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概要

教育情報No.7

会に両親に内緒で出場した。小学校3・4年生部門で2位になり、ますますジャンプばかりの日々を送るようになった。そのころからジャンプ少年団の関係者が訪ねてくるようになり、両親を悩ませた。費用のかかる競技だということはよく理解していた。でも、私はやめたくなかったのだ。姉や妹は「スキー代にお金がかかるから、これからお小遣いやお年玉は無くなるからね」と母から言われていたと姉から聞かされた。母は一生懸命働いてくれていたし、姉も妹も何も言わず、ずっと私のジャンプを応援してくれていた。家族は、今も変わらずずっと陰ながら支え続けてくれている。私は高校時代から札幌に出て、東海大四高のスキー部にお世話になった。住み慣れた下川町を離れ、札幌で寮生活だ。私自身、知らない人ばかりの札幌暮らしへの不安もあったが、よき指導者や温かい級友に恵まれ、快適な高校生活を送れた。なんといってもスキーの環境は最高だった。上杉監督は世界を相手に競技することを勧めてくれ、高校2年から頻繁に海外遠征を行うことになる。このとき、私はすでに世界を見据えていた。改めて、支援してくれる人たちや級友たちに支えられていたのだと実感する。人は一人では生きることはできない。周りの人々の深い理解、協力がなければ物事は進まないのだ。今も、こうして飛び続けていられることに、本当に心から感謝したい。新たな夢に向かって歩み続けるいいことばかりだったわけじゃない。失敗ジャンプ、2度の鎖骨骨折、それに身内の不幸……。それでもアスリートなら、どんな試練からも立ち直らなければいけない。紆余曲折はあったが、土屋ホームの川本謙社長(現副会長・スキー部総監督)との出会いで、私は変わることができた。川本社長は、全社員を巻き込んで社内でスキー部の後援会を作ってくださった。そして、どんなに業績がたいへんなときもスキー部を無くすようなことをせず、しっかり支え続けてくれたからだ。成績が残せないからとやめさせられるという不安から解放され、のびのびと安定した状況のなかで活動することができたのは大きい。素直な気持ちで厳しいトレーニングにも精を出すことができた。また社長は、人として荒削りで未熟でガンコ者の男、非礼、無礼、失礼だったかもしれない私に、時には優しく、時には厳しく、時間をかけ、いろいろなことを教えてくださった。オリンピックでメダルを取ることができ、スキー部を支え続け、応援し続けてくれた土屋ホームの社員の皆さんや川本社長に少しだけ恩返しできたような気がしている。メダルを取ってからは、また多くの人たちに出会い、スキー以外の多忙な日々を送ることになった。そして、今までとは違う景色を見ている。特に、社会人として礼儀作法、服装、所作、そして、言葉遣いなど、「学び直し」として考え、実践している。これからの新しい選手たちにも伝えていかなければと感じている。でも、私にはもう一つ、「金メダルを取る」という仕事が残っている。人はいつも目標(夢)があるから力強く前に歩み続けることができるのだと思う。可能性と夢は、いつも自分の歩いていく、すぐ前に残し続けていく方がいい。だから私はここまで来ることができたと思う。今、金メダルは夢ではなく、超えていくものの一つだと思うのだ。ソチオリンピックで川本副会長と女子ジャンプの応援に著者プロフィールSAJ27承認第00302号SAJ27承認第00301号●葛西紀明(かさいのりあき)北海道下川町生まれ。小学3年生でスキーを始める。2014年W杯最年長優勝(41歳7か月)。2014年2月のソチ冬季五輪では個人ラージヒル銀、団体銅のメダルを獲得。同年3月、W杯最年長優勝、冬季五輪7大会連続最多出場、冬季五輪スキージャンプ最年長メダリストの3つがギネス世界記録に認定される。現在、土屋ホームスキー部選手兼監督。写真:土屋ホーム03