学び!とシネマ

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ゲッベルスと私
2018.06.14
学び!とシネマ <Vol.146>
ゲッベルスと私
二井 康雄(ふたい・やすお)

© 2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

 第二次世界大戦中、ヨーゼフ・ゲッベルスは、ナチス・ドイツの宣伝担当の大臣だった。ヒトラーに仕え、ドイツ国民に向けて、さまざまなメッセージを発するなど、重要な役割を果たした政府高官である。
 このゲッベルスの秘書をしていた女性、ブルンヒルデ・ポムゼルが生きていて、2016年のオーストリアのドキュメンタリー映画「ゲッベルスと私」(サニーフィルム配給)で、終戦から69年後、インタビューに応じる。映画の制作時、ポムゼルは103歳。30時間におよぶインタビューだった。
 「言われたことだけをタイプしていただけ」、「ホロコーストについては、なにも知らなかった」、だから、「私に罪はない」と、ポムゼルは言う。
 ポムゼルは、「与えられた場で働き、良かれと思ったこと、みんなのためにと思って働いてきた」と語る。だが、ポムゼルは、当時から、なにも知らなかったわけではない。「自分がやっていることはエゴイズムなのか」と自問し、「抵抗する勇気はなかった。私は臆病だった」と語っているのだから。そして、ポムゼルはきっぱりと言う。「あの体制から逃れることは絶対にできない」と。

© 2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

 ゲッベルスは当時、ヒトラーに次ぐ権力者で、その演説は、力強く、国民を鼓舞する。「勇気を持って、危険な人生を送れ!」と。
 ポムゼルがゲッベルスの人となりを語る。育ちが良く、おとなしく、紳士的な人だった。ところが、ゲッベルスは、演説で豹変する。小さな体から大きな声を出す。
 ナチス・ドイツのホロコーストが本格化する。多くのユダヤ人が強制収容所に送られる。当然、いろんな情報が制限されている。ポムゼルは言う。「みんな私たちは知っていたと思っている」、「私たちはなにも知らなかった。とうとう最後まで」。
 ゲッベルスは、力強く演説する。「ユダヤ人の気質は伝染性だ。感染してしまう。我が国の反ユダヤ政策に対し、敵は偽善的に抗議する。……我々は総統の命令に従う。……国民よ 立ち上がれ! 嵐よ 吹き荒れろ!」
 1945年、戦争が終わる。ヒトラー、ゲッベルスは自殺する。ポムゼルはソ連の強制収容所に収監される。当時と戦後を振り返って語るポムゼルの言葉に注目されたい。重く、深く、聞く者の耳に突き刺さってくる。
 2017年、ポムゼルは106で亡くなる。100年もの年輪を重ねたポムゼルの顔の深いしわが、すべてを物語っているよう。

© 2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

 映画には、ゲッベルスの演説や、当時のアーカイブ映像が挿入される。アメリカ合衆国ホロコースト記念館所蔵の、スティーブン・スピルバーグ・フィルム&ビデオ・アーカイブ・コレクションからの映像である。なかには、目を覆うようなシーンもあるが、注視されたい。
 いま、日本では、戦争が起きやすいような法が多く成立し、緊張をあおるような外交政策をとっている。公文書が隠蔽され、改竄までされている。圧力、圧力では、世界のもめごとはなにも解決しない。
 映画に限定してでも、ドイツやオーストリアでは、いまなお、過去の歴史を、いろんな角度から、検証し続けている。二度と戦争が起きないようにという、ごくあたりまえのことである。
 このドキュメンタリー映画を監督したのは、以下の4名。クリスティアン・クレーネス、オーラフ・S・ミュラー、ローランド・シュロットホーファー、フロリアン・ヴァイゲンザマー。優れた、貴重な映画だ。
 だれしも、幸せに生きようと思っている。ポムゼルという女性も、そのひとりだろう。ポムゼルに、罪悪感、無力感をもたらしたのが戦争である。映画を見て、思う。戦争の歴史を語り続け、世界じゅうの理性と知恵を集めること、と。

2018年6月16日(土)より、岩波ホールico_linkほか全国劇場順次ロードショー

『ゲッベルスと私』公式Webサイトico_link

監督:クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー、オーラフ・S・ミュラー、ローラント・シュロットホーファー
オーストリア映画/2016/113分/ドイツ語/16:9/白黒/日本語字幕 吉川美奈子
配給:サニーフィルム
協力:オーストリア大使館|オーストリア文化フォーラム/書籍版:『ゲッベルスと私』紀伊國屋書店出版部