ブックタイトル形 forme 312号
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形 forme 312号
いかにも古典のパスティーシュなどを得意するその作家像が伝わっていたが、いざ対面すると、諧謔的な言い回しの中にどこか〝熱さ?を感じる。 『オイルオンカンヴァス』と題した先ほどの四枚の作品は、京都の西本願寺の襖絵にインスパイアされた。白書院という建物に案内され、雨戸が開けられたその瞬間のこと。墨で平べったく描かれているだけだと思った竹が、射しこんできた光で前に迫り出し、前後に蒔かれていた背景の金雲が奥まった。驚愕したのは、両者の間に信じられないほどの奥行きが生まれたこと。竹と金が、地と図の関係を超え自由自在に行き来するような視覚体験は、西洋絵画を見ている時には到底起こりえない。控えの間での思いがけない体験だった。 その襖絵に導かれて描いた本作は、金泥の代わりに油絵の溶き油を使った。だから、溶き油で描かれた電信柱やレーザー線は、一見すると余白にしか見えない。見る方が、光を受けるポイントに動いてはじめて像が立ちあがる。墨と金というミニマルな画材で、最大限の奥行き効果を演出してきた近世の絵師へのリスペクトなのだ。 それにしても、山口はなぜ東洋の墨と西洋の溶き油を同居させ、過去にも、日本的な空間認識をベースに油絵を描くという離れ技を行ってきたのか。西洋の絵画制度をいかに受容するかは、近代以降の作家なら通らざるを得ない問題なのだろうが、ここまでこだわりつづけるのが不思議だ。 彼も多分にもれず、絵が好きな子どもだったという。 もっと上手くなりたいと迷いなく進んだ東京藝術大学では油絵を専攻。そこで遭遇したのは、西洋の周回遅れのトレンドを喜んで受け入れつづける日本のアカデミズムだった。すでに描くことの楽しみを純粋培養させていた彼の歩みは、一旦止まることになる。 「向こうの人は〝フランス料理が料理である?という顔をしているわけです。『あなたの国はバターを使わないんですか?』という風に。でも、お出汁にバターを混ぜたら台無しなわけです。そういう葛藤を日本の学生さんは日々やっていまして。でも向こうの人も、自分たちの料理が世界料理だなんて言ってないんです。日本人が『フランス料理にお出汁を使ってみたら』って返しても、『もうフォンドーボーが利いてるんで』って言っているだけで。要するに、日本が進んで植民地化されていったわけです。日本人が『バター使わないの?君は』って言うわけです、同じ日本人に。あの辛さですね」 わたしたちが日頃使う〝美術?は、明治期に翻訳された言葉だ。導入されたこの時から日本人はそれまで積み重ねてきた成果を脇にやり、目の前の風景を西洋流の二次元世界に変換する技術の習得を命題にした。外圧によってではなく、みずから選択したのだ。その文脈に馴染めない自分を知った山口は、絵を見ることも描くことも楽しめなくなった。すべてを批判的に見るだけのそんな彼に目を開かせてくれたのが、江戸以前の古典、特に室町の絵画だった。 「出会ったことで減点法が加算法になったといいますか。日本の絵は、どう考えても油絵科で習った価値観で見ていると分からないんですね。でも、日本の絵を見つづけると凄まじく気持ちよいことがおこる。これが日本の人が連綿と求め続けてきたことであり、それを体験すると自分が再生産できるっていうんですかね」 たとえば雪舟。日本と中国の水墨画の区別がつかないと、雪舟の山水画は中国の先人の亜流にしか見えない。だが、その空間性を強く意識すると、中国の絵は西洋絵画に近いしっかりとした三次元性を持ち、反対に雪舟の絵は、隈取りなどを用いて平たい面を重ね、特殊な奥行きを獲得していることがわかった。雪舟はもちろん写実的にも描ける。しかし、絵は写真とはちがう。結局、絵は三次元を二次元に変換するイリュージョンなのだから、自分の脳内にある景色をも範疇に入れ、キャンバスに写しとることのできない対象の本質をも求めるべきではないか。彼は、先人たちの、風景を咀嚼したうえで、モチーフの持つ実物性とそれを超える精神性を調和させた創作に大きく心を動かされた。 山口は、古典を単なる歴史の記号としてではなく、実際に対面し「凄まじく気持ちのよい」と感じる根拠を探っていった。その過程で分かったのは、明治以来、日本人は自国の絵画を評する適切な〝言葉?を持ち得ていないということ。自分たちで評価軸をつくらないと、その文化を西洋の素数で因数分解するしかない。自国の文化特有の素数で割ってはじめて、成してきたことがわかる。 新しい評価軸を〝言葉?で確立したいという思いが、小林秀雄賞を受けた『ヘンな日本美術史』という著作になり、言葉によらない〝感覚?が絵画になった。 展示室奥の一角にある茶室で、残る一作を眺める。雪舟の弟子筋の山水画を再構築した作品だ。暗い中、目を凝らすと墨で隈取りされた岩が薄らと光を放っている。問えば、岩の部分だけをくり抜き、背後に光源を仕込むことで雪舟の特殊な奥行き表現を探求したのだという。 なぜインスタレーションまで動員し、ひとつのテーマを深化させていくのか。山口は、欧米の作家ならひとつの手法だけで会場を構成するでしょうねと言い、こう付け加えた。 「見るっていうことは暴力的といいますか、見る人はレッテルを貼りたいんですよね。これは芸術です。こforme | 312 | 24