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概要

形 forme 310号

1127,110,847のことがありありと伝わってくるのは、観察する注意深さが尋常でないことと、記憶を言葉に置き換える段階で余計な判断を加えていないゆえ。記述は、貧しさや美しさをことさら強調しない。目の前の一部始終を、少年は見るだけなのだ。見ることを軸にした五味の生活は、青年になっても変わらない。彼はチョークをもち、町に出かけるようになる。そこで試したのは、つぎつぎと目に入ってくるものに○×をつけて歩くこと。あの電柱の立ち方は好きだが、電線の張り方が気にいらないから×。女優が笑っているポスターは、下品な雰囲気のこの町にあっているから○。見慣れた風景に改めてスポットを当て、自分の直感を観察した。好き嫌いをつけた理由を考えることが、自分にフィットするものを見極めることになる。そこには他人の基準が入らない。自己流のフィールドワークを繰り返すことで、自分にとっての価値基準を作っていった。「俺には、ルールは自分で作っていくという原始的な野望みたいなものがあるんだろうね。すなわち、自分の方法で生きていくということだよね。だって自分しかいないんだから。それは他に侵されないで、他も侵さないで生きていきたいなということ。そう考えると、絵本を一冊描くことも、自分のルールの中で展開させたひとつの世界を少なくとも俺が組み立てたんだよね、っていうことになる」独自のルールがあるなら、構成する要素が必要になる。中でもとりわけ重視してきた要素を、五味はこう説明する。「俺が大事にしているのは、こころ楽しい気分。その気分で本を描きたいと思っている。それが静かな気分だったり、ガシャガシャした気分でもいい。気分を大事にして生きていきたいっていうのは、ずっとあった」「気分を大切にする」ということと「見ること」。その面白さを幼い頃に発見し、もしも、そういった感情を中心に据えた人生を展開していこうと考えれば、ともすれば、すでにある社会の側のルールから外れる運命を引き寄せることにもなりかねない。小学校の頃、五味は椅子に座って人の話を聞く気持ちになれなかったという。理由はよく分からない。あえていえば、自分に対して気の毒だという気持ちがあった。そう感じたら、教室からしばしば逃げ出した。だが、逃げてなにをしたわけではない。そうすることで気分が良くなった。だから、しばらくして学校に戻っている。五味は自分の感情に向き合っていただけなのだ。かつての自分がそうだったように、子どもたちは実は自分の性格にほぼ気づいている、と五味はいう。子どもにも個別の人格があるならば、彼らがプログラムから外れることがあるのは当然のこと。五味も、教育されることを拒んだ。では、そこからはみ出した彼はどうしたか。絵を描くことを見つけたのだ。その世界はどこかに正しい答えがあるわけではなく、自分がどう想像してもいいという自由があった。全然、問題はなかった。「ガキは絵を描いている時に、なに描いてるの?と聞かれるのが一番辛い。クレヨンでも絵の具でも、ぐちゃぐちゃ描くその作業が面白いわけ。抽象にも具象にもなっていない状態だよね。そんな時に、大人はなに描いているの?って聞いてしまう。ガキは、うるさいなと思いながら『ウンコ』とか言うわけ。それを聞いた大人は『汚い』と返す。でもガキは平和主義者だから大人が安心するように、そこで『ヘビ』と言い直すんだよ。ガキが絵を描く時には、実はそういう構造が細かく起こってる」五味も、子どもたちと同じように31 | 310 | forme