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概要

どうとくのひろば No.17

道徳理論功利主義義務論徳倫理最大多数の最大幸福の実現関係する人々の善(幸福)を実現することが正しい普遍的な道徳法則の遵守道徳規則を守ることが正しい徳ある行為の実践徳のある人の行動が正しい行為や規則の正しさに注目行為者(人柄)の善さに注目「善き社会」の理想善悪の基準注目ポイント規範の源泉表1 善き社会と道徳理論善悪の基準善悪と一口にいってもいろいろな意味合いがあります。たとえば,「善悪の基準」といった場合,自分が善いと思うか否かという主観的な基準でもありうるし,社会の中で善いと認められるか否かという正しさの基準でもありえます。前者の意味のものを「善」,後者の意味のものを「正」とひとまずいうとして,ここで重要なのは,「善悪の基準」を考えるときに前提となる善と正の関係です。「善悪の基準」の考え方としては,功利主義と義務論が代表的なものとして挙げられます。功利主義の考えによれば,ある行為について,社会を構成する個々の人々が享受する善の合計が最も大きくなる結果をもたらすなら,その行為は正しいとされます。つまり,個々の善のうえに正が成り立つというわけです。これに対して義務論の考えによれば,ある行為について,その行為が端的に「やるべきこと」であるなら,それだけでその行為は正しいとされます。つまり,個々の善悪に関わらず正はそれ自体として正だというわけです。倫理的な問題を明晰に考えようとするとき,これら二つの考え方は大いに役に立つのですが,どちらも,道徳的な事柄を行為と規則にだけ注目して捉えているという点でやや狭く感じます。たとえば,希望に満ちている人だとか,勇気ある人といったことは,私たちにとって道徳的に重要な事柄だと思われますが,功利主義と義務論の考え方ではそれをうまく説明できません。希望や勇気など,私たちが社会的に高い価値を置いて認めている性格や人柄は「徳」と呼ばれ,この徳に注目して道徳を捉える考え方は「徳倫理」と呼ばれています。徳倫理では,道徳的な事柄が問題になるときに私たちが大事にしているのは,行為や規則そのものではなく,それをどのような人が行ったかという,人柄の問題だと考えるのです。つまり,徳の高い人のように振る舞うことこそが道徳的に正しく振る舞うことだというわけです。希望と勇気勇気ある行動をとることは簡単ではありません。勇気は,極端になると無鉄砲な蛮勇に,慎重になりすぎると臆病になってしまいます。また,「万引きする勇気」も確かに成立しますが,そうした不正をする勇気を私たちは称賛したりはしません。「勇気」を身につけるためには,実行力(道徳的な意志)だけではなく,社会のなかの正しさを見極める判断力(道徳判断)も必要になるのです。このように,徳倫理は社会と深く結びついています。正しい行いが称賛され,不正な行いが非難される社会のなかでしか,正しい行為は生じません。希望や勇気10 「善悪の判断」「希望と勇気」「個性の伸長」てわかる! 道徳〈 第 4 回 〉見