ブックタイトル形 forme 310号
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形 forme 310号
メーション制作を通して、モノに感情や命を吹き込んでいるのです。動きが、言葉になるアニメーションの動きを見る時に、どこに着目するとよいでしょうか。津堅私がいつも注意して見ているのは、止まっているものが動き出す瞬間、また動いているものが止まる瞬間です。歩いている人が止まる時には、何か理由がある。車が来たからなのか、知っている人が通りかかったからなのか、お金が落ちていたからなのか。その理由によって、止まる時の表現の仕方が変わります。動く直前、止まる直前というのは、動きの意図を表現する要の部分なんですね。ここがきちんと表現されていると、止まっている時間が生きてきます。驚いて固まってしまっているとか、何かを待っているとか、意味のある静止になるわけです。アニメーションというと常に動いていなければいけないイメージがあるかもしれませんが、むしろ大切なのは、動きと動きの間の止まる部分によって生まれる「間」や「緩急」ではないでしょうか。ロシアのA・アレクセイエフによる『LogJam』シリーズ(二〇〇八?)は、考え抜かれた静止のタイミングによって、見る人の笑いを誘います。どうしても、ストーリーのみを追ってしまいがちですが……。津堅大学での講義の際、学生によく試させているのは、「音を消して鑑賞する」という方法です。セリフや効果音がないので、見る人は動きだけに集中して、その意味を読み取ろうとします。「間」やカットの切り替えについてもよくわかるため、プロの研究者や批評家も使う方法です。また、そもそもストーリーやセリフがない、抽象アニメーションというジャンルがあります。一九二〇年代から行われた、芸術表現の一形式としてアニメーションを制作する試みで、ドイツのO・フィッシンガー、W・ルットマンらが有名です。典型的な作品は、単純な図形がスクリーン内を動き回るもの。説明的な要素はほとんどありません。しかし例えば「風」がテーマであれば、形、動き、形の変化によって、風を「目で感じる」ことを彼らは目指しました。ここでは形や動きそのものが、言葉になっていると言えます。これからのアニメーションは、どのような表現を目指していくとお考えですか。津堅映像を見るという体験が珍しいものとして受け入れられていた二〇世紀前半とは異なり、現代は絵やモノが動くことは当たり前の時代です。だからといって、新たな技術や表現方法を生み出さなければ人々に関心を持ってもらえないかというと、必ずしもそうではありません。昔からある技術や表現でも、使う順序や場面を変えれば、動きの豊かさはまだまだ問えるはずです。そして、ただ動くだけでは驚きも楽しみも感じられないからこそ、アニメーションをつくる側は一つ一つの動きに意味を込め、見る側は動きから意味を読み取るという関係を、積極的に築いていくべきではないかと思います。津堅信之つがたのぶゆきアニメーション研究家。近畿大学農学部卒業後、企業勤務を経て、大阪芸術大学、学習院大学大学院講師、京都精華大学マンガ学部准教授などを歴任。現在は日本大学芸術学部非常勤講師を務める傍ら、フリーランスとして執筆活動を行う。著作に『アニメーション学入門』(平凡社新書)、『日本のアニメは何がすごいのか』(祥伝社新書)など。KJFG No.5[カラー・1分59秒]2008アレクセイ・アレクセイエフ[1965 ?]forme | 310 | 12