頃と異なり、予算と執行、その成果が具体的に問われます。図工美術も学力にどう貢献できたのか具体的な証拠が求められます。他の教科とどう関わり合って学力をのばしたのか、相乗効果を出しているかなども視点になるでしょう。教科だけでは考えない。教育課程全体で考える。そういう時代になったのです。

 さて、図工美術で、「思考・判断・表現」に該当するのが「発想や構想の能力」、「知識・技能」に相当する「創造的な技能」です。「鑑賞の能力」は「思考・判断・表現」「知識・技能」を一体としたものです。図工美術は表現と鑑賞を通して学力を育てます。それが最終的に学校教育法の学力に貢献することが求められるのです。
 以上が、学校教育法第30条2項と図工美術の関係です。
 このことをふまえたとき、これから図工美術の時間でどのように学力を伸ばすのか、直接的に他教科と関連するのか(※3)、他教科の学力にどう関われたのかを示していかなければならないということになります(※4)
 しかし国の明確な調査は昭和33年以来、50年ぶりに行われた特定の課題調査のみです。近いうちに実施状況調査も行われるでしょう。しかしこのようなペーパーやパフォーマンスのテストは問題設計や解答の分類が難しく、県などの類似のテストを見る限り、成功例を見ることができません。まだまだこれからの分野です。
art2_vol3_02 一方、現場には興味深い「言説」がたくさんあります。「言説」はコツコツ集めることで何かのヒントになります。実際、私も、これを「うまく証明できればなぁ」と思うことが多くありました。代表的なのが全国の研究指定校の校長先生たちの言葉です。その全員が異口同音に「図工すると学力が上がる」と述べたのです。私は「いや、指定校でみんな先生たちが一生懸命頑張るからですよ」といってにわかに信用しない態度を見せましたが、むこうは真剣でした。

  • 「全国学力調査で地区の底辺だったのに、今トップレベルなんです。特に思考・判断のB問題があがりました。ものをつくるには材質の特徴の把握とか法則の発見とか、けっこう理詰めに考える必要があるから、学力が上がるのは当たり前なんですよ。」
  • 「生徒同士、認め合いの風土をつくるからですね。毎朝子供の様子を玄関で見てきたけど、最初の頃は家からもってきた材料を隠すように校門に入っていました。でも今は胸張って友達に『これ持ってきたんだ』って話しながら楽しそうに登校してきます。」
  • 「図工の時間は先生たちが子どもそれぞれの良さを褒めるでしょう?それは他教科にも広がるんです。そしていつの間にか学校全体が子どものよさをみとめ称賛するようになりました。」
  • 「学校の雰囲気が変わって、非行が著しく減りましたから。」
  • 「一生懸命取り組むようになるんですよ、だって遅刻が激減しました。」

など様々ですが、確かに訪問するたびに子供の目が穏やかになったり、髪型や服装に変化が出ていたりしました。保護者や地域と仲良くなるという効果もあり、街で児童画展を始めた学校では、徘徊する子どもを地域の人が連れてきてくれるようになりました。そのような具体的な変化があるのは事実です。自分の現場体験からも、作品が単なる思いつきではつくれないことは知っています。知識、経験、目の前の材料、道具、友達の存在などを駆使して新しい解法を導き出しています。そんな様子は「算数によく似てる」と思っていました。解が一つになるか、一人一人になるかの違いだけでしょう。
 今後、上記のような「言説」をデータとして可視化し、それを保護者に、議会にどう説明していくのかが、課題となっていくのかもしれません。まず、その前に、それぞれの現場でコツコツと「言説」を集めてはどうでしょうか。


※1:ただし、沖縄は復帰のときにそれが起きてしまいました。
※2:10年という期間は子供を取り巻く状況はかなり変わります。
※3:管正隆・奥村高明「子どもの作品を生かした楽しい外国語活動-図画工作と外国語活動の協働-」クレパス、2012
※4:もちろん、図工美術はそういうものではない。質の異なる学力をもとめるべきだという意見もあるでしょう。ここで述べているのはあくまで制度論です。