社会科FAX情報
(小学校 社会)

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水の知識 ほか
2009.07.06
社会科FAX情報(小学校 社会) <No.75>
水の知識 ほか
日本文教出版 社会科編集部

梅雨明けも間近の7月となりました。子どもたちは夏休みを心待ちするいっぽう,先生方は夏休みまでにすませなければならないあれこれに追われる日々かと存じます。今しばらくは天候不順の日が続くことと思いますので,どうぞ健康にはご留意ください。

FAX情報75号をお届けいたします。学習指導のお役に立てば幸いです。

■水の知識

夏休みが終わると,4年生では水道について学習する時期となります。水道についての情報を得るには各自治体の水道を管轄する部署で求めることが多いと思われますが,水資源機構(国土交通省を中心に,農林水産省・厚生労働省・経済産業省の四省庁が所管する独立行政法人)のWebページ(http://www.water.go.jp/ico_link)中,「水の資料館」あるいは広報誌「水とともに」から,授業で使えそうなさまざまな情報が得られます。ここに前者の中から一部を紹介します (一部,表記に手を加えました) 。

●地球の水の量
 私たちの地球には,およそ14億Km3の水があると言われています。しかしそのうちの約97%が海水であり,淡水は約3%しかありません。そしてこの淡水の約70%は南・北極地域の氷として存在しており,地下水を含め,川の水や湖・沼など,私たちが生活に利用できる淡水は地球上の水のわずか0.8%でしかないのです。

●江戸時代にも売られていたおいしい水
 江戸時代,飲み水として井戸水が使われていました。しかし,海辺では塩分が混じったり,雨が少ないと濁りの入ったりする井戸も多く,さらには井戸まで遠い家などもたくさんありました。そういう人を相手に上流のきれいな水を売り歩いたのが「水屋」です。
 江戸や大阪などの大都市では,毎日利用する客が相当いたそうです。比較的,良質の水に恵まれた日本ですらこうなのですから,中国やヨーロッパの都市では「水屋」は日常に欠かせないものでした。近代水道が普及する19世紀後半まで,パリやロンドンの街角には水売りの姿がいつも見られました。

●多くの水が輸入されている
 日本はたくさんのものを輸入していますが,それらを生産するためには水が必要であり,間接的に水を輸入していることになります。日本が海外から輸入しているものを,もし日本で作ったとして必要になる水のことを,仮想水(かそうすい=バーチャルウォーター)といいます。
 例えば,食パン一斤に必要な水は500~600リットルで,これは2リットルのペットボトルで250~300本分に相当します。また,ステーキ200グラムに必要な水は,約4,000リットルで,2リットルのペットボトルで約2,000本に相当します。日本国内での年間の水使用量は約870億トンといわれています。それに対して,仮想水量は年間約640億トンといわれており,仮想水の輸入量は,日本国内の使用量の約3分の2に相当します。

※なお,お酢のメーカーとして知られるミツカンが,1999年に設立した「ミツカン水の文化センター」(http://www.mizu.gr.jp/index.htmlico_link)にも,授業で使えそうな情報(たとえば,進化する下水と河川/水から見る遊び,教育の風景/雨水利用の展開/水と食文化-飲料水の変遷/天然ガキをよみがえらせた大造林など)がたくさんあります。こちらも参照されてはいかがでしょうか。

■鉄砲はどこから来たか

 7月は,6年生では戦国時代を学ぶ時期です。ここで必ず触れられるのが,ポルトガルから鉄砲が伝えられ,急速に普及していったことです。さて,このとき種子島に伝わった鉄砲は,どこでつくられたものだったのでしょうか。
 鉄砲伝来の地,種子島に「種子島開発総合センター」が開所した折の記念講演を収録した本(種子島開発総合センター編「鉄砲伝来前後」有斐閣,昭和61年刊)に,上記の疑問を抱いて調査をされた,故・所荘吉氏(日本有数の銃砲関係資料コレクター)による講演の記録がありましたので,その要旨を紹介いたします。
 「この土地に,伝八板金兵衛作,国産第一号といわれている鉄砲がある。これを初めて見たときに思ったことは,日本で通常見る火縄銃とかなり違ったところがあるということであった。
 写真で見るヨーロッパの火縄銃とも異なるが,ポルトガルやスペインの地方的な特色が原型となっているのだろうかと思って調べたが同じものは見あたらない。たまたまニューヨークのメトロポリタン博物館の所蔵品リストに似通ったものがあり,調べてみるとマレーシア・インドネシア・タイ・カンボジア・ベトナムあたりで見られることがわかった。しかも,この火縄銃とヨーロッパの火縄銃とでは,点火の仕組みが異なっている。
 また,1503年,インドにやってきたポルトガルの艦隊が,ゴアでつくられたといわれる火器によってインド側から砲撃されている。1517年にはマラッカが攻略され,ポルトガル人に占領されたが,そのときマラッカ軍から3000挺もの火砲が戦利品として分捕られている。このことから,大航海時代以前から東南アジアには火器があったことがわかる。当時,東南アジアの技術はたいへん進んでいたということである。
 種子島へ最初にきた鉄砲は,ヨーロッパ製でも中国製でもなく,東南アジアでつくられたものである。ただし,この東南アジアの鉄砲のオリジナルは,現在の所不明であり,いろいろ想像をたくましくする以外にない。」

お詫びと訂正
6上教科書中に下記の誤りがございました。お詫びして訂正させていただきます。
p.74地図:飾磨の文字の下の・を削除します。