ブックタイトル形 Forme 311号
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形 Forme 311号
彼らの写真には、写された風景の中で生きる人々のいわば骨太な人間性のようなものが滲みでていた。通り一遍の主張だけではない、その表面を見つづけることで背後にある大事な何かが浮かびあがってくるような写真。そこには、カメラを構える者の力量が紛れもなく存在していた。今回の連載、冒頭の肖像写真はスマートフォンで撮影している。撮影後、古めかしい加工ができるアプリを試した。何でもない写真が、ワンタッチで〝それらしい写真?に変化した。これには正直驚かされた。今後も技術は進化しつづけるわけで、デジタル写真にボケや擦こすれなどのニュアンスを加えて銀板に印刷すれば、完成物としてはダゲレオタイプと差異がない状況がでてくるだろう。であるならば、逆説的に考えてみたい。カメラと完成写真。その両者を省いたら写真には何が残るのだろうか?そこには、〝撮る?という行為が残る。『MONUMENTS』により木村伊兵衛写真賞という名誉ある賞を受けた今、ダゲレオタイプ撮影において彼の右にでるものはいない。だが、これまで彼はダゲレオタイプをしばしば脇にやり、自分が撮るべきものは何なのかを考えることに、もっとも時間を費やしてきたのかもしれない。ダゲレオタイプを手にして数年、新井は湖や滝といった自然をモチーフにしていた。正直、まだ極めるべき対象に出会っていなかったといえる。そんな彼に転機を与えたのが、『100 SUNS』という写真集だった。そこには、アメリカ人写真家が核実験の現場に従軍しながら撮った、爆発の瞬間が収められていた。「この世の終わりの映像ですよね。自分が生まれる前に、こういうものが何千発も出現したことの事実に打ちのめされました。恐いというよりも、アートを思考する人間としては凄い畏怖を感じるんです。こんなものを自分はつくることができない。倒錯していますけど、アーティストは、そういう欲望があるんです。でも、これは当然超えられるわけではないし、超えてはいけない」原子爆弾が爆発し、太陽のように大きく輝く。その足元で、兵士たちが実験の成功に狂喜している。衝撃と同時に、核兵器を創造した物理学者に嫉妬も覚えた。それが世界を破滅させるものでも、〝人がものをつくりだすこと?の深淵に思いが至るのは、作家ならば当然のことなのだろう。作家は、無から何かを生みだすわけだから、欲望がなければ何もなし得ない。ダゲレオタイプを掴ませた新井の欲望は、核という新しいテーマを掘り始めた。まずは、第五福竜丸の乗組員の話を聞き、原発労働者の書籍を開いた。その矢先、東日本大震災が起こり、福島第一原発が爆発したのだ。原爆に隠れていた原発。その脆さが一挙に露呈し、身に降りかかった。これで自分自身の問題として捉えることができる。彼は被爆した百合や桜、汚染地域から避難する親子など、撮るべきものを見極めながら撮影していった。そして、『100 SUNS』にもあったアメリカ初の核実験場にもたどり着いた。旅の記録は四年に及んだ。特筆したいのは、それが政治的なモチーフを扱いながらも、人を扇動するような安易な物語に終始していないことだ。作品には、見る者に新たな認識を静かに覚醒させてくれる包容力がある。そう結実できた理由は、彼自身も核の存在の上に営みを重ねてきた人間のひとりなのだ、ということを常に意識していたからではないか。悲惨な状況に置かれている人や遺構を前にした彼の脇にあったのは、やはりダゲレオタイプだった。一日一枚を撮り終えるのがやっとで融通の利かないこの伴走者が、核を告発することに勇みたつ彼を沈め、自省を促したのかもしれない。その結果、見ることの欲望と、人に冷静に見せていくことの同居が成立したのだと思う。この世に一枚しか存在しない写真。それに触れる人の数は、メディア報道を目にする人とは雲泥の差だろう。しかし、数ではないと思う。ひとりの人がダゲレオタイプの前に立つことで、その人の中に新たな経験が深くゆっくりと芽生えていくことの意義。それは、電源を切ればすぐに消える情報とはちがうのだ。私も、〝小さなモニュメント?に出会ったひとりだ。そこで強く意識したのは、唯一の核被爆国でありながらもアメリカの核の傘下に甘んじ、その平和利用を謳った原発を爆発させたのに再稼働を容認してしまう、そんな矛盾を抱える日本人のひとりであること。新井の試みは届いたのだと思う。それは、やはり写真が〝背後にある大事な何か?を感じさせてくれるものだったからだ。新井卓あらい・たかし一九七八年、神奈川県生まれ写真黎明期の技法・ダゲレオタイプを独自に習得し制作活動を展開している。これまで、ボストン美術館、東京国立近代美術館ほか多数の展覧会に参加。二〇一六年に第四十一回木村伊兵衛写真賞および日本写真協会賞新人賞を受賞した。1126,940,088forme | 311 | 32