学び!とシネマ

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花咲くころ
2018.02.01
学び!とシネマ <Vol.143>
花咲くころ
二井 康雄(ふたい・やすお)

© Indiz Film UG, Polare Film LLC, Arizona Productions 2013

 いまはジョージアというらしいが、かつてグルジアといっていた国がある。1991年、旧ソビエト連邦から独立、初代大統領にガムサフルディアが就任したが、反政府派との対立が激化、首都トリビシでは市街戦にまで発展した。その後も、あちこちで内戦、紛争が起こる。
 つい最近、相撲の世界では、ジョージア出身の栃ノ心が、久しぶりの平幕優勝を遂げたが、もともと、優れた映画作家を多く輩出した国である。「放浪の画家 ピロスマニ」を撮ったギオルギ・シェンゲラヤ、「落葉」を撮ったオタール・イオセリアーニ、「懺悔」を撮ったテンギズ・アブラゼなどなど、枚挙にいとまがない。
 ジョージアでは、相次ぐ内戦のため、多くの犠牲者が出る。経済的にも打撃を受ける。それでも、ジョージアの映画作家たちは、映画を撮り続けている。
 このほど、岩波ホールの創立50周年を記念して上映される「花咲くころ」(パンドラ配給)もその一本だ。2013年の東京フィルメックスでは、最優秀作品賞を受けている。なぜ、今まで公開されなかったかが不思議だが、一般公開にあたって、改めて見直してみた。

© Indiz Film UG, Polare Film LLC, Arizona Productions 2013

 1992年のトリビシ。14歳になる少女エカ(リカ・パブリアニ)と、ナティア(マリアム・ボケリア)は、幼なじみの仲良しだ。エカは、母アナ(アナ・ニジャラゼ)と、姉ソフィコ(マイコ・ニヌア)の三人で暮らしている。父は、理由が判然としないが、刑務所に入っている。一方、ナティアの父(テミコ・チチナゼ)はアルコール中毒で、家庭でのいざこざが絶えない。
 ジョージアのあちこちでは、いつ戦闘が起こっても不思議ではない。ふたりの少女は、食料を配給する列に並び、他愛のないおしゃべりをする。
 パンの配給がある。エカとナティアが並んでいる。その場で、ナティアに思いを寄せている少年のコテ(ズラブ・ゴガラゼ)が、不良仲間たちと現れて、ナティアを誘拐してしまう。ジョージアに古くからある風習の、いわゆる誘惑婚で、ほんの20数年前には、存在していたことが分かる。
 コテとナティアの結婚を祝う宴会が、コテの家で開かれる。誘拐されて、結婚を強要されたナティアの胸の内は、さぞかし複雑だと思うが、もはや観念したかのように、微笑んでいる。エカは、酒を呑み、とつぜん、狂ったように踊りだす。

© Indiz Film UG, Polare Film LLC, Arizona Productions 2013

 エカの父親は、仲良しだった友人を殺した罪で、服役しているらしい。今日の味方が、いつ敵になるとも限らない時代である。女性への蔑視が常識でさえある。ナティアが誘拐されようとしても、大人は誰ひとり、助けようともしない。エカの、さまざまな怒りを込めたと思われる踊りは、圧巻だ。
 このような時代である。雨の中、エカとナティアは、歌いながら、駆け抜けていく。
 厳しい時代で、理不尽な状況である。にもかかわらず、映画は声高に叫ばない。淡々と、丁寧に、1992年のトリビシの現実をすくいとっていく。
 監督は、1978年にトリビシで生まれたナナ・エクフティミシュヴィリと、その夫であるジモン・グロス。ナナ監督は、自らの少女時代をふりかえって、脚本を書いたという。
 ジョージアには、昔から、優れた映画監督が多い。国民もまた、それだけ、映画が好きなのだろう。映画は、時代を記憶し、未来を納得あるものにしていく責務を負ってもいる。
 原題は、「長く明るい日々」といったほどの意味だ。やがて、大人になるエカとナティアに、花が咲き、明るい未来があるはずである。

2018年2月3日(土)~、岩波ホールico_linkにてロードショー、以下全国順次公開

『花咲くころ』公式Webサイトico_link

監督:ナナ・エクフティミシュヴィリ、ジモン・グロス
出演:リカ・バブルアニ、マリアム・ボケリア、ズラブ・ゴガラゼ、ダタ・ザカレイシュヴィリ
2013年/ジョージア(グルジア)・ドイツ・フランス合作/ジョージア語/102分/1:2.35
後援:在日ジョージア大使館
配給:パンドラ