ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

どうとくのひろば No.18

宮崎大学准教授 椋木香子京都市立二条中学校校長 澤田清人千葉市立轟町小学校校長 尾高正浩子どもたちと接する中で出てくる,「こんなとき,どうする?」。道徳教育をより輝かせるためのヒントを,先生方に教えていただきました。「道徳と国語はどこが違うの?」ねらいが違う3点あると思っています国語教育と道徳教育の違い 私なら「登場人物の気持ちや考えを文章中から読み取る力をつけるのが国語,自分が登場人物の立場だったらどう感じ,考えるかをクラスみんなで話し合い,いろんな考え方や対応の仕方を知って,実際に自分が同じような場面に立ったときに,判断や行動の参考にするために学ぶのが道徳」と答えます。国語も道徳も「登場人物の気持ちを考えさせる」という点では同じように見えますが,目的がまったく異なります。道徳では「この時の主人公はどんな気持ちだっただろう」と問うても,子ども達は自分の経験をもとに,主人公の立場になって考えているのです。ですから,感じる気持ちが子どもによって異なることもあります。その違いを認め共有していくことが,子どもの多面的・多角的な見方・考え方の育成につながるのです。 若い先生からよく尋ねられる質問です。私は,次の3点だと考えています。 1つめは正解についてです。国語では,必ず問いに対する正解があり,それを文章中に求めます。一方,道徳は思いや考えを答えることが多いので正解がないという人もいますが,深く考えた答えはすべてが正解です。2つめは文章(教材)の読み方です。国語ではストーリーを追って読み進めるのが一般的ですが,道徳では教材全体を感じとりながら,一点に集中して読み,深く考えます。ここが中心発問の部分です。3つめは目的です。国語では文章を理解し楽しむことが目的なので,その文章から離れて考えることはありません。一方,道徳では道徳的価値を態度化・行動化することが求められます。学習内容を自らの生き方に反映させることが目的です。こんなと,どうする? き 結論から言えば,ねらいがそもそも違います。道徳科のねらいは,教材を通して道徳性を養うことですし,国語科のねらいは,教材を正確に理解することにあります。つまり,道徳科で国語のような授業になってしまうのは,文章の言葉だけを探すような授業を指しています。道徳科は文章の言葉だけでなく,登場人物に共感していろいろな思いを自由に発言できる時間です。言い換えれば,文章を読むだけでなく,行間を読む時間とも言えます。自由に想像して発言する中で子どもたちは自分を振り返り,友達と意見を交わすことで多面的・多角的に考え,自己の生き方について考えを深めていくのです。そのためには,わかりづらい長文の教材が不適切なのは言うまでもありません。今回のテーマ12