ブックタイトル小学校道徳 沖縄県郷土資料集

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概要

小学校道徳 沖縄県郷土資料集

平和をつなぐひめゆり平和祈念資料館■ひめゆり学徒隊の慰霊碑「ひめゆりの塔」■多くの犠牲者が出たガマ(洞窟)を実物大で 再現 第二次世界大戦で最後の地上戦となった沖縄戦。青い海、青い空が広がる美しい島で、多くの尊い命が犠牲となりました。 みなさんは、ひめゆり学徒隊を知っていますか? ひめゆり学徒隊とは、沖縄戦のときに看護師のお手伝いをするために集められた、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の十五才から十九才の女生徒と教師のことです。一九四五(昭和二十)年三月二十三日、二百四十名のひめゆり学徒隊が陸軍病院での勤務を命じられました。病院へおもむく前、生徒たちは安全な病棟で看護活動をするものだと思っていました。しかし実際は、砲弾や銃弾が飛び交う、まさに戦場だったのです。 生徒たちは暗い病院壕の中で、負傷兵の看護や手術の手伝い、食事の準備、死体の片づけなど、昼夜を問わず働き続けました。そこでは歯もみがけず、顔さえ洗えない、十分に眠る時間もない日々が続きました。 三か月ほど続いた激しい戦闘の末、百三十六人ものひめゆり学徒隊が犠牲となり命を失いました。 戦後、ひめゆり学徒隊の生存者は、自分が生き残ってしまったことへの罪悪感に苦しみ、戦争体験を人に語ることはほとんどありませんでした。そして、三十年以上の月日がたつころになって、ようやく、亡くなった友たちに思いをはせることができるようになり、その思いがやがて「死んでしまって何も語れない友達に代わって、生き残った自分たちが戦争体験を語り、平和を訴えられる資料館を建設しよう」という運動となっていったのです。 生存者が中心になって、証言の収録、資料収集などに取り組みました。そして、一九八九(平成元)年六月二十三日、慰霊の日に、戦争の悲惨さや平和のたいせつさ、命の尊さを伝える場として、ひめゆり平和祈念資料館が開館しました。今では、毎年五十万人以上もの人たちがここをおとずれています。 開館以来、生存者は自らの戦争体験を語り伝える六年生ぎ せいどうくつおきなわとうとぎ せいし はんかん ごてつだしょうわきん むびょうとうじゅうだんほうだんかたごうてつだふしょうあらしゅうろくせいぞんはげせんとうぎ せいなうったともだちへいせいひ さんい れいき ねんき ねんい れい ひとう53 525   10 5  15 10