ブックタイトルどうとくのひろば No.24
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どうとくのひろば No.24
心に残っている道徳の授業は?ちょっと聞いてみたいギモンに経験をもとにお答えいただきました。授業のヒントになったり,励みになったり。これからの道徳の授業に生かせる何かが見つかるかもしれません。命の不思議「人は何かを始めるとき,神様から『努力のつぼ』を贈られるのよ。それは目には見えなくて,達成したときに初めてつぼの大きさがわかるのよ。」母親からそんな素敵な話をしてもらう少女の作文で授業をしました。いろいろな授業展開ができる教材です。授業では「つぼの中身」について考えました。「はたして,つぼの中に詰め込んだ『努力』はすべて『いいもの』なのだろうか?」という私の言葉に,生徒が悩み始めます。「悪い努力があるなら誰も努力しなくなる」「目標が達成できたのだから最終的にはいい努力になる」「でも,その目標が間違っていたら?」授業は盛り上がりました。「努力は一生懸命やることだけど,同じ一生懸命でもバスケの練習を一生懸命やることと,人を傷つけることに一生懸命になることは違う気がする」と発言した女子生徒は,小学生の頃に友達に意地悪したことを思い出して,「努力には種類がある」と道徳ノートにまとめていました。また,勉強が苦手な野球少年は,「うまくなりたくてキャッチボールの練習をひたすらやった。でも,それで人をけがをさせたことがある。これはいい努力かな?」と書いていました。努力の多様性を知ることで,挫折に負けないしなやかな思考を育んでほしいと願って行った授業。教師である私も正解をもたない一個人として,生徒と対話を楽しんだ授業になりました。そんなふうに聞かれると,「これまで私が作った授業のすべて」と答えたくなります。私にとって,授業(指導案)は作品です。授業で用いる教材はすでにあるものですし,その教材を用いた指導案はほかにいくらでもあります。しかし,同じ教材であっても,それを生かしてどのような授業を作るかは教師次第です。つまり,授業という一つの作品を作り上げるためには,教材を深く分析し,善悪や人間についてじっくり考え,そして,それらを論理的に結びつけながら考えていくわけです。その時間は非常にたいへんですが,とても楽しい時間でもあります。このようにしてでき上がった授業は,細かな部分も含めて熟考と工夫,閃きと裏づけの産物であり,そこには,今までほかの誰も見つけられなかった視点が多く盛り込まれています。このようにして,一つひとつ作ってきた授業ですから,すべてが心に残っているのです。もちろん,どれだけ考え抜いて作った指導案であっても,実際に授業をしたときには思ったように子どもが活動しないこともあります。しかし,それはまだ工夫したり,改善したりする余地があるということであって,改善を重ねるたびに授業は進化していきます。ただ,それらの中のどれが心に残っているかと聞かれれば,必ずしも改善後の指導案ばかりではありません。初期の指導案には生み出したときの苦労や喜びがあるからです。例えるならば,現在の新幹線は速さも安全性も快適性もすばらしいですが,初期の新幹線の発明がなければできていないのと同様です。これまでに多くの授業を創造し,見直し,改善してきましたが,どれも心に残っています。大阪成蹊大学 教授 服部 敬一いい努力,悪い努力 沖縄市立山内中学校 教諭 比嘉 さつき「心に残っている道徳の授業は?」私は植物を育てるのがとても下手です。これまで最も長く世話できたのはガジュマルで,それでも3 年でした。買ってきて3 年目に突入したときは,ガッツポーズをするくらい喜んだのですが,そのあと,あれよあれよという間に精気を失ってゆき,ついには枯れてしまいました。その理由を自分なりに考えたのですが,結論としては単なる水の与え過ぎであったようです。動物を飼育する上でエサを与えることが大事なのは当たり前ですが,水を与えることも同じくらい重要です。しかし,園芸番組を観ていると,土の表面が乾いたら与えるとか,果実の甘みを増すためにはわざと水を与えないとか,植物と動物とでは水の与え方がだいぶ違うようです。それなのに私はついつい動物と同じように考えてしまっていたようです。 昨年秋,キャリーケースの車輪に米粒の倍ほどの真っ白な種が数粒挟まっているのに気づきました。もう種をまく時期ではないので発芽しないだろうし,もし発芽しても長生きはできないだろうとは思っていたのですが,何の種か知りたくてまいてしまいました。そのうち2 粒だけ発芽し,ナンキンハゼという,よく街路樹として植えられている木であることがわかりました。しかし,やはり寒さのせいか,葉はすべて落ち,ついには縮んで土に刺さった爪楊枝のようになって枯れて死んでしまいました。やはり無理だったなあ,春を待ってまいてやるべきだったなあ,と反省したのですが,今年の4 月中旬,忘れて放置していた爪楊枝に,何やら精気が回復してきたことに気づきました。まさか,とは思いながら水を与えました。するとそれまで茶色に枯れていた爪楊枝はあっという間に緑色が回復し,それどころか葉まで出てきたのです。毎朝,水を与えることが楽しみになりました。すると2 本が回復しただけではなく,まだ芽を出していなかったほかの種も次々と発芽を始めたのです。今では植木鉢の中はちょっとした林のようにナンキンハゼの若木がひしめき合っています。植物と動物は同じ生命ではありながら,その生態に大きな違いがあることを,今回身をもって知ることができました。深海の熱水噴出孔に生息する細菌の中には,高熱と高圧,そして硫黄がなければ死んでしまうものまでいるそうです。まだまだ知らない生物の世界がある,そんな命の不思議を知ることで一段と生命に対する興味がふつふつと湧いてきました。偶然出会った数粒の種のおかげで毎朝わくわくする思いです。▲ナンキンハゼの種 ▲春に芽吹いたナンキンハゼ▲秋に美しく色づくナンキンハゼ「悪い努力はない」派の意見を書く様子14 15