学び!と歴史

承前

 徳川王国を軍事力で制圧した新政府は、「開国和親」をかかげ、欧米列強に対峙しうる国家の創成をめざします。その方途は、「万国公法」が支配する世界秩序の中に新興の日本国が一個固有の場をしめるべく、列国につらなるにふさわしい「文明国」にならねばなりません。ここに国家をあげての「文明開化」が至上命令とみなされたのです。
 西郷は、このような明治国家の在り方をめぐり、政府内で孤立感をふかめていきます。西郷の思いは、庄内藩士らが薩摩に赴き、西郷に教えを乞い、その聞くところを「南洲翁遺訓」として明治23年に荘内で刊行、さらに29年に佐賀に人片淵琢がが『西郷南洲先生遺訓』として東京で刊行されたものに読み取れます。この「遺訓」は、有志によって写し継がれ、そこに記されている言を人びとが口ずさみ、大切に伝えられました。
 荘内藩は、戊辰の際に佐幕藩であった藩の苦境を西郷に救われた恩義に感じ、その徳を慕います。そのため西郷の死を悼み、西郷を祀る西郷神社を建立しています。ここには、「鎮西狂賊兵強大権衰之馬鹿」と「揶揄罵倒」された存在とは全く異質な、西郷隆盛という人物が発した磁力の大きさを見ることが出来ます。この磁場は西郷が問い語る為政者たる者に問われる識見にみることができます。

「政治」を担う者には何が問われるか

 西郷が治者に求めたのは、天道を行う、徳ある者です。「遺訓」第1は政治に関わるものの責任を問うています。いかにも国家に功労あろうとも、適切なる人材の登用が大事なことだと。

廟堂に立ちて大政をなすは天道を行ふものなれば、些とも私を挟みては済まぬもの也。いかにも心を公平に操り、正道を踏み、広く賢人を選挙し、能く其職に任ふる人を挙げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫れゆゑ真に賢人と認る以上は、直に我が職を譲る程ならでは叶はぬものぞ。故に何程国家に勳労有る共、其職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其人を選びて之を授け、功有る者には俸禄を以て賞し、之を愛し置くものぞと申さるる

ここには見果てぬ統治の夢が語られています。西郷はこの夢を体現した者として被治者の心に刻印されていきます。

戊辰の義戦も偏へに私を営みたる姿

 かつ万民の上に立つ者には、人民の模範となり、勤労する民の心に寄りそうことが肝要であるとなし、新政府の創業者の実態を論難、「戊辰の義戦」も私的利益の追及になり、「天下に対し戦死者」に顔向けできないと涙して悲憤慨嘆しています。

 己を慎み、品行を正しく、驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民其の勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し。然るに草創の始に立ちながら、家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾を抱へ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷也。今と成りては、戊辰の義戦も偏へに私を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して面目無きとて、頻りに涙を催されける。

 まさに西郷は、新国家創業をめざす政府の実態に深く絶望し、文明政府の在り方を論難してやみません。その想いは、各国の制度を学び、「開明」に進むにしても、みだりに外国の制度文物を受け入れることではない。まず、日本の「本体」、あるべき姿をみきわめ、徳を以て人を教え導く基本を確立したうえで他国の長所を斟酌すればよいのだと、「文明開化」に狂奔する潮流に釘を刺します。

広く各国の制度を採り開明に進まんとならば、先づ我国の本体を居(す)ゑ風教を張り、然して後徐(しず)かに彼の長所を斟酌するものぞ。否らずして猥りに彼れに倣ひなば、国体は衰頽し、風教は萎靡して匡救す可からず、終に彼の制を受くるに至らんとす。

 ここには、他国の文明に向き合ううえでの、基本的な視座が提示されています。西郷には、戊辰の勝利に酔い痴れる「維新の功臣」の姿を目にするにつけ、圧倒的な物量で迫ってくる欧米の奔流に流されていく日本の現状への深い憂国の情がほとばしりでたのです。この思いこそは、戊辰で血を流した同輩の苦境をみるにつけ、国家を壟断する「功臣」の輩への悲憤となり、「問罪」を掲げての決起に奔らせたのです。いわば西郷隆盛の政治哲学は、徳のある政治を実現すべく、天の声に耳傾けねばならないとの想いにこめられているように、統治される被治者の場に寄り添うことを第一義としたものです。その想いこそは、戦乱で苦境にさらされた民にしても、一方で西郷の秘めたる志にある共感をいだき、時と共に苛政からの解放幻想をいだかせることになったのだといえましょう。民衆は、西郷隆盛のなかに、あるべき政治の在り方をみいだし、西郷をかたることで見果てぬ政治への思いを託そうとしたのです。有為なる政治家は、西郷を見つめることで、己の在り方を問い質してきたのですが、昨今はかかる政治家を見出すこともない時勢ではないでしょうか。それほどに政治が劣化しているのが現在なのではないでしょうか。

 

参考文献

  • 山田済斎編『西郷南洲遺訓 附 手抄言志録及遺文』岩波文庫 1939年