ブックタイトル形 forme 304号
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形 forme 304号
之先ず見る儿目儿第七回生命には軸がある高村光太郎にとって、《栄さざえ螺》は彫刻の本質を知る契機となった作品でした。栄螺を彫るのに何度も失敗していた光太郎は、あるとき本物をじっくり観察し、「貝の中に軸がある」のを発見します。「一本は前の方、一本は背中の方にあつて、それが軸になつていて、持つて廻すと滑らかにぐるぐる廻る。貝が育つ時に、その軸が中心になつて針が一つ宛ずつ殖えて行くといふことが解つた」(「回想録」一九四五年)。この発見により光太郎は、自然の動きをよく見て飲みこめば、あらゆる生命に人間と同じ動ムーブマン勢を見出せることを知ります。明治期によく見られた、自然のものをそっくりに作るような「置物彫刻」を、光太郎は彫刻ではないと否定していました。光太郎がかつて父・高村光雲に反発していたのは、光雲の制作態度が置物の時代を引きずっていたことと無関係ではありません。ところが、内側を貝特有の銀色に着色し、水滴を思わせる真珠を一粒埋めこむ細工をほどこした《栄螺》をはじめとする光太郎の木彫群は一見置物彫刻のようであり、生活の糧のため、かつて否定したものに歩みよったと評されることがあります。実際、一九三〇年に《栄螺》が出品された木もくようかい燿会木彫展は、髙島屋大阪店美術部が木彫の鑑賞機会を提供するため高村光雲を顧問として企画したもので、これへの参加は、父への反発心が和らいでいたことを示しています。右)栄さざえ螺[木彫・彩色・真珠/8×12×12cm]1930高村光太郎[1883~1956]メナード美術館蔵forme | 304 | 14