ブックタイトルここが知りたい 小学校道徳科15の疑問 vol.3

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ここが知りたい 小学校道徳科15の疑問 vol.3

4 5い。主体性に任せますよ。」というのは,ちょっと無責任です。自分を見つめるというのは,何をどうすることなのかをきちんと指導しなければなりませんし,十分にその場を設定する必要があります。 一方で,自分を見つめるのは,反省ばかりになってよくないという意見もあります。足りないものばかりを強調するとそうでしょう。しかし,できるだけ育ってきているものに目を向けるようにしましょう。「いつもはできていないけど,あのときだけはできたな。」というように,できている自分を見つけることです。 また,行動としてできていなくても,気持ちや考えのレベルで成長している自分を見つけることも大切です。 例えば,「B 親切,思いやり」で,お年寄りに親切にしたことを振り返るとしましょう。電車やバスの中で席を譲ったこともないし,道案内をしたこともない。でも,「一度だけスーパーマーケットで荷物を持ってあげたことがある。」,あるいは,「今までは全然気にしなかったけど,この前,電車の中でお年寄りが立っているのを見ていると,しんどそうなので声をかけたい気持ちになった。」などが見つかります。自分を見つめることなしには,それも見つけようがありません。 もう一つ,配慮してほしいことがあります。「自分を見つめる」,「自分を振り返る」ということは,過去から現在までの自分を見つめる,振り返るということです。教師は,安易に未来を尋ねてはいけません。 例えば,「A 正直,誠実」の展開後段で,教師が「これからはどうしたいですか。」と未来を尋ねたとしましょう。子どもは,きっと「これからは,うそはつきません。いつも正直でいたいです。」と答えるでしょう。これは自分を見つめたことになるでしょうか。私はならないと思います。教師が安易に未来を尋ねると,子どもは教師の意図をくみとって,そんな答えをしてしまうのです。 それよりも,今までにうそをついてしまったことを思い出して,いつばれるかいつばれるかとドキドキした気持ちを振り返ることや,今までの自分の中に正直に言えてすっきりした経験を見つけ出すことの方に意味があるのです。ですから,展開後段で教師は,「今まで○○なことはありませんでしたか。そのとき,どんな気持ちでしたか。」と尋ねるべきでなのです。あくまで教師が尋ねるべきは,「これから」ではなく,「今まで」なのです。 ただし,教師が今までの自分を振り返りなさいと言っているのにもかかわらず,子どもが自ら未来の自分について,発言したり記述したりすることがあります。これはしめたものです。自分を見つめた後に出てきた,これからはこう考えてこうしたいというものこそ,本物です。自分を見つめることが,よりよく生きるエネルギーになる証拠です。 展開後段は,子どもが自分を見つめるために絶対に必要な時間です。そのことがよりよく生きようとするエネルギーになるからです。子どもの道徳性の成長を教師もいっしょに実感しましょう。 残念なことに,そのように考えて同じようにしている教師は多いと思います。きっと展開後段の必要性をあまり意識していないからでしょう。 道徳科の目標は,道徳性を養うことです。そのための手段は,いくつかあります。問題意識をもつこと,自分のこととして考えること,多面的・多角的に考えること。そして,自分を見つめること。それらを通して自己の生き方についての考えを深めることです。 「展開後段がなくてよい」ということは,自分を見つめなくてよい,今までの自分を振り返ることは必要ないということです。私は,そこだけは譲れないと考えています。 道徳科ではどのように指導方法を工夫してもよいと考えています。いろいろな指導法にどんどんチャレンジしていただければよいと思います。ただし,道徳科で自分を見つめなくてもよいというわけにはいきません。そのためには,展開後段は絶対に必要なのです。 道徳科の授業の展開は,前段と後段で構成されています。前段は前段の,後段は後段のそれぞれの役割があります。 展開前段では,教材を読んで話し合います。そして,子どもは登場人物の行動やそれを支える気持ちや考えを探りながら,大切なことに気付いていきます。この気付きは,いわば自分を映す鏡を手にすることです。 展開後段で自分を見つめるということは,その鏡に自分を映すことです。それによって,自分に育ってきているものや足りないものが見えてきます。見えてくると,育ってきているものは,もっと伸ばそうと思うし,足りないものは,何とかしようと思うようになります。これがよりよく生きようとするエネルギーになるのです。 もし,展開後段をなくすのなら,せっかく自分を映す鏡があるのに,自分を映さずに終わってしまうということになります。とてももったいないことです。 また,わざわざ自分を見つめる場を設定しなくても,教材を読んで自分と重ね合わせながら考えているうちに,自然と自分を見つめる子どももいるという意見もあります。確かにそうかも知れません。けれども,学校教育では全ての子どもに自分を見つめる場を保障する必要があると考えます。「自分を見つめたい子はどうぞおやりなさ1 展開後段はなくてもよいのか23展開後段が必要なわけ自分を見つめるということ疑問8 展開後段って,なぜ必要なのですか。 展開前段で話し合いが盛り上がると,ついつい時間が足りなくなってしまうことがよくあります。そんなときは,思い切って展開後段を省いています。授業の終わりのチャイムが鳴ってしまったら,子どもの集中力は途切れてしまいますし,無理に引っ張るのは子どものためにならないと思うからです。 展開前段でいろいろと話し合って,子どもが大切なことに気付いたのであれば,道徳科としては,もう十分にねらいに迫ったと思いますが,展開後段って,必要なのでしょうか。