ブックタイトルいっしょに考えよう図工のABC
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いっしょに考えよう図工のABC
Ⅱ指導ってだれの絵?子どもがかく絵は,誰のものだろうか?きっと誰もが,「子どものもの」だと答えるだろう。しかし,「指導」という名に隠れて,誰の絵かみえなくなることがある。児童画の審査会で,ある中学校から出品された絵が場内を沸かせた。実に見事に細密描写された絵が並んだのである。出品された作品すべてと言っていいほど,「指導」が徹底され,その結果多くの作品が受賞対象となった。次の年,新たな教師がその学校に勤務した。その新しい教師が生徒と話すうちに,受賞した生徒の多くが,絵をかくことが嫌いになっているという事実に驚いたのである。前任の教師が,絵に命を吹き込んでくれて,受賞もできたというのに,なぜだろう。それは,子ども自身が,「これは自分の絵である。」という意識がどんどん薄れていき,最後には,絵に背を向けたと言うのである。子どもの絵は,子ども自身だったのである。指導は教師と子どもとの信頼関係の元で成立する。児童画のコンクールの功罪は,以前から指摘されていた。*1児童画のコンクールは指導者の指導力を向上させるという。しかし,受賞の傾向を調べ,審査に合う指導は,本当に子どもの心を保障しているだろうか。子どもの心を壊してしまう「指導」などありえない。子どもの絵は子どもそのものである,広げて考えても,親や友人と共有するものではないだろうか。津守真は「子どもの絵は,子どもが自分自身に宛てた手紙のようなものである」という。*2子どもが自分に宛てて,明るい未来を描いているのに,大人の欺瞞と虚栄で子どもの心を押しつぶす「指導」が野放しになっていてはいけない。もはやそれは「指導」ではなく,虐待であり,「介入」である。子どもの絵を子どもの手に届けたい。子どもの図工を子どもの元に戻したい。子どもの図工を押しつぶしてはいけない。*1開高健『裸の王様』文藝春秋1958*2津守真『子どもの世界をどうみるか行為とその意味』NHKブックス526日本放送出版協会198721