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概要

どうとくのひろば No.20

トルコ記念館樫野埼灯台トルコ慰霊碑 エルトゥールル号遭難地点和歌山 紀伊大島大阪 奈良 三重 串本町イラン・イラク戦争(1980~1988年)の真っただ中の1985年,空爆のはじまったテヘランから,トルコの救援機で救出された日本人215名のひとり,沼田凖一さん。後編では,帰国後から現在に至るまでの歩みをお伺いしました。帰国したのは1985年3月22日。テヘランは戦火と報道されていたので,成田空港では技術指導のために同行してもらった技術者の家族にお詫びしました。少しずつ不安や恐怖は薄れてはいったものの,私の心の傷は簡単には癒やされません。テヘランで起きたこと,トルコに助けられたことも,詳しいことは話しませんでした。恥ずかしい気持ちもあったと思います。どうしてトルコが日本人を助けてくれたのか,その背景もわからないまま年月が過ぎていきました。23年後の2008年10月17日だったと思います。つけっぱなしのテレビにたまたま目がいくと,1890年に和歌山県串本町大島の沖合で沈没したトルコの軍艦「エルトゥールル号」のことを紹介していたのです。大島の人々を中心に,自分たちの生活を犠牲にしながらも,69名の乗組員を救助したお話でした。そして95年後,この献身的な活動に恩義を感じていたトルコが,テヘランで身動きがとれなくなった日本人を救沼田凖一(ぬまた じゅんいち)特定非営利活動法人エルトゥールルが世界を救う特別顧問1985年,自動車メーカーの技術者としてテヘランに赴任中,空爆に遭遇し,トルコの救援機で救出された日本人のひとり。現在はトルコ共和国と日本の絆を世界に広め,世界平和に寄与することを目標とした活動に精力的に取り組んでいる。プロフィールトルコ軍艦遭難慰霊碑の前で,取材を受ける沼田さん「イラン戦友会」のメンバーと「日本・トルコ友好120周年記念事業」の式典にて― テヘランからは無事にご帰国されたのですね。― エルトゥールル号のことをお知りになったのは,そのあとですか?こころのひろば< 後編> 「時を越えた友好の絆」