ブックタイトル形 forme No.303 教科書特集号

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概要

形 forme No.303 教科書特集号

落ち込んでいたある日、水島のいる図工準備室のドアをノックする音がした。振り返ると、児童が立っていて、「せんせい、これ!」と石を差し出してきた。それは三角形の石をクレヨンで着色、おにぎりに見立てたものだった。思わず涙がこぼれた。その行為に、人が人に伝えるということのすべてが詰まっていると感じた。そこに「言葉」は必要ない。大人、子どもに関わらず、人間がものをつくっていく意味合いがここにあった。なんのことはない、子どもたちから学べばいいんだ。ここから始めよう。自分にとっての教育とは、教えるものではなく子どもたちから教えられるものなのだ。そう強く思った。それから三十年が経った。水島は文科省の学習指導要領に携わり、図画工作の教科書の著者となった。いわば、教育の枠組みを作る側の人間でもある。彼はこれまでに実践してきたことを、どう教科書に反映させているのか。「算数や国語のように、みんなで一斉に読んでみましょう、というような使い方ももちろんあるのですけど、図工の教科書は、休み時間にランドセルからこっそり取り出して見てニコニコと微笑んでくれる、そういうものを考えたんです」。例えば、紙を切って形をつくる、小学一年生の題材。ここには、完成作品だけを掲載せず、子どもたちが切った紙を窓やドアに飾る姿が示されている。飾るところまでを造形活動と捉え、実際の生活の場でも楽しめるよう促している。図画工作を教科書の中だけにとどめるのはもったいない。この教科こそが「自分でも意味のあるものをつくり出せるのだ」という実感と自信を持つことができる、という思いを込めている。これは、水島自身が絵を描いていた時に込めた思いとまったく同じなのだ。忌野清志郎に『ぼくの好きな先生』という曲がある。これは清志郎の高校に実在した美術教師を歌ったものだ。その教師は、職員室が嫌いで、いつも美術室で煙草を片手に絵を描いている。清志郎はその姿を「ぼくの好きな先生♪ぼくの好きなおじさん♪」と独特の愛情表現で歌った。この曲において、彼が好きな先生は、「先生」という存在である一方、「おじさん」でもあるということだ。彼は、先生がその両面を持っている人だからこそ歌にしたかった。もし先生に「おじさん」の側面がなかったら歌いたいとは思わなかった。水島がこの曲に出会ったのは、中学二年。今でも自身の支えとなっている。水島は現在、聖心女子大学で教育を専攻する学生を教えている。研究室には在校生はもちろん、卒業生たちも定期的に集まってくる。『水島工房』と称する会で、彼女たちは悩みを語り、時に泣き、笑う。水島は、彼女たちの話に耳を傾けつつ、いつものように「うちのゼミは、わたしの歌を聞かないと単位をあげないことにしている」と冗談を言い、ギターを手に歌う。彼女たちが水島に引きよせられる理由は、彼の中の「おじさん」が好きだからだ。水島に教わった四年間が、どれほど密度の濃いものだったのか。水島に詳細を聞こうとすると、「わたしの方が教えられることばかりで」と切り返されるにちがいない。彼の柔らかさはこういう姿勢からくるのだと思う。筆者のあの絵画教室の先生も、畳の上で楽しそうに筆を持つわたしたちを見て、何かをこっそりと学びとっていたのかもしれない。あの先生と水島が重なって見えた。水島尚喜みずしまなおき一九五七年、富山県生まれ。東京学芸大学大学院修了。附属竹早小学校を経て、現在聖心女子文学部教育学科教授。文部科学省の学習指導要領に携わり、小学校教科書の著者のひとりとして美術教育の発展に努める。1127,297,686造形活動の原点を感じた「おにぎり」forme | 303 | 26