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概要

形 forme 308号

1126,991,255初めて見た彼女の作品は、白い壷のようなものを真上から捉えた小さな油絵だった。壷の中には水が張られている。表面にある波紋は大小重なりあっているが、それぞれの形を崩さない。画面全体は、大きくわけて青から黄、そして緑へと変化する色のつらなりがあり、暖色のアクセントが入っている。波は独立したさまざまな色を持つが、それらが混じり、濁るというようなことはない。壷や水といった具体的なモチーフはある。静物画に仕上げることも可能だ。だが、そうしない。モチーフの個別の形や色を一旦整理し、それらを単純化した上で描きだしている。ここまで書いてはみたが、これは絵の前に立ち、目に映ったそのままのことだ。構造を説明したにすぎない。でも対象が魅力的なら、まだ発見されていない特長を見つけ、それに拮抗できる言葉で表してみたいと思う。だから、作品の前で意識を集中させてみる。だが、頭では簡単に解釈させてくれない。どうもこの絵は、自分の感覚というものにダイレクトに訴えかけてくるように思う。絵の前に立ってただ感じればいい。解釈するよりも、見ること、それ自体を続ければいい……自分の悩みを尻目に、絵がそう言っている気がする。ゆるやかで洗練されたこの絵には、言葉での修飾を拒むほどの強さが潜んでいるのかもしれない。作者の名は、曽谷朝絵。彼女が生みだす作品には、どんな特長があるのか。それを考えるには、一旦絵から離れてみるといいのかもしれない。卑近な例だが、先日ラジオの音楽番組に自分がリクエストした時のことを記したい。その番組はリクエストのテーマを定めず、リスナーに任意で曲を募る。横浜の局なので、自分が日頃「横浜っぽい」と感じている曲を送った。外国人歌手が歌うソウルミュージック。詞には、横浜に触れた個所はないが、聞くたびになぜか横浜を連想する曲だった。DJは「どこが横浜っぽいのか教えてほしい」と一言添え、リクエストを流した。曲を聞きながらわかったのは、自分で言いだしたにもかかわらず、その理由をこれまで考えてこなかったことだった。自問しつつネットを眺めていて、驚いた。番組リスナーが次々に反応していたからだ。「言葉では表現しづらいけど、たしかに横浜っぽい」「横浜というより、カタカナのヨコハマかな」「何となく本牧あたりだよな」……意外だった。勝手な先入観が、なぜこれほど賛同されたのか。曲と町に、目に見える関係性はない。ゆえに、リスナーたちは、曲から連想したある「感覚」だけでつながることに喜びを感じているようだった。自分も実際そうだった。曽谷の絵の周辺にも、これと似たコミュニケーションがあるように思う。描かれた絵の意図を、鑑賞者が改めて言葉に置き換えなくても、絵を見て受けた「感覚」だけで理解できてしまう……そんな関係。鮮烈にデビューしたバスタブの作品にしてもそうだ。「絵って平面だけど、たとえばお風呂に入った時の感じ……水に触れたり、湯気を感じて血の循環がよくなったり、心臓が鼓動したり。そういう触覚をもって、見ている人を包む装置のようなものをつくりたいと思ったんです」これは、これまで絵画では触れられてこなかった領域の話をしているのだろう。日常生活で気にかかっていたことや、意識の下に隠れ、取り立てて考えていなかったこと。自分では説明しづらかった感覚が、一枚あえて言葉にしないが、日常生活で気になる“あの感覚”。それは、自分の深いところで何かと結びついているという。絵は、感覚を伝えるための装置。ならば、装置が結ぶ何かとは、鑑賞するわたしたち。この絵が静かに覚醒させるのは、鈍りゆくわたしたちの感覚だ。カラーインクを用いたドローイング。23 | 308 | forme