ブックタイトルとくだ先生!と考える「特別の教科 道徳」

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概要

とくだ先生!と考える「特別の教科 道徳」

13授業編 「読み物の登場人物の心情理解のみに偏った形式的な指導が行われる例がある。」ことは,中央教育審議会が挙げた道徳の授業の課題です。この課題は,「道徳の時間と国語の時間の違いが分からず,国語的な指導になってしまう。」という声からも,現場の先生方がずっと悩んできたことでもあります。 ところで,道徳科の授業で取り上げる道徳的な問題は,具体的な場面を通すとよく見えます。だから,読み物教材を使うことが多いのです。さらに,道徳的な問題や,それを解決していくための道徳的価値の大切さは,教材の登場人物の心情や考えの中に含まれています。そのため,登場人物の心情理解という活動が必要です。 問題は,例えば,登場人物が「親切っていいな。」と思った心情に共感し,それで授業のねらいに近づいたと思い込んでしまうことなのです。 その原因として,ねらいが漠然としていることが挙げられます。「親切の大切さに気づく」といったねらいです。道徳科の授業のねらいは,その「大切さ」の中身にあります。「親切は,相手も自分も,そして周りにいる人たちみんなを温かい気持ちにしてくれる,とてもいいものだな。」などと,道徳的価値の大切さに踏み込んだ学習になることが重要です。読み物教材の話の内容を理解することが目的ではなく,それを通して私たち自身の生き方や考え方,感じ方を見つめることにねらいがあります。 発達の段階を考えながら,その教材を使った授業のねらいを具体的に設定するとともに,ねらいに近づいたときの子どもたちの意識を子どもの言葉で想定しておくことが,心情理解のみに偏る授業を克服していくことにつながるでしょう。国語とどう違う?道徳科では◇ 登場人物の心情理解のみに  ならないために読み物教材を読ませれば、「道徳科の時間」になるんですよね?児童・生徒が自分自身に問いかけることができるようにね