ブックタイトル小学校道徳 沖縄県郷土資料集

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概要

小学校道徳 沖縄県郷土資料集

*沖縄戦一九四五年三月からの、沖縄に対するアメリカ軍の攻撃。同年六月までの戦いによって、県民のおよそ四分の一にあたる十二万人以上の人が命を落とした。遺族の思い、父の思い対馬丸に我が子を乗船させた家族たちは、子どもの安否がわからない状況が続き、疎開が失敗したのではないかとうわさしました。そして、子どもたちを引率した糸数さんの実家を訪れ、糸数さんのお父さんに、「子どもを返せ。」と何度もつめ寄ったそうです。糸数さんが宮崎に疎開しているあいだに、沖縄では激しい戦闘がくり広げられました。いわゆる沖縄戦です。数か月間にわたって続いた地上戦によって、多くの沖縄県民の命が犠牲になりました。終戦後、無事宮崎から沖縄に帰ってきた糸数さんに、命からがら生き延びたお父さんはこう言い聞かせました。「いいか、自分が対馬丸の生き残りであることは決して人に言ってはいけないよ。お前よりつらい目にあっている人は沖縄にはたくさんいるんだからな。」生き続けた糸数さん終戦から数年たったある日、教師を続けていた糸数さんは、仕事の関係で那覇のまちに買い物に来ていました。そのとき偶然、「石川先生。」と、声をかけてくる昔の教え子と再会しました。その教え子は、糸数さんに近寄り、「生きててよかったですね。」と、言いました。しかし、糸数さんは、「今仕事中だからごめんね。」と、にげるように帰って行ったそうです。その日以来、糸数さんは那覇のまちを出歩かなくなりました。糸数さんは、那覇のまちがとてもこわく、時折複雑な思いに心を痛めたそうです。しかし「死にたい」とは思わなかったそうです。■糸数裕子さん自分ならどう考えたら生きていけるか、考えてみましょう。考えてみよう!*いぞくあんぴじょうきょうそかいいんそついとかずいとかずおとずよいとかずみやざきそかいおきなわぎせいはげせんとういとかずのつしままるわつしままるいとかずぐうぜんさいかいいとかずよいしかわいとかずいとかずなはいとかずいとかずなはなはふくざついたきょうしこうげきいとかずみつこ39 3851015510