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概要

形 forme 308号

の絵として目の前に現れたことにわたしたちは驚く。尚かつそれが、見ることの快感と共に伝わってくる。だから、鑑賞者の中に感動が膨らみ続ける。好きな曲のメロディは、いつまでも聞いていたい。彼女の絵の前に立つことは、音楽を聞く行為に近いのではないか。「なぜバスタブを描いたのかというと、それは自分のよく知っていることでないと人を説得できないと思ったからです。人の顔も描いてみたけど、家族であってもよく知らない。一番実感しているものは、それは錯覚であっても自分の身体で直接感じとった情報だと思うんです。普段の生活ではわざわざ人に説明したりしないけども、気になることがある」そう実際に聞いても、彼女が“感覚を表現する”という難題に挑戦し続けていることが不思議だ。いくら実感したことであっても、感覚というものは個人の主観でしかない。絵を見るだけで、作者と同じような感覚が得られる……そんな高度なコミュニケーションを、一からつくりだすことは容易でないからだ。彼女は、実際のバスタブや、その写真を見ながら描いていないという。これは、個人的なものでしかない「感覚」に普遍性をもたせるための仕掛けだろう。バスタブの作品であれば、まずは入浴時の記憶から、身体全体で受け取った「感覚」をたぐりよせる。そこから気にかかった断片を取り出し、自分で納得がいくまで咀嚼する。そうして混ざり合った「実感」と呼べるものを、改めてキャンバスに構成する。あくまでも、鑑賞者を“包むような装置”をつくるために、個人的な感覚を他人が頷けるものへと慎重に変換しているのだろう。描いたら、一旦絵から離れ、遠くから眺める。その作業を、彼女は必要以上に繰り返しているという。描く時間よりも、離れて見る時間の方が長い。独りよがりにならないよう、第三者として厳しく見ているわけだ。「感覚」を伝える方法はわかった。しかし、まだ疑問が残る。彼女は、社会へのプロパガンダのために絵を描いているわけではない。とはいえ、現代美術の時流に乗った商業的な作品でもない。いわばテーマにしやすいものを選ばず、“ある感覚を伝えたい”という内的な発露から出発し、軸をぶらさず貫徹させている。はたして、そのモチベーションだけで、長年、絵を描き続けられるのかということだ。「絵を描きはじめると、作品の中に“命”のようなものが生まれるんです。そうすると、命が『こうしてくれたらもっと素敵になるのよ』という声を発しはじめる。それがもの凄く強い。だから、わたしはその命のためにどうしたらいいのかを考えるんです」幼い頃から、こうして絵と話を続けてきた。いつも両親がクレヨンや広告チラシを机に置いてくれていたので自然と描きはじめた。幼稚園から帰るバスの中でも絵と対話していたという。もちろん、絵だけではなくピアノや水泳もやった。でも、彼女がやめたいと言えば、両親は意志を尊重してくれた。だから習い事で時間を埋めるようなことはなく、自分が何を好きで、何をやりたいのかを考えるための時間が持てたという。その時間の中で、ものをつくることのモチベーションが育まれていった。芸大受験のため予備校に入り、技術に長けた浪人生を見ても慌てなかった。「もちろん、上手い人の技術を取り入れることもありました。でもそれよりも自分が描いている絵や、描く対象そのものが教えてくれることの方が強いんですよね。人の真似をしようと思っても、その人の中で続いてきたストーリーと私のストーリーは違うので、そのまま真似しても無駄。結局は、自分との対話がないと強い作品にはならないと思うんです」一貫した姿勢は、大学入学後、自分のテーマを見つけ出す必要に迫られた時に活きてきた。絵に、そして自分に向き合えば取り組むべき課題は見えてくる。そこで、彼女が自覚的に行ったのは、“いま実感している”その感覚に向き合うことだった。「アーティストとしては、周囲を見て、自分ができることは何かということは考えます。でも、つくっていて実感があるもの、これは自分がやるべきことなんだ、ということをやっている時の感覚は、仮のものをやる時とはちがいます。やっぱり、自分は実感があるものを選んできたっていうことなんです。そうしないと仕事にはならなかった。だから、絵と対話し続けているんです」曽谷は若くして多くの賞を取り、脚光を浴びた。近年は絵画だけに安住せず、インスタレーションやパブリックアートへも創作の場を拡げている。興味深いのは、いくらメディアが変わろうが、一度生まれた“命”は消えず、さまざまな作品の中に現れるということだ。その命を育て続けていくことが、作家としての存在理由にもなっている。もちろん、いい状態を維持するには、一時の感覚に惑わされないよう、確かな感覚を見極め、対話を続ける努力が必要になる。だが、対話の際、自分の意に沿う感覚だけを抽出していては作品が非常に浅薄なものになるのではないだろうか。色が綺麗。形が美しい。そう一言で表せる絵があってもいい。でも、技術に長けただけの絵なら、百年後、千年後の世に残ることはないだろう。残るのは、後世の人々も納得できる、ある普遍の感覚が宿る作品だ。曽谷は筆を握る時、自分に正直に、いま実感していることに向き合っているのはもちろん、さまざまな記憶をも呼び起こしているので1126,991,255forme | 308 | 24