ブックタイトル小学校道徳 沖縄県郷土資料集
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小学校道徳 沖縄県郷土資料集
*泡瀬青年会沖縄市泡瀬にある青年会。現在の泡瀬第三青年会。「琉球國祭り太鼓」の挑戦創作エイサー誕生 沖縄の伝統芸能の一つに、エイサーがあります。お盆の時期になると、ご先祖様のために、各地で地域の青年会の方々が、そこで受けつがれてきたおどりをひろうします。 しかし、それらの伝統的なエイサーとはちがい、近年注目を集めているエイサーがあります。それは、創作エイサーです。伝統エイサーをもとにして作られ、新しいエイサーともいわれています。なかでも、そのさきがけとなったのが「琉球國祭り太鼓」です。その誕生には、ある一人の男性、目取真武男さんの挑戦がありました。 一九七二(昭和四十七)年、目取真さんは二十才のとき、地元の泡瀬青年会に入ります。そこで、ある夢をいだくようになりました。「ぼくは、いつの日かたくさんの人を集め、そして大太鼓千個を打ち ひびかせたい。そうしたら、迫力も何倍にも増すだろう。」 この熱い思いを、友人や会う人たちに語りました。けれど、だれ一人 として話をまともに聞いてくれる人はいません。「大太鼓は、どこも二個か四個だろう。千個なんておかしいよ。」「千人という大人数でおどるなんてありえない。青年会でそんな大人 数いるところなんてないよ。」 返ってくる言葉は、口をそろえて否定的な言葉ばかりでした。 それもそのはずです。当時、エイサーはその地域に住んでいる青年会がおどるのが主流でした。そして、青年会でおどれるのは一般的に二十五才までと年齢が決まっていました。そのため、一つの青年会で千人集めるなんて、まさにありえない夢だったのです。そんなとき、弟の邦男さんの、「まず、五十人から始めたら。」という言葉に後押しされ、目取真さんは、夢をあきらめることなく、語り続けました。■エイサーページェント1000人演舞 国際通り(奇跡の1マイル)■結成した当初の「琉球國祭り太鼓」六年生■目取真武男さんめ どる ま たけ お*そう さくたん じょうあわせあわせあわせあわ せはくりょくおおだい こひとりおおだい こひ ていおきなわぼんち いきりゅうきゅうこくちょうせんだい こたんじょういっぱんねんれいめ どる まくに おおめ どる ま たけ おしょうわめ どる まりゅう きゅう こくだい こちょう せんえん ぶりゅうきゅうこくだい ここくさいき せき49 4815 10 5 10 5