学び!と美術

 札幌市立星置東小学校の森實先生と鑑賞活動で大切なことについて考えてみました。

「相互鑑賞」や「対話だけ鑑賞」の違和感

著者:鑑賞の実践はずいぶん盛んになってきました。でも気になることはけっこうあります。代表的なのが「相互鑑賞」で、造形活動を中断してお互いの作品を鑑賞し合わないといけない。子どもたちは自分の表現に夢中になっているのに、それを断ち切られるんですね。
 あるいは「対話だけ鑑賞」で、一枚の美術作品を前に低学年や中学年が延々と語り合っている。発達的には、作品と一体化できる特性があって、いろいろな方法で感じたり考えたりできる年齢なのにと思います(※1)
森實:言語化に違和感がありますね。自分の感じたことや考えたことなどを言葉にして「思考力,判断力,表現力等」を育成することは大切だと思います。でも、そこに、子どもの感じていることが十分表れているかというと、そうではありません。図画工作科や美術科では、子どもが本当に感じていることや考えていることなどは、言語だけで表れないというのが実感です。それが教科的な特徴だと思うのです。実際に、つくる活動の中に鑑賞活動は自然に含まれていますし、できた作品の中にも鑑賞したことが反映されています。
著者:「つくるのは表現」で「見るのは鑑賞」のように、表現と鑑賞を対立的に捉える傾向が背景にあるのでしょうね。「表現活動では、発想や構想、技能が発揮されている」だけで「鑑賞の能力は発揮されていない」と思っているのかもしれません。だからつくることを中断してまで相互鑑賞を行うのだと思います(※2)
森實:指導者が鑑賞ということを難しく考えているのかもしれません。鑑賞活動のねらいはその子その子のアンテナを増やすことだと思うんですね。発見する力、視点をつくりだす力と言い換えてもよいかもしれません。表現活動であれ、鑑賞活動であれ、子どもたちのアンテナが増える学習活動になっているかどうかを考えればよいのだと思います。
著者:アンテナという喩えは面白いですね。子どものアンテナが立つ題材や手立てになっているかをチェックすれば、「相互鑑賞」や「対話だけ鑑賞」は生まれないような気がします。

実践「私の素敵な和のセンス」

著者:アンテナが立っている実践の一つとして、森實先生の授業を取り上げたいと思います。子どもが着物や和食など日本風だと思われているものを鑑賞した後に、そこからエッセンスみたいなものを取り出して、扇子として表すという実践ですね。
森實:扇子というのは結構たまたまで(笑い)。屏風と違って「生活に使える」「親しみがある」と思ったんですね。試しにつくってみると「折りたたんで持てる」「開いた時美しい」ので「ああ、これは子ども達も楽しいかな」と。でも、そこにこだわっているわけではないんです。つくるものは何でもいいんです。
著者:というと学習のねらいは扇子づくりにはない?
森實:ええ。子どもたちの生きている生活の中に「和」はあって、その「和」ということを、その子らしいアプローチで、気づいて、考えて、その子なりにたどり着けばいいなと思いました。
著者:なるほど、私達の思う「和」や日本風を押し付けるのではないのですね。日本の伝統的な美を題材にすると、つい「自分たちの和」「大人の考える日本風」を押し付けがちになります。でも、材料は一応提供するけど、そこから何を感じるかは子どもたちに任せてみたわけですね。
 実際、できた扇子は様々ですよね。大人の言葉にすれば「空間的な構成」、「淡い色で表す季節感」、「繰り返しの様式美」などいろいろです。一つ一つの扇子の中に、その子の感じ考えた「和」がある感じがします。事実的な知識としての「和」ではなく、その子なりの概念的な知識としての「和」が成立している。
森實:この授業には、地域人材活用として美術の専門家に参加してもらいました。その方は、自分の価値観を押し付ける人ではなくて、子どもたちの実践を認めてくれるんですね。「これは空間を生かしたのかな?」「ほら、淡い色にはこういう作品もあるんだよ」って。その言葉に、子どもたちはずいぶん後押しされました。自分の考えた「和」に対して「これでいいんだ」と自信をつけたみたいです。
著者:なるほど、子どもに寄り添える大人が子どものそれぞれの感じや考えを言葉に変換して、新しい知識として定位させた感じでしょうか。
森實:この実践では、扇子の形はみんな同じなんですね。だから表現と言い切ってしまうのは、ちょっと心配で、私としては、この実践は鑑賞かなと思います。扇子そのものは作品というより、国語で言えば自分の考えを文字で表した感想文のような位置づけですね。
著者:その扇子から対話や感想文などには表れない子どもたちの感性や論理性が見えるような気がします。「ぼくの見つけた『和』はこれだよ!」みたいな声が聞こえてきそうです。言い換えれば、扇子の中に多様な「思考力,判断力,表現力等」が可視化されています。
 また、子どもたち一人一人は身の回りの生活や社会の中から、「自分の和の世界」をつくりだしていますよね。それは、ささやかだけれども「社会に開かれた教育課程」と言っていいかもしれません。
森實:美術館を出たときに、自分のまなざしが変化していることに気付くことがあります。何気ない標識や壁がアートに見えるというか、世界の美しさを感じるというか。私の目指したところはそこなんです。子どもたちの世界というか……なんだろう、遊びの幅を広げられたのだったらうれしいですね。
著者:遊びの幅という表現はいいなあ。新しい学習指導要領で言えば、「見方・考え方」が豊かになったということですよね。シンプルな題材なのだけど、子ども一人ひとりがよく感じ、考えています。これは絵だ、これは鑑賞だという内容から題材を考えるのではなくて、「思考力,判断力,表現力等」から考えていったら、こんな題材になったということだと思います。これから求められる題材の考え方ではないでしょうか。

「思考力・判断力・表現力」から鑑賞活動を考える

著者:子どもの事実としては、鑑賞はいつも自然に行われています。「ここをどうしよう」「何の色にしよう」と考えているときに、じっと自分の作品を見ていますし、キョロキョロと周りから情報を取り入れています。美術作品を鑑賞しながら、新しいことを発想しているし、作品の前後まで思いを巡らしたりしています。表現題材であっても鑑賞題材であっても、鑑賞という「思考力,判断力,表現力等」は働いています。
森實:鑑賞だ、表現だと考えるのではなく、「思考力,判断力,表現力等」から考えるということですか?
著者:はい。今回の改訂で、学習指導要領は、小中一貫して資質・能力ベースになりましたよね。そして「思考力,判断力,表現力等」の中に「発想や構想の能力」と「鑑賞の能力」が統合されたような形になりました。すると「表現と鑑賞がまずあって、そこでそれぞれの能力を伸ばして……」ではなく「『思考力,判断力,表現力等』を高めるために、学習活動がどうあればよいか」「表現と鑑賞がどう関連しあうのか」ということになるはずです。
森實:これまで通り、子どもから考えていけばいいんですよね……。
著者:そうですね。いくら理屈っぽく言っても、結局はそういうことだと思います(笑)。子どもの考える姿から鑑賞活動を工夫するということでしょう。今日はありがとうございました。
森實:ありがとうございました。

 

※1:対話だけでなく簡単なアクティビティを取り入れることが大事だと思います(学び!と美術<Vol.34>「探求的な鑑賞~探究活動を基盤とする美術鑑賞『Inquiry Based Appreciation』」
※2:相互鑑賞を指導過程に入れておけば先生は安心するからなのかもしれません。