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概要

子どものABC

平和の重み平和への祈り永遠平和は空虚な理念ではなく,われわれに課せられた使命である。1)私たちが求めるのは,誰かの涙の上に成り立つ「幸せ」ではありません。幸せを感じることのできる人生は,誰かの犠牲の上にはありません。自由と平和の上に成り立つのが「幸せ」です。私たちは,「戦後」ということばを当たり前のように使います。これは「最後の戦争から何年経て今があるか」という意味です。今も戦火に怯えている国には,「戦後」はありません。私たちの先達の「平和」への強い思いが,この「戦後」という言葉に宿っているのです。「戦後」という言葉は,戦争を経験した人たちが,その後平和な国を願った思いなのです。戦争で我が子を失った村岡花子(「赤毛のアン」の訳者)は「私たちは平和をあまりに感情的な,感傷的なものに扱いすぎていないだろうか。平和こそは戦いとるものである。戦争によって流された血汐は地の下,海の中から叫んで人間が戦争を放棄することを要求している。愛する者たちを失った人びとの悲しみが平和を求めている。われわれはわだつみの声を聞かなければならない。わだつみも大空も,かつて流された血汐の復讐を求めているのではなくて,そこに払われた犠牲の権利の故に,人類に平和なれと訴え,かつ要求しているのである。」2)と,今も私たちに平和の意味を問いかけています。「戦後」という言葉が,このあとも100年200年続くことを願ってやみません。忘れられない一枚の写真3)戦争が終わった直後の原爆の長崎で,少年が小さな子どもを背負って直立不動の姿勢で立っているモノクロの写真があります。大きな穴を掘っただけの火葬場の穴の縁に立っています。その少年の背負った弟は死んでいるのです。やがて,小さなその遺体が炎に包まれるのをじっと見つめ,くいしばった少年の唇の端が血でにじんでいたことを写真家の言葉として4)伝えています。この写真を取材した新聞報道には,「神は,この一枚の写真を人間に撮らせるために,戦争を人間に与えたまえしか?神は同時に,人間に,想像力という無限の能力をも与えてくれたのです。もしも,この少年がわたしだったら,と想像してみることはおかしいか。あのとき,広島・長崎ではなく,ほかの都市が原爆投下地に選ばれていたなら,この少年ではなく,ほかの,たとえばわたしが火葬場の穴のへりに立つことになっていたかもしれない。」と伝えています。私たちは,想像することでしか,事件や事故を未然に防いだり,よりよい方向に向かって行動したりすることはできません。自分ごととしてとらえ,どこまで,想像できるかです。「人は思い出されている限り,死なないのだ。思い出とは,呼び戻すこと」5)なのです。こころにはお別れがない6)1)イマヌエル・カント著池内紀訳「永遠平和のために」集英社20072)村岡花子『女性の生甲斐』牧書店19533)ジョーオダネル,ジェニファー・オルドリッチ『トランクのなかの日本』小学館20084)「写真が語る20世紀(目撃者)展」朝日新聞1996.6.95)山田稔『八十二歳のガールフレンド』編集工房ノア20056)鶴見俊輔『ちいさな理想』編集グループSURE 201047