学び!と美術

 今、多くの人々に共有されている子ども像は、どのような経緯を経て形成されたのでしょうか。昭和22年から平成20年までの変遷を、当時の諮問、審議会答申、学習指導要領などから概観し、今回の改訂における子ども像につないでみましょう。

1.昭和22年学習指導要領(試案)

 昭和22年、日本国憲法が施行され、教育基本法や学校教育法が制定されます。戦前の教育を振り返り、6・3制や学校制度、教育の機会均等など戦後教育の基本的な枠組みが形成されます。教育の生気を取り戻すために、地域や学校の実態に応じて様々な工夫が行われます。発表された「学習指導要領(試案)」に次のような記述があります。
 「このような目標に向かって行く場合,その出発点となるのは,児童の現実の生活であり,またのびて行くのは児童みずからでなくてはならないということである(※1)。」
 子どもは自ら伸びようとする存在であり、目の前の子どもから教育を始める必要があるという「学習の主体者」としての子ども像がうかがえます。

2.昭和26年学習指導要領(試案)改訂版

 昭和22年の学習指導要領の使用状況調査、実験学校による研究などを経て、昭和26年「学習指導要領一般編(試案)改訂版」が示されます。主に道徳教育の導入、配当授業時数の比率の提示、自由研究の解消などです。子ども像については以下の記述から分かります。
 「児童・生徒は,自己の当面する環境を切り開くために,また問題を解決するために,いろいろな活動を行うようになる。すなわち,既往の知識・経験を生かし,さらに,他の知識を求めたりすることによって,環境に働きかけることになる。このような環境との相互の働きかけあいによって,他の知識は自分のものとなり,新たな経験が,自己の主体の中に再構成され,児童・生徒は成長発達していくということができる(※2)。」
 子どもは、自ら学ぶ主体的な存在であると同時に環境との相互行為によって成立するという,主体的かつ関係的な子ども像だといえるでしょう。

3.昭和33年学習指導要領

 戦後復興を果たし、生活の向上や国際社会での地位向上が国民の願いでした。教育においては、生活単元学習や経験主義に対する批判が起こり、各教科のもつ系統性を重視するなど義務教育の水準の維持向上が求められます。
 昭和33年の教育課程審議会答申の打ち出した方針は、道徳の時間の開設、国語・算数科の内容充実と時数の増加、年間授業時数の明示などです。
 昭和33年の学習指導要領では、指導上の留意事項に子ども像に関する記述を見つけることができます。「児童の興味や関心を重んじ,自主的,自発的な学習をするように導く」「児童の個人差に留意して指導し,それぞれの児童の個性や能力をできるだけ伸ばすようにする」などです(※3)。学びの主体が児童生徒であるという姿勢に変わりないようです。

4.昭和43年学習指導要領

 日本は高度経済成長期に入り、国民所得は大幅に向上します。スプートニク・ショックによる「教育内容の現代化」や地域による学力差などから基礎学力の充実が求められます。
 昭和40年の教育課程審議会への諮問では、人間形成の調和がとれた教育課程の編成、教育内容の質的向上、創造性に富み建設的意欲にみちた国民の育成などが示されます(※4)
 これを受けた昭和43年の学習指導要領では「基本的な知識や技能の習得」「健康や体力の増進」「正しい判断力や創造性」「豊かな情操や強い意志の素地を養う」「時代の進展に応ずる」などが方針となります。具体的には算数に集合を導入するなど教育内容の充実が図られ、授業時数も量的なピークを迎えます。子ども像については、昭和33年版と大きな違いは見られません。

5.昭和52年学習指導要領

 高等学校進学率は90%を超え、高学歴化が進行し、受験戦争や校内暴力が報道で取り上げられます。学習負担の適正化や「教育内容をしっかり身につけさせるともに,ゆとりのあるしかも充実したものとすること」(※5)などが教育の課題となっていきます。
 昭和51年の教育課程審議会答申には、「人間性豊かな児童生徒を育てること」「自ら考える力を養い創造的な知性と技能を育てること」(※6)などの文言が登場します。子ども像としては、自ら能力を発揮する存在であることが強調されています。
 昭和52年の学習指導要領では、各教科等の指導内容の精選、集約化、内容の整理統合などが行われますが、最も注目されたのは標準授業時数の削減でした。例えば小学校の5・6年生の総授業数は1,085時間から1,015時間、中学校の1・2年生は1,190時間から1,050時間に減少します。

6.平成元年学習指導要領

 社会の変化は進み、科学技術や経済の進歩だけでなく、情報化、国際化、高齢化、価値観の多様化などの現象が広がり始めます。臨時教育審議会は「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「変化への対応」を提言し(※7)、教育課程審議会は、「豊かな心をもち,たくましく生きる人間の育成」「自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力の育成(※8)」などを提言します。
 平成元年の学習指導要領の改訂では、自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力の育成が重視され、基礎的・基本的な内容の指導の徹底し、個性を生かす教育の充実などが目指されます。具体的には、生活科の新設、思考力、判断力、表現力の育成などです。当時の子ども像がうかがえる文章は下記です。
 「これからの教育においては,児童生徒一人一人は様々な可能性を内に秘め,よりよく生きたいという願いをもち,その可能性を発揮して豊かな自己実現を目指しているという観点に立って,児童生徒の特性をとらえることが大切である(※9)
 子どもは単なる知識や技能を詰め込む箱ではなく、生涯にわたって自らの資質や能力で学び続ける力をもった存在だということでしょう。

7.平成10年学習指導要領

 ベルリンの壁は崩壊し、バブル崩壊によって景気が後退し、日本は政治、経済の面から変革期を迎えます。教育においては、いじめの深刻化、少子高齢化、環境破壊などが問題になります。
 平成8年の中央教育審議会答申では、ゆとりの中で「生きる力」を育むことを重視する提言が行われます。「生きる力」とは、「いかに社会が変化しようと,自分で課題を見つけ,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力」「自らを律しつつ,他人とともに協調し,他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性」「たくましく生きるための健康や体力」です(※10)
 平成10年の学習指導要領の改訂は、完全週5日制の円滑な実施、年間総授業時数の削減、総合的な学習の時間を導入などが行われます。学習指導要領総則には「自ら学び自ら考える力の育成」「基礎的・基本的な内容の確実な定着」「個性を生かす教育の充実」などが示されます。子ども像は、自ら学び主体的に問題解決や探究活動に取り組む姿として明示され、この考え方は、その後ますます重要となっていきます。

8.平成20年学習指導要領

 しかし、平成10年の改訂は、すぐに「ゆとり」批判を受けることになります(※11)。特に、平成15年PISA調査の順位が下降すると、学力論争は燃え上がり、百ます計算ブームが起きます。平成15年に、発展的な内容を指導可能にする一部改正が行われますが、教育をめぐる状況は混沌としていました。
 平成20年改訂は、その解決を目指しました。学校教育法に示された学力の三要素「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力等」「主体的に学習に取り組む態度」を重視し、「生きる力」の育成にも変化はないと明言します。各教科等の目標や内容は、資質や能力の観点から見直されます。習得・活用・探究という学びのプロセス、言語活動の充実などが重視されます。総授業時数も増加に転じます。結果的に学力論争は終結します。
 子ども像は、「生きる力」の子ども観を引き継ぐものでしたが、「自己との対話を重ねつつ,他者や社会,自然や環境と共に生きる,積極的な『開かれた個』(※12)」という関係的な概念が示されます。

 

 昭和22年から平成20年までを概観したとき、子ども観自体に大きな変更はないことがわかります。昭和20年代に提示された子ども像は現在と比べても遜色ありません。その後、主体的な子ども像を引き継ぎつつ、平成に入ると生涯学習的な視点を加え、自ら学び続ける姿として描かれます。そして今回、未来や社会の創り手としての視点が加えられた子ども像に発展します。平成29年の学習指導要領の前文にはこう述べられています。
 「(前略)一人一人の児童が,自分のよさや可能性を認識するとともに,あらゆる他者を価値ある存在として尊重し,多様な人々と協働しながら社会的変化を乗り越え,豊かな人生を切り拓き,持続可能な社会の創り手となることができるようになることが求められる。」
 「不易と流行」という言葉からすれば、日本の学習指導要領が一貫して示し続けてきたこの子ども像こそが戦後教育における最大の「不易」だといえるのではないでしょうか。

 

※1:文部省「第二章 児童の生活」『学習指導要領一般編(試案)』昭和22年
※2:文部省「Ⅲ 学校における教育課程の構成」『学習指導要領一般編(試案)改訂版』昭和26年
※3:文部省「第2 指導計画作成及び指導の一般方針」『学習指導要領総則』昭和33年
※4:昭和40年の諮問「小学校・中学校の教育課程の改善について」における初等中等教育局長の諮問事項説明。出典は文部科学省初等中等教育局教育課程課『学習指導要領の改善に係る答申一覧』平成21年 ※一般に入手することは難しい
※5:昭和48年諮問「小学校、中学校及び高等学校の教育課程の基準の改善について」の文部科学大臣挨拶から。出典は上記註4
※6:教育課程審議会答申『小学校、中学校及び高等学校の教育課程の基準の改善について』昭和51年
※7:昭和62年8月の臨時教育審議会「教育改革に関する第4次答申(最終答申)」。臨時教育審議会は中曽根康弘首相の直属の諮問機関。
※8:教育課程審議会「幼稚園、小学校、中学校及び高等学校の教育課程の基準の改善について(答申)」昭和62年
※9:小学校及び中学校の指導要録の改善に関する調査研究協力者会議『小学校及び中学校の指導要録の改善について(審議のまとめ)』平成3年
※10:教育課程審議会『幼稚園、小学校、中学校、高等学校、盲学校、聾学校及び養護学校の教育課程の基準の改善について(答申)』平成10年
※11:代表的なのは「小学校算数では円周率を3として教えている」という言説である。算数科の学習指導要領で円周率はずっと3.14のままである。3を用いるのは概数概算においてだけであり、限定的な指示であった。しかし、その指示のみを取り上げて人々は「円周率が3」だと思い込み、学力が下がると喧伝した。
※12:中央教育審議会「幼稚園、小学校、中学校及び高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について(答申)」平成20年