ブックタイトル子どものABC
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子どものABC
20「しなさい」と「しようね」言葉は理性街角でも,公共の乗り物でも,親が子どもをしかる場面に遭遇することがあります。眉間に皺を寄せて,若い母親がまるでやくざ映画のように「てめえ,今度やったら承知しないからな!」と罵声をあげることに驚き,子どもの内面を思うばかりです。「言葉は理性」です。勧誘と命令カナダの小説家モンゴメリーの「赤毛のアン」の物1)語を訳した村岡花子は「命令」と「勧誘」のしつけについて書いています。「手を洗いなさい」と「手を洗いましょうね」の違いです。そこにどんな違いを発見しますか。「考える」時間と機会が与えられているかどうかです。「手を洗いなさい」というような「命令」には,「考える」ことは許されません。いかに行動に移すかが鍵になります。しかし,「手を洗いましょうね」というような勧誘や誘いには,過程を考える時間が保障されています。その上で,自分で見通しをもち行動に移すという違いがあります。子どものことを考えてと言いつつ,大人の都合や価しつけおつ値観を押し付けると,躾は「押し付け」になります。子どもが自分で考えるところを強制や命令によって動かすことになるのです。また,「洗いましょうね」には,言葉のもつよさがあります。言葉は「思考」の結果に表れるものですから,思考過程で言葉を選ぶなどの論理的な過程を踏むことになります。言葉にはイメージを触発する力があります。人間は動物ですが,言葉をもってはじめて人間なのです。育てる1)村岡花子『女性の生甲斐』牧書店1953*)津守眞『保育の現在学びの友と語る』萌文書林201325