ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.1 > p5〜p10

教育実践例
未来からの留学生を受け入れて
慶應義塾湘南藤沢中・高等部 情報教育担当 田邊 則彦
1.教育の中の経済理論
 経済学理論にOpportunity Cost(機会費用)という概念があります。私たちは毎日の生活の中で,この機会費用にしばしば直面し,決断を迫られます。例えば,新学期に備えるために学用品を求めてデパートに行ったとしましょう。文房具売場で,筆箱・色鉛筆・ハサミ ・三角定規を買い求める予定でしたが,限られた予算ではすべてをそろえることはできません。ハサミか三角定規のどちらかを選ばなければお金が足りません。ハサミを選ぶと三角定規はあきらめなければならないのです。ハサミを買うことによって生じるコスト(費用)は代金だけではありません。「ハサミを買った」ために「三角定規を買うことができなかった」ことに対するコスト(費用)が発生します。これが,Opportunity Cost(機会費用)です。ある行為を選択するための「機会費用」は,それを選択したために「獲得する機会を失った利益」のことを指します。

  経済学の理論ですが,教育の世界にもあてはまる概念です。1999年3月1日に文部省が発表した,2003年度からの高校の学習指導要領案では,

◎「学校設定科目」の制度を設け,特色ある授業を作りやすくする
◎全員必修の単位数を31に,卒業に必要な単位数を74に減らす
◎コンピュータについて学ぶため,必修の「情報」を設ける

など,2002年度からの完全学校週五日制に対応して学ぶ総量を減らし,カリキュラム編成をより自由化した内容となっています。学校裁量でカリキュラムの弾力的な運用が許され,高校で教える内容や方法に自由化と多様化の流れが加速されることが期待されています。学校のスリム化をはかりつつ,小中学校と同様に「総合的な学習の時間」を設けて教科横断的な学習や生徒の興味・関心を深める教育を実現する方向づけがなされているのです。

  この学習指導要領案を,「機会費用」という観点からみると,

◎「学校設定科目」の制度の導入によって,
地域や学校の特色を活かし,生徒のニーズにあった科目が設定可能
VS
大学受験に関わる教科への偏重による学力の学校間格差拡大の懸念

◎単位数の削減によって,
完全学校週五日制に対応し,地域に根ざした活動への参加や課外活動が充実
VS
カリキュラムの大幅な削減による 高等教育へ向けての基礎学力不足の心配
学力の生徒間格差の拡大の可能性

◎「情報」の必修化によって,
高度情報通信社会の担い手を育成ツールとしてのコンピュータや
ネットワーク利用のリテラ シー教育の充実
VS
他教科の削減 急務な環境整備と教員養成

などがすぐに指摘できるでしょう。教育の中の「機会費用」を意識することは,バランスの良い教育環境を実現するために欠かせないことといえます。そして,より良い選択が生徒・教師・親・学校・家庭・社会に望まれているのです。新しい時代の教育は「高度情報通信社会における教育の役割」と「教育における高度情報通信社会の役割」を正しく認識しながら構築していかなければならないのです。
2.高度情報通信社会で変わる教育・変わらない教育
 コンピュータやコンピュータ・ネットワークの発達によって,教育はどのように変わっていくのでしょうか? 従来の教育のスタイルは否定されてしまうのでしょうか? 語学教育と情報教育を大きな柱とし,新しい教育の姿を模索しながらスタートした慶應義塾湘南藤沢中・高等部での試みを紹介しながら考えてみようと思います。開校8年目を迎え,文部省の補正予算で無線LAN装置の小規模教室への導入を実現し,ネットワーク環境はさらに充実してきましたが,テクノロジーの急速な進歩に伴い,初期に構築したシステム資産の有効活用が難しくなってきました。

(1) スタンド・アローン環境における情報教育

  開校当初(1992年)は,生徒機を44台ずつ配置したコンピュータ教室を2室用意し,情報教育を開始しました。当初から機器の保守管理の問題がいくつも指摘されていましたが,CD−ROMでOSを提供する機器を採用したことによって,CD−ROMの回収という手間はありましたが,お絵かきや文書作成・表計算・グラフ・プレゼンテーション・プログラミング等,インターネット環境を導入する前から,道具としてのコンピュータを意識した授業を展開していました。教室内LANのシステムを導入し,使いやすい環境を実現することも検討しましたが,当時多くの先進校で導入した画像転送システムにはあまり魅力を感じませんでした。使いやすいファイル転送システムの出現を待つことにしました。

  当時を思い起こすと,いろいろな出来事がありました。CD−ROMの裏返しセットやFDのフォーマット形式の違いによる読み込み障害・ファイルの誤消去等,コンピュータ利用「はじめの一歩」でのつまずきと,帰国子女の生徒の示したローマ字変換への戸惑いはその後の初期教育に活かすよう努力してきました。

  この春に定年退職された国語科の伊東先生からはCD−ROMで提供されている国語辞典を用いた授業展開の相談を受け,検索と文字情報の加工もカリキュラムの中に組み込んできました。

(2) 教室内LAN環境における情報教育

  開校3年目(1994年)に教室内LAN環境を整備することになり,2台のサーバーの効率良い運用形態を構築し,ファイル転送システムを授業で使い始めました。文書処理や表計算・グラフ作成等の応用ソフトをサーバーに置き,必要な時に読み込んで利用する方式でしたが,応用ソフトによってはユーザーログインが設定できずマシーンログインして使うものもあったり,プリンターネットワーク環境が未整備であったりと,万全の利用環境とはいえませんでした。

  一方,この時期はネットワークにログインすることからコンピュータ利用を開始することや,パスワード管理の重要性,計算機資源の有効利用等のネットワーク利用の約束や情報倫理に関わる基礎教育の重要性をリテラシー教育の一環として位置づけた時期でもありました。

  画像・音声・文字情報を組み合わせた紙芝居形式のプレゼンテーション作成課題を中学生に課しながら,協調・共同学習の可能性を探っていました。画像処理周辺装置の操作やファイル変換等のスキル獲得は生徒同士の学びの場を提供することにもつながり,ファイル共有の難しい教室内LAN環境であったため,協調・共同学習への発展には限界がありましたが,教室の中に今までになかったダイナミックな活動の萌芽を感じていました。

教室内LAN環境から校内LAN環境へと発展させ,校内メッセージ交換システムを導入することも検討しましたが,レスポンスの悪さと導入コストに見合った教育効果が期待できないと判断し,見送りました。

(3) UNIX環境の導入

  教室内LAN環境を構築した年の秋(1994年)には,大学メディアセンターに協力していただきUNIX環境の導入に踏み切りました。マルチユーザー/マルチタスクのネットワーク環境を活かした新しいコミュニケーションの形態と情報を共有することに教育的な魅力を感じ,パーソナルコンピュータのネットワークとは違う文化を持つ,UNIX環境を導入することにしたのです。安定稼働まで半年を費やしましたが,高校生には電子メールアドレスを一人一人与え,校内でのメッセージ交換からはじめ,国内外とのやりとりへと発展させ,メーリングリストを利用した創作活動や,ファイル共有を活用した協調・共同翻訳作業を試み,データサイエンス入門へと発展させていきました。

(4) 校内ネットワーク環境整備

  1996年には校内ネットワーク環境の大規模整備を実施し,パーソナルコンピュータのネットワークとUNIX環境の統合利用環境を実現し,インターネットの教育利用を積極的に開始しました。伝送経路の設計からネットワークOSやクライアントOSの選定,導入ソフトの選定と設定,ネットワーク上のドライブ構成の検討,周辺機器の選定に1年近くを費やし,カリキュラムも大幅に変更を加えました。校内ネットワーク環境整備の大きなねらいはイントラネットの確立とインターネット利用の模索でした。

  こうした本校でのコンピュータやネットワークの利用環境整備とカリキュラムの策定を通して,[高度情報通信社会で変わる教育・変わらない教育]を考えてみると,

−変わる教育−

◎どこで学ぶかが大きく変わる
  学校でも,家庭でも,社会でも学ぶ機会が提供されるようになり,遠隔教育システムが充実すれば教育の地域格差も縮小されるでしょう。院内学級での利用・学校不適応への対応も注目されますが,教育の場が学校を飛び出して「実社会」との関わりの中で形成されるようになることが大きな変化でしょう。

◎誰がどうやって学ぶかが大きく変わる
  生徒の主体的な学習スタイルが求められ,教師はその活動を支援したりコーディネートする役割を担うことになります。この教師の役割変化は黒板とチョークを使った伝統的な一斉授業による知識伝達型の授業スタイルからの脱却を意味します。

−変わらない教育−

◎ヒューマン・コミュニケーションの上に成り立つ教育
  コンピュータやネットワークを積極的に利用しても対人コミュニケーションを欠かすことはできません。従来の教育スタイルを補完する役割を果たすにすぎません。高度情報通信社会で求められる倫理観・道徳観は一般社会でも当然求められるものなのです。
3.いくつかの実践
 本格化する「情報教育」の実践例として本校での取り組みをいくつか紹介してみようと思います。

(1) ネットワーク利用はじめの一歩

  ネットワークの利用はログイン名の付与とパスワードの設定から始まります。望ましいパスワードと望ましくないパスワードについて考えさせ,パスワードが他人に判ってしまうことの怖さについて触れます。パスワードの変更手続きについても触れますが,新入生は慣れるまでちょっと時間がかかります。年度はじめは新規ユーザーの登録とパスワード忘れに対応するためにシステム管理者は大忙しです。

  個人のワークスペースとしてネットワーク上に用意されたエリアの使い方を学び,ユーザー漢字辞書の管理の仕方や共有ドライブの利用方法等,最初に覚えなければならないことがたくさんあります。

  図書検索システムの利用ガイダンスも含め,校内ネットワークシステムの利用ガイダンスが「ネットワーク利用はじめの一歩」です。

  基本的なガイダンスを終えると休み時間や放課後にネットワークを自由に使うことが許されます。コンピュータ教室も図書室も基本的には常時開放しています。壊れることを嫌って使わせないより,使って壊れた方が教育的な意義があります。学校は失敗の許される場を提供していると位置づけ,積極的に使いながら様々な事態にどのように対応すべきかを学んでもらうように心がけています。

(2) WebPageの閲覧・検索

  早い時期にWebPageの閲覧・検索の方法を学習し,ブラウザーの基本的な機能を紹介します。秋には新入生もネットサーファーの仲間入りです。非教育的な情報にアクセスすることをシステム的に防ぐのではなく,情報の価値を正しく判断できる生徒に育てることが大切だと思っています。

  検索エンジンの選択と利用法も目的に合わせてしっかりと学ぶと同時に,著作権や知的財産権といった新しい権利についても正しい認識を育てる工夫が必要です。

(3) 個人WebPageの作成

  自己紹介やクラブ活動・趣味等の個人プロフィールをまとめた,生徒一人一人の個人WebPageは,校内でのみ閲覧可能としています。WebPage作成用の簡便なソフトウェアを利用する生徒や,タグで直接HTMLを書き込む生徒もいますが,情報の発信に伴う責任について考えさせながらの作業となります。

(4) グループウェアによる校内メッセージ交換・掲示板・レポート提出システム

  校内メッセージ交換を利用しながら計算機コミュニケーションの長所と短所を考えさせ,失敗を通して学んでいくことを大切にしています。

(5) プレゼンテーションツールとしての利用

  画像・音声・文字情報を組み合わせてスライドショーを構成し,見てもらうためのプレゼンテーションと限られた時間を有効に使って発表をするためのプレゼンテーションの違いを学びます。テーマは旅行企画や料理紹介など多岐にわたります。

(6) オーサリング

  物語構成で大きなプロジェクトを企画し,マルチメディア機能を活用した作品を共同でまとめる作業で,「東海道五十三次」や「世界の国々」などをテーマに設定しています。ある程度の企画力と技術力,調整能力が要求されますから,総合的な学習につなげることができると思います。

(7) 計算機コミュニケーション

  コミュニケーションの道具としてネットワークを利用する際のマナーを実践する場として国内のいくつかの高校と共同でメールングリストを利用した「インターネット連歌」を実施しています。日本古来の五七調の歌を詠みつなげていく企画です。自由な発想で詠む歌には,若者らしいエネルギーが溢れています。

(8) データサイエンス入門

  平均や分散・偏差を求めたり,グラフ化するだけでは見えてこない,データに隠されている傾向や特徴を発見するために統計解析の初歩を学びます。統計の基礎知識を必要とするため,高学年に設定しています。

(9)「経営経済シミュレーション演習(MESE)」

  米国の教育支援組織ジュニアアチーブメントが開発した,架空商品『エコーペン』の生産・販売を通して企業実績を競争するためのコンピュータ・シミュレーション。少人数のチームで会社を「経営」し利益を競うもので,社会科における経済の学習で教材として活用しています。「自社」の雇用や資金量,「他社」の経営方針に目を配りながら,製品の生産数量や販売価格,設備投資額・マーケティング費用・研究開発費の5項目を決めていくものです。インターネットを利用したMESEの国際コンテストや国内コンテストも開かれています。意思決定のための情報分析能力を培い,チームディスカッションのプロセスを体験させる優れた教材です。遠隔地の参加者が掲示板システムを使って議論を重ねていくサイバーチームも結成され,インターネットを利用して議論をしています。

(10) ThinkQuest

  世界的な規模で実施されているThinkQuestは,高校生を対象とした教材WebPageコンテストです。チームを組んでコーチとともに協力しながら協調・共同学習を展開し,教材として価値のあるWebPageを作成していきます。

  テーマを選定し,資料を集め,ページデザインをし,アンケートやチャット・掲示板のシステムを構築したりする一方,アクセシビリティー(目の不自由な人や機能の低いブラウザー利用者に対する配慮)を高める工夫も行います。教材としての価値を認められた作品はライブラリー化され,全世界で利用されます。

  1998年の国際コンテストに参加し,セミファイナリストに残った本校高校1年生の佐藤大介君と現在アメリカの高校で勉学中の阿川大君の「クローン」を扱った教材WebPageには,全世界からメッセージが届けられています(表10-1参照)。

  日本語によるThinkQuestコンテストも開催されています。3月23日に発表された第一回ThinkQuest@JAPANでは,シミュレーションやデータベースを活用したページが受賞しました(表10-2参照)。

  ThinkQuestのようなプロジェクト型の学習スタイルは今後大きく注目されるようになると思われます。生徒自らが目標の設定を行い,情報の入手・収集・交換を行い,コミュニケーション・ツールとしてネットワークを活用しながら,情報の発信の喜びを感じ,責任を果たしていくことは人格形成に大きな役割を担うことでしょう。日本語によるThinkQuestの紹介は,http://www.thinkquest.gr.jp/を参照して下さい。

Sat, 10 Oct 1998
Wamiq Umaira
some questions o on genetic engineering.hello dr.thpmas. i am a 12 year old girl from Dhaka studying in the American International School. See, I am extremely interested about genetic engineering. could u please help me by stating 2 examples of genetic engineering? One, I know is Dolly but I don't know the names of the scientist or scientists who conducted this experiment. What is your opinion about genetic engineering and why do u support that decision? Thanks a lot for spending your tie reading my e-mail

98/12/07
toshi
このページを見て「クローン」への理解が深ると同時に、道徳的に「クローン」が許されるのかどうかと言う問題が私の中で、一層深まってしまいました。考えさせられましたが、とても良いホームページだと思います。ところで、「臓器」そのものだけを「クローン」の技術を駆使して作成出来る、と言う話しを聞いた事があるのですが、これはどういうことなのでしょうか?本当に可能なのですか?
▲佐藤君たちのWeb Pageに届けられたメッセージ(一部)[表10−1]

◇中・高校生の部(提出作品数:72件)
最優秀賞:10073 THE COSMOLOGY -EXPLORE THE LARGEST MYSTERY-    
《http://contest.thinkquest.gr.jp/tqj1998/10073/index.html》

<科学・数学部門(提出作品数:17件)>
第1位:10098 奇跡の星〜地球〜    
《http://contest.thinkquest.gr.jp/tqj1998/10098/index.html》

<芸術・文学部門(提出作品数:11件)>
第1位:10066 日本の伝統百人一首    
《http://contest.thinkquest.gr.jp/tqj1998/10066/index.html》

<社会科学部門(提出作品数:24件)>
第1位:10080 人間の活動と自然環境の破壊    
《http://contest.thinkquest.gr.jp/tqj1998/10080/index.html》

<学際部門(提出作品数:12件)>
第1位:10083 Welcome to Galapagos World    
《http://contest.thinkquest.gr.jp/tqj1998/10083/index.html》

▲ ThinkQuest@JAPA'98最終審査結果(一部)[表10−2]
4.情報教育への一つの提言

 山の岩清水が小さな流れを作り,沢となり,川となり,支流を集め大きな本流となっていくように,情報も小さな小さな情報が集まり,価値のある情報の宝が形作られると言っていいでしょう。生徒は木の葉や笹舟のような小さな舟で情報の流れを下り,目的とする情報の流れにたどりつきます。途中で強い風に吹かれるかもしれません。大雨による濁流にのまれるかもしれません。冬の凍てつく寒さにも,夏の強い日差しにも耐えなければいけません。川を下りながら様々な情報に出会い,情報の真の価値を見抜く力を身につけていくことになります。川には洪水を防ぐための堤防や堰が設けられ,橋が架けられ,人々の生活を豊かにし,自然と共存する工夫がなされています。情報の流れにもこうした工夫が求められています。教育という舟に乗った生徒たちは大きな川の流れにのって河口へと下っていきます。海に出るとその先には大海原が広がっています。多くの船舶の安全航行を保証する港湾システム同様,情報の世界にも安心して利用できるシステム作りが求められています。防波堤は大きな波から港を守り,灯台は航路を示しています。どのようなシステムが高度情報通信社会の教育に求められているのでしょうか? 2003年から始まる高校での新教科「情報」の水先案内をつとめる教科書に求められる役割を今一度皆さんと考えてみたいと思います。

前へ   次へ
目次に戻る
上に戻る