ブックタイトル形 forme 307号
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形 forme 307号
1127,082,819密集したビルの隙間を気持ちよさそうに滑っていく、うなぎの背のような首都高。西日を浴びた朱色のスタンドが、格式高い神社のように見える野球場。ブロック玩具のように輸送コンテナが積まれ、さながらカラフルなおもちゃ箱と化した埠頭……。現代都市の鳥瞰図は、建物などの人工物を主人公に、自然の木々や河川、豆粒大の車や人間たちを脇役に舞台を作る。若き演出家は、この舞台の一部だけにスポットを当てる。そうすることで、都市がミニチュア模型のように浮かび上がる。住んでいるわたしたちが、初めて見る街の相貌。見慣れた現実が、一瞬で異化してしまうことに胸がざわつく。だが、演出家は主張を前面に出さず、観客であるわたしたちをひとつの解釈へと導かない。その関心が細部まで届き、何かを発見できるよう、上空からそっとシャッターを切る。そうして差し出されたものは、至極柔らかい。だから、わたしたちも自由な空想に浸ることができる。デジタル加工はしない。4×5(しのご)と呼ばれる大判フィルムを扱う旧式なカメラで撮影するのみ。だから、制作はほぼ撮影時で終わる。ミニチュアのように見えるボケ写真の種を明かせば、ボディから伸びた蛇腹とレンズを傾けフォーカスを調節、被写界深度を極端に狭める「アオリ」という技術を使っている。作者の名は、本城直季。『smallplanet』と題された写真は、まずは公募展の入選や企業広告で知られ、二〇〇六年には木村伊兵衛賞を受賞、不動の評価を得た。彼自身もしばしばメディアに登場し、作品と作者の顔が一致する数少ない写真家のひとりとなった。「大学の課題以外、特別何かを撮っていたわけではなく、写真に興味を持ち始めたのも三年生の終わりぐらいで。カメラを持っても、自分の表現ができると思ってなかった。そもそも、写真に表現能力があるなんて全然思ってなかったんです」元々、映像に興味があり、芸術系の東京工芸大学に入学したという経緯があった。写真学科だったが、一年時の課題で短編映画を作る機会があった。だが、自分には向いていないとあっさり諦めた。とはいえ、すぐに写真に向かったわけではない。その面白さに取り憑かれたのは、ずっと後。それも、写真を「撮る」という行為ではなく、「観る」ことがきっかけだった。九十年代半ば、『写真新世紀』と呼ばれる公募展などから、多くの写真家たちが世に出てきた。その中でも注目を浴びたのは、自分の感性を頼りに日常の仔細を切り取っていく者たちだった。彼らは一様にナイーブで、表現の先に社会や自分以外の他人を想定せず、内向的すぎると議論の的にもなっていた。だが本城は、気負いなく表現するその作風にシンパシーを感じた。それでありながら、社会に踏み込んだ表現をする作品に強く惹かれた。「ホンマタカシさんが撮っていた郊外は、ニュータウンの空しくて寂しい感じが出ていて、今までにない距離感がありました。当時、郊外で殺人事件が頻繁にあって、写真を見て『今にも殺人がおこりそうな場所だな』と感じたことを覚えています。普通に撮っているようにみえるのに、その部分が見えてくるのは凄いと思った」作品を注意深く「観る」ことで、作者の意図を想像する。何よりも感心したのは、作者が対象と独特の距離を保ちながらも社会的なメッセージを発していることだった。それは、報道写真のような直接表現とも違う。「写真の面白さは分かったが、自分でも撮れるとは思わなかった」と述懐ある時、ミニチュアっぽく撮れたんです。でも、それは偶然できたことで、自分が意図した「表現」にはなっていない。23 | 307 | forme