学び!と道徳2

1 初めに

 はじめまして。このたび、大原龍一先生『道徳教育で素敵な人生を創ろうよ』に続き、「学び!と道徳」を担当させていただくことになりました。
 グローバル化が進む中、2020年には東京でオリンピックが開催され世界中から多くの人々が日本にやってきます。多様な見方や考え方を尊重し、温かく迎え入れる思いやりや広い心が必要となります。私たち教師は道徳教育を通して、将来を担う生徒たちを世界の人々から尊敬される道徳性豊かな国際人へと育てましょう。
 私は教職大学院で、院生たちが道徳教育について学ぶために自主的に立ち上げた「道徳教育研究会MOS」の世話人をしています。このシリーズには、3人のMOSのメンバーに参加してもらおうと思います。
 まずは、3人(道子、真理、響)の紹介をします。道子はMOSの代表で、大学院では道徳教育をテーマに研究しています。社会の先生を目指しています。真理は、数学が専門で、何事も理論的に考える理系女子です。響は、音楽の先生を目指す感性豊かな男子学生です。この3人と私で道徳教育について対話をしながら考えていきますので、よろしくお願いします。

2 モラルとマナー

時事通信社

「みんなこの写真を見たことがあるかな?」
「見たことないな……。」
真理「多くの人が品物を買うために並んでいるコンビニエンスストアの写真かな。」
「さすがに真理は理論的だな! この写真は、イギリスのBBCが作成した東日本大震災レポート「Pray for Japan」の中の1枚です。このレポートは世界中に報道され、人々に驚愕と賞賛を引き起こしました。そこで本日のアクティビティーです。世界の人々はこのような写真を見て、日本人のどういった面を賞賛したのだろうか?」
「割り込みをしないで順番を守っている。」
真理「震災などが起きると、食料などを求めて略奪が起きることが多いのに、お金を出して買っている。」
道子「みんなが協力して、災難を乗り越えようとしている日本人の道徳性。」
「そうかな? みんなと同じことをしないと非難されたり、仲間はずれにされたりするからだと思う。」
「そのことを同調性、同調圧力といいます。」
道子「人間って、自分だけよければというような弱さや醜さがある反面、溺れている人を我も顧みず助けるような道徳心もある。」
真理「道徳ってどのようなものですか?」
「広辞苑には、『人のふみ行うべき道』と出ている。」
「道徳の『道』は、『判断や行為をするときの筋道のある考え』という意味です。また、『徳』の旧字は『悳』で、『真』と『心』という二つの字が結合して出来ていて、『真っすぐな心』という意味です。道と徳の二つをつなぐと『判断や行為をするときに規範となる真っすぐな心』というような意味になります。
 欧米では道徳をモラル(moral)といいますが、これはラテン語のモース(mos)が原語となっています。モースの意味は、習慣、風習、行儀などですが、きまりや道の意味もあります。つまり、『古くから多くの人々に行われているもの』という意味だと思います。
 モラルとともにマナー(manner)という言葉が使われますが、マナーという言葉は、ラテン語のマヌス(manus)『手』という言葉から発生したと言われています。手動を意味するマニュアルや爪につけるマニュキアもマヌスから発生した言葉です。つまり、体の中の一部である手を語源としているマナーは、『一部の場所や時代で行われているものである』という意味があります。これに対して、モラルは『時代を越えて世界中の多くの人々が行うことが当然であるものと思っているもの』だと考えてよいでしょう。」
「なるほど、レディーファーストは欧米のマナーだから、日本ではやらなくてもいいということだ。」
真理「何を言っているの、時代が変わったのよ!」
道子「グローバル化の時代、多様な価値観を尊重することが求められているけれど、マナーは多様な価値観であり、モラルが普遍的な価値ということかな……。」

3 人格とは

「本日二つ目のアクティビティーは、『人格』についてです。教育基本法の第1条には『教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない』と、人格の完成が教育の目的とされています。皆さんは、人格とはどのようなものと考えていますか?」
「そんなこと今まで考えたこともない。たぶん、人間性と同じだと思う。」
道子「人格が素晴らしい人を人格者というから、道徳性と同じでは?」
真理「言動が素晴らしいからといって、道徳性が優れていると判断していいのかな。心の中では何を考えているかわからない。」
「東日本大震災の時、『心は見えないが心遣いは見える。思いは見えないが思いやりは見える。』というコマーシャルがテレビで盛んに流れていたことを覚えていますか。私たちが研究している道徳教育は心の教育といわれるように、道徳的な行為を実践することができる心の力を育てることに取り組んでいます。

 右の図は、人間を、『周りからは見えない心(理性や感性)』と『見える行動や判断できる言葉』の関係から表したものです。私たちの言動には、親や先生からこのような時はこのようにするのだと教えられた通りに行う他律的なものと、自分でどうすればよいか道徳的な価値に基づいて考え判断して行う自律的なものがあります。何も知らない子供には他律的な指導性が必要ですが、自らの力で生きていかなければならない大人には自律性が求められます。
 ここで本題である人格について話を戻しましょう。人格は、英語ではperson、personalityといいますが、personの原語はラテン語のペルソナ(persona)で、顔の前にあるもの、仮面という意味です。真理さんが考えるように仮面の下にどんな心が隠れているかとても心配ですね。哲学や倫理学では、心の中で道徳的な価値に基づいて考えたり思ったりしたことが言葉や行動となって現れると考え、人格に道徳的な価値を含めて考えます。
 しかし、心理学では、刺激に対する反応を心(性格)と考えるので、道徳的な価値を含めません。また、私たちが取り組んでいる教育学や道徳教育では、教育基本法にあるように、人格は人間の成長の過程の中で形成されていくものと考えられています。」
真理「人間は人格という仮面をかぶっているということですか。相手に自分の顔を見せないからSNSやネット上で平気で悪口を書くことができるわけだ……。」
道子「だから私たちは、仮面の下にある心を育てるために道徳教育を研究しているのです。」
「わかりました。道徳教育研究会MOS代表!」

4 次回に向けて

 第1回はご満足いただけましたでしょうか?
 次回からはしばらく、道徳教育そのものについて考察してみたいと思います。道子、真理、響たちにも引き続き参加してもらおうと思います。
 これから10回にわたっての連載になります。頑張りますので、ご期待ください。