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概要

造形のABC

「ひとりの思い」「一人一人の思い」「みんなの思い」「命」が軽くなっていると感じることが多くなってきたように思います。本来「命」が軽くなることはありませんから,「命の扱いが軽くなっている」というのが正しいのかもしれません。幼児虐待やネグレクト,無差別で衝動的な事件,そして,戦争へ向かう政治的な道など,どれもです。教育は「命」を扱っています。教室には,子どもの「命」が息づいています。現在の学校教育の底流となっている「新しい学力観」*)の策定の深く関わった元図画工作科教科調査官西野範夫は「思い」という言葉に教育の変革を託しました。当時を振り返って,子どもの「思い」は,子どもの「命」と記載したかったが,公の文書には,載せられなかったと述べています。私たちも「授業で子どもの思いを受け取る」と協議会の話題になります。そのときの「思い」とは,どんな「思い」を指しているのでしょうか。「命」と置き換えても同じ使い方でしょうか。平成23年3月11日の東日本大震災の直後のテレビから流される情報を信じられない思いで見聞きしていました。当初の報道は,地域名と負傷者の年齢など個人が見えました。しかしそれが,ある瞬間から,「30名ほどの下校途中の中学生が…」と,数値に変わっていきました。それほど悲惨な事故であり,甚大な被害であったことは,時間が経つほど明らかになってきました。人の命が数値に置き換えられた,その瞬間から,一人一人の命が私自身から離れていきました。「ひとりの思い」「一人一人の思い」「みんなの思い」と並べて,その「思い」を「命」に置き換えて,もう一度読んでください。子どもの顔や表情,そして息遣いが薄れていきませんか。それは,「子どもの個性や個人が薄れていくこと」と同じなのです。先生は「授業全体を動かす」ことが求められますから,「みんなの思い」で授業を動かすことが多くあります。しかしそのことで「ひとりの思い」が薄れているという事実を自覚しないとなりません。ですから,「みんなの思い」の中に,子ども一人一人の思いを紡ぎ,編み直す営みが授業なのです。そして,先生は,子ども一人の思いを感じ取る「感性」を持ち合わせていなければ,子どもの「命」を感じることはできません。子どもは「自分の思いは先生に伝わっている」という前提で,教室の自分の席に座っているのです。自分の心の居場所を感じているからこそ,自分を表現できるのです。命の尊さや生きることのすばらしさを学ぶのが文化であり,芸術なのです。そして,その場が学校であってほしいと思うのです。56*)文部省『小学校図画工作指導資料新しい学力観に立つ図画工作の授業の工夫』日本文教出版1995*)文部省『小学校教育課程一般指導資料新しい学力観に立つ教育課程の創造と展開』東洋館出版社1993