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概要

形 forme 304号

らこそ、自分を肯定できたのだ。だけど、美術だけを信じていれば、日々の生活が乗り越えられるものでもない。彼も、美術自体に入れ込むことでがんじがらめになったり、家族が病を抱えるような時期を過ごした。それを救ってくれたのは、美術ではなく「仕事」の方だった。正直、教職を負担に感じた時もあったが、子どもたちと触れ合ううち、教育が美術以上に奥深い世界であると気付いた。子どもたちと時間を共有したことが、彼に新しい息を吹き込み、作家を続ける一助となった。ここ数年、作家と教員を自然な形で両立でき始めた。外部から作家として講座を依頼された場合でも、教職の経験を活かすことができる。反対に、学校の授業では新聞紙とガムテープを教材にもできる。また美術と教育についても、一家言持てるようになった。特別支援学校の子どもたちにとって、美術の分野はその能力を活かせるジャンルのひとつであると感じる。そして、彼らの力は外部に向かってアピールできる強さもある。しかし、間違ってはいけない。教育においての美術は学習活動であるわけで、できあがった作品がすべてではない。それは、作家である自分のように、結果を求められる性質のものではない。子どもたちが、もの作りの過程で様々なことを学習できればいいのだ。作家と教員、ふたつの顔を持つ自分だからこそ言いたい。美術館に新設されたカフェ。目の前にいるのは「作家」関口光太郎だ。発言には、何度もハッとさせられた。しかし驚いてしまうのも、こちらが彼に抱いていたもうひとつの顔……「先生」への先入観があったからかもしれない。そう思い直して、もう一度彼を見る。でも、そこには、巨大で豪快な作品を生み出してきた作家というよりは、やはりナイーブな印象の青年がいた。「働くようになってから、自分には本当に美術が必要なんだと感じたんですよ。自分にとっては、損得の概念より、美しいかどうかの概念の方が上なんです」。この言葉は、どの彼が言ったのだろう。彼の多面性は、自分を変える、すなわち自分の価値観を崩すことを無意識に求めてきたからこそ、できあがったのかもしれない。彼は「主張」することをためらいながらも、作品を生み出した。卒業制作の寺院、その中心にあったのは、巨大な自分自身の顔だ。しかし、今回の人魚姫の顔は、学校の子どもたちを写したような柔和な表情だった。自分を表現するためには、世界のすべてを自分に引き寄せるしかないと考えていた若者は、十年後、自分以外の世界の広さを認め、それらを包摂するような作品を作った。人間は、自分一人で喜ぶだけでは満足しない。そこに、自分以外の人間が参加することで、本当の充足が得られる。自分に意固地になって他人を敬遠していては、そこから遠ざかっていくだけだ。だから、まず他人の存在を自分の中に意識しながら、今の状態を変えていく努力をすることが必要なのだろう。新しい何かを得ることは、自分を失うことではなくて、新しい自分を発見するということなのだから。彼が教職に挑戦したことは、自分を変えるということにおいての最たる転換点だったのではないのか。怪獣映画に影響を受けたり、岡本太郎賞を獲ったりしたこと以上に。作家は、ものを作ることでなくても変わることができる。それは、もちろん作家ではない私たちでもそうだ。関口光太郎せきぐちこうたろう一九八三年、群馬県生まれ。幼少期より新聞紙とガムテープで立体を作り始める。多摩美大卒業後、特別支援学校に就職。教員を続けながら制作した『感性ネジ』で岡本太郎賞を受賞。全国でワークショップ等多数。1127,186,509ステゴサウルス(小学3年生の時の工作)1992[新聞紙、ガムテープ、障子紙、水彩絵の具]25 | 304 | forme