学び!とシネマ

学び!とシネマ

静かなる情熱 エミリ・ディキンスン
2017.07.26
学び!とシネマ <Vol.137>
静かなる情熱 エミリ・ディキンスン
二井 康雄(ふたい・やすお)

© A Quiet Passion Ltd/Hurricane Films 2016. All Rights Reserved.

 エミリ・ディキンスンは、アメリカの女性詩人である。時代は19世紀半ば。生まれは1830年で、1886年に亡くなってから、多くの詩が世に出る。家族とその周辺とのつきあいしかないので、どのような人物か、くわしくは分かっていないらしい。
 詩は、自然、信仰、愛、死などをテーマに、繊細な言葉で紡がれる。死後、有名になったエミリ・ディキンスンの詩に、著名な人物が影響を受ける。武満徹は、詩の一節からひらめいて、フルート、ハープ、ヴィオラのために、「そして、それが風であることを知った」を作曲。サイモン&ガーファンクルは、「エミリー・エミリー」、「夢の中の世界」を作り、唄う。また、ウディ・アレンの短編集のタイトル「羽根むしられて」は、エミリ・ディキンスンの詩の一節と呼応していると、ウディ・アレン自身が述べている。
 では、エミリ・ディキンスンとは、どのような女性だったのか。映画「静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」(アルバトロス・フィルム、ミモザフィルムズ配給)が、フィクションながら、そのひとつの答えを出す。
 アメリカ、マサチューセッツ州の女性だけの専門学校。エミリ(シンシア・ニクソン)は、信仰にまつわる学校での教えに、馴染めずにいる。弁護士の父エドワード(キース・キャラダイン)は、そんなエミリを、アマストの実家に連れ帰る。エミリは、両親、兄のオースティン(ダンカン・ダフ)、妹のヴィニー(ジェニファー・イーリー)と暮らすことになる。

© A Quiet Passion Ltd/Hurricane Films 2016. All Rights Reserved.

 エミリは、自分に忠実で、何の疑問もなく、信仰を受け入れたりはしない。夜、エミリは詩を綴る。署名のないエミリの詩が、地元の新聞リパブリカンに掲載されるが、「有名な文学は男の作品で、女に名作は書けない」と、編集長は言う。そんな時代だった。
 エミリは、妹のヴィニーの計らいで、資産家の娘バッファム(キャサリン・ベイリー)と仲良くなる。快活で、進歩的な考えを持つバッファムに、エミリは惹かれていく。
 奴隷制度をめぐって、南北戦争が始まる。すでに結婚し、息子が生まれたオースティンは、戦地に向かおうとするが、父が阻止する。オースティンは、ディキンスン家のひとり息子で、家系を守る父の考えに、参戦をあきらめる。ゲティスバーグで51112人、スポットシルベニアで31086人、アンティータムで23134人。多くの若者が戦場に散っていく。
 エミリは、詩を作り続けている。「詩を作るのは私の日常。それは救いのない者への唯一の救い」とエミリ。
 何らかの形で、後世に詩を残したいエミリは、新任のワズワース牧師に、自作の詩を手渡す。
 バッファムの結婚、ワズワース牧師の転任と、大切な人たちが、エミリの許を離れていく。
 ひとり、閉じこもるエミリの生き甲斐は、詩を作ること。やがて、エミリは両親の死に立ち会い、重い腎臓の病魔と戦うことになる。それでも、エミリは、詩を作り続ける。
 生前に発表された詩、10篇。死後、発見された詩、1800篇。

© A Quiet Passion Ltd/Hurricane Films 2016. All Rights Reserved.

 劇中、ドラマの展開にあわせて、いくつかの詩が登場する。ことごとく繊細で、峻烈。魂のありかを模索続けるかのよう。「魂は自分の社会を選び そして戸を閉ざしてしまう その神聖な仲間に だれも加えてはならない」、「このひとは詩人だった ごく普通の意味から 驚くべき感情を蒸留し 戸口に散る 平凡な種類の薔薇から 限りない芳香をひきだすのだ」。
 控えめながら効果的、使われる音楽の品が実にいい。ベルリーニのオペラ「夢遊病の女」より第2幕のアリア「ああ!信じられない、花がこんなに早く萎むとは」。ショパンのワルツ第17番。ベートーヴェンの「7つのレントラー」の一節。シューベルトがマテウス・フォン・コリンの詩に曲をつけた「夜と夢」。エドゥアルト・シュトラウスのポルカ「テープは切れた」などなど。
 エミリ・ディキンスンの伝記というより、エミリ・ディキンスンの魂に捧げたような映画。アメリカの詩人の映画だが、イギリスとベルギーの合作になる。脚本、監督は、イギリス出身のテレンス・デイヴィス。イギリスでは高い評価のある監督で、いくつかの監督作品があるが、日本ではほとんど未公開。エミリ・ディキンスンを演じたシンシア・ニクソンをはじめ、ヴィニー役のジェニファー・イーリー、エドワード役のキース・キャラダイン、バッファム役のキャサリン・ベイリー、オースティン役のダンカン・ダフと、舞台経験のある俳優がズラリ。重厚な演技がぶつかりあって、見ものである。
 ちなみに、エミリ・ディキンスンの詩集は、「対訳 ディキンスン詩集―アメリカ詩人選<3>」(岩波文庫・亀井俊介 編・訳)をはじめ、日本でもいくつか出版されている。新しいところでは、「わたしは名前がない。あなたはだれ? エミリー・ディキンスン詩集」(KADOKAWA・内藤里永子 編・訳)。映画をご覧になる前でも後でも、ぜひお手にとって、読まれたい。

2017年7月29日(土)より、岩波ホールico_linkほか全国順次ロードショー

『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』公式Webサイトico_link

監督:テレンス・デイヴィス
出演:シンシア・ニクソン、ジェニファー・イーリー、キース・キャラダイン
2016年/イギリス・ベルギー/英語/カラー/125分/シネマスコープ/ドルビーデジタル/DCP
原題:A QUIET PASSION
字幕:佐藤恵子
字幕監修:武田雅子
提供:ニューセレクト、ミモザフィルムズ
配給:アルバトロス・フィルム、ミモザフィルムズ
宣伝:ミモザフィルムズ
宣伝協力:テレザ、高田理沙
後援:日本エミリィ・ディキンスン学会、ブリティッシュ・カウンシル