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ICT・EducationNo.23 > p1〜p5

ICTE特別企画
対談 「情報の本質をどうとらえるか」
慶應義塾大学環境情報学部 村井 純
関西大学総合情報学部 黒上晴夫
教科書で扱うべき本質的なこと

黒上先生(以下黒) 私たちが執筆した情報科教科書は,非常にたくさんの学校で使われていて,いろいろな先生に聞いてみても,これしかないでしょうという話を聞きます。ただ,現在,平成19年度用の教科書編集が始まっていますが,情報の世界の動きが早いですから,それに合わせて対応していかなければいけません。

村井先生(以下村) 私も一番最初から心配していたのは,情報科が教科としてカリキュラムの中に入ってくると,そのカリキュラムの中で細かい内容を決めるレベルと,情報技術の進化のレベルが大きく変わってくるというところです。1年経ったらもう昔話になってきますから,そういう中で教科書を編集していくには,本質的なことをどうとらえるかが大事だと思います。

 本質的なことと言っても,それもやはり変わっていく気がします。新しい情報技術が世の中に入ってくると,本質そのものが大きく変わるような気がします。このようなことも含めて教科書を改訂していかなければなりません。ICT・Educationの読者や,現場の先生方に知ってもらいたいことは,情報技術の進化がどういう方向を向いていて,それに向けて私たちがどういう心の準備をしていかなければならないかということだと思います。

 「本質的とは何か」ということについて,学ぶ人の立場で考えると,情報技術がこれだけ変わってくると何が起きるかわからないという不安感もあるわけです。
 また,新しい問題に取り組むといってもこれも二通りあって,まず一つは情報技術を理解してその問題に取り組んでいくということ,もう一つは利用の面で情報技術をどう使っていくかということにどれだけアグレッシブに,創造的に取り組めるかということがあると思うのです。
 情報科の教科書もいろいろな視点で,情報の側面について偏らずに表現されていると思いますが,根幹には情報技術をどう自由に使っていくかという基盤的な話があって,それを理解した上で自分が何をやりたいかということを考えることが大切なわけです。そのために情報技術をどうやって使えるのかという話になるのではないかと思います。

 何も知らない子どもたちを「情報」の世界に出会わせようとするとき,まず操作方法から入ることが多いようです。実際,さまざまな内容で構成されている情報科の教科書を使っていながら,1年間かけてワープロソフトのいろいろな機能を順番に覚えさせて,それが全部終わったあとで何かを作らせるというような操作中心のカリキュラムが現場ではかなりの割合を占めています。そういう「現実」と「本質の話」が,私にとってはどうも遠いように感じます。

 この教科書を見て,うまくできていると思うのは,携帯電話とか,いろいろな情報を使って,いろいろ変わってきている世の中を見て,そこに共通している話は何だろうかということを考えていける入口となっているところだと思います。ある偏った話になりがちなところを,バランスよくとらえられていると思います。
 情報政策的なことで,国がやるべきこと,環境として整備すべきことと,あとは人間に任せることを切り分けたいですね。例えば,インターネットはその良い切り口で,ディジタル情報を自由にやり取りできる環境というのは空気みたいなものだから整備しましょう。そして,そういう環境の上で何をやるかというのは人間の問題だから任せましょう。この二つを考えられるかどうかが,私は一番大切だと思います。



人間の創造性

 人間の創造性というのは,例えば,のびのびと外に出ていくときに,自分の体力を知っていて,その上で何かに挑戦するのと同じように,その環境を知って発揮されるものだと思います。雪の日に野球の練習をすると,白いボールは見えなくなるかも知れないということがわかっていなければいけない。そういうことを知識として持っていて,あとは創造性を発揮して欲しい,という考え方が教育では大事なのかもしれないですね。

 ただ,例えば「雪の日にボールを使うと白くて見えなくなります。」ということを100回暗唱して覚えても,実際に雪を見たことがなくて,それが実際雪国に野球をしにいったときにその知識が使えないという教条主義的な教育になってしまうと無駄であって,やはり体験の中に知識を位置づけながら実感を通して理解できるという形に持っていかなければならないでしょう。そういう仕組みを,日常の生活と学習を結びつけることでうまく作れるといいと思うのです。
 ところで,「すべての国民にITを」ということでいろいろと施策がほどこされてきたと思いますが,その効果はあったのでしょうか。

 例えば,紙を使わなければ駄目だ,書面をもって何々をしなければならない,と法律で決まっていることがたくさんあります。この書面・印を使わなければならないというルールを変えて,法律を変えていかなければいつまで経っても駄目だと思います。あと,「対面でなければならない」というのもあります。教室などがそうです。教育とは先生と生徒が同じ教室で対面しなければならない,つまり遠隔教育はやってはいけない,と法律に書いてありました。では法律を変えましょう,ということになりました。これは行政の仕事ですが,そういう効果はありました。そうでなければ遠隔教育,例えば,学校に行けない子どもが家から授業に参加することが法律的に妨げられていたわけで,その法律は変えなければならないものだったと思います。
 もう一つは「誰でも使えるようにする」ということについて,地域としてどこでも使えるようにするとか,誰でも自由にディジタルで知識や情報を共有・交換できるような国を作りましょうというのがIT基本法の基本的な考え方ですが,「誰でも」というのに値段が高いと誰もが使えるようにはなりません。だから安くしようというわけです。
 携帯電話を定額料金でお願いしますと,携帯電話の会社の人に会う度にお願いしていたけれども,ようやく実現しました。やはり,学校の子どもたちには,「ジャブジャブ好きなだけ使えたら,こんなことができるんだよ」という発想をぜひ持ってもらいたいです。

 実際にはなかなかそうはいってないですね。2005年の目標だと,あと1年半くらいのうちに相当数のコンピュータがそれぞれの教室に配置されて,ブロードバンドにつながっていなければならないのですが。


人間を支える情報技術

 私は,情報化をやらなければならない理由の一つとして,高齢化社会の到来をよく取り上げます。歳をとって,視力や聴力,想像力などが衰えるということは誰でも起こることで,それをどうやって支えるか,それに向かって何をやるかというのは,まさに日本の若い人たちの大きな課題だし,この社会の情報化の大きな使命だと思います。人間をどうやって支えるかという視点をいつも考えて,情報技術を活用するのは,一つの方向性だと思います。

 日文の教科書でも,「情報化が与える恩恵」という内容が情報Cの中に入っています。

 情報というのは,自然環境と同じように,私たちを取り巻くものであって,それが人工的な,工業的なものではなくて,私たちが生きていくこれからの未来の社会を考えていく上で,私たちの生活の一部として考えていくことが大事ではないかと思います。
 人間にとっての本当の基盤的な部分を支える技術を新しい環境に取り込んでいくことが,私たち人間の生物としての進化であるというとらえ方をすべきなのではないでしょうか。

 高齢者や障害のある人でも,情報技術に関して,場合によっては普通の人より高いスキルをたくさん持っている人もいます。しかし,高齢化社会全般について考えたときに,まったくスキルがない人に対して何ができるかを考えるとすると,今の情報技術がそのままでは駄目だし,IT講習会などで引き上げようとしてもうまくいかないようです。それをどのように解決するかが非常に大事だと思います。

 そこで大事なのが創造力だと思うのです。例えば,私たちが情報技術を一端知って,利用できるとわかると,わかった人たちの中から新しい利用に気づき,取り組む人が増えてくるということの中で発展していくと思うのです。今は,コンセプトをわかろうというところの基盤がようやくできてきて,それが最初に言った「本質」だと思うのです。これからの人は,そこからどうやって利用しようかということをこれからの環境の中で考えていくのが大事なのです。そして,情報の環境とは自分が作るものなんだという考え方も持ってくれるといいと思います。
 私はやはり,どのような情報技術が自分たちの環境としてあるのかということをしっかり把握して生きて欲しい。これは全員そうあって欲しい。その中から「僕はこれをやらなければならない。もっと今の情報の環境を進化させなければいけない。」ということに気がつく人が1〜2%でもいれば,それはすごく大事なことだと思います。

黒上先生
▲黒上先生

グローバルな視点

 ところで,日本では情報通信の分野での研究が進んできていて,特に,携帯電話などのデバイスの研究も進んでいて,使われ方も発展しています。先端の研究者が世界中から日本に集まってきています。これは結構珍しいことで,自動車などでも本当のモデルを見るのはアメリカで,日本は世界一の「自動車を作る国」にはなったかもしれませんが,自動車を使うモデルの最高の例になったことはあまりありません。ところが,今は新しい情報機器では最高のモデルやマーケットが日本にあります。ここで私が気になることは,国際性なんです。中学校とか小学校とか,外国人の子どもが転校してくると,その子に対して先生はなかなかうまく教えられないのではないでしょうか。

 確かに,そういう状況は感じますね。それで,それぞれの外国語に対応できる形で先生を雇うようになっていますが,ごく対処的な療法になっていると思いますね。

 育つ人たちの力を考えると,情報科では教科書などにおいてもグローバルな視点をあえて考えておいたほうがいいのではないかと思います。
 情報は,グローバルな中で,皆で力を合わせて作っていくという環境だから,そういう視点の,例えば実習の内容や体制などが大事かなと思います。

 国際理解とつなげたような情報の実習は教科書でも取り上げていますが,実際にやろうと思うと難しい問題があります。どうしてもコミュニケーションを入れていきたいから,相手が必要になり,その辺りを調整するところが,今の段階での課題ですね。

村井先生
▲村井先生

情報技術と表現

 あと,表現ですね。教科書にも書いてありますが,プレゼンテーション,ディベートとかドラマとか,演技とか,こういうのは日本の教育の場では不得手じゃないですか。書き方,読み方というのはしっかりやっていますが,話し方,聞き方はあまりない。
 ある学校で,クラブ活動の記録を1年分提出せよという課題があって,それをCDで提出した生徒がいました。そのCDをコンピュータに入れたら,「私たちの1年」という映像が出てきたんです。よく見ると,試合の結果などは確かに撮ってあるけど,あとは自分たちでストーリーを考えて,演技して,映像を作っているのです。そのように,映像や音楽を入れながら作るというのも,今のパソコンだと簡単にできてしまいます。その中で,人を泣かせるくらいの演技をやっていて,説得力を持った話しができている。そうなると,日本人は表現が下手だとか言われるけれど,別に授業で教えなくても,本当はできるようになってきているのではないでしょうか。やはり情報の基盤というのは,そういうところでも新しい問題を解決しつつあるのではないかということを感じます。今までのカリキュラムで何かを教えなければ,というのも大事だけれども,やはり基盤が変われば,それでガラリと変わる,ということに驚きました。

 外国ではドラマの授業というものがありますが,日本では,ごく一部の学校で実践しているだけで,ほとんど行われていません。コミュニケーション能力を育てる授業は,国語などを中心に小学校で実践が始まっていて,PowerPointで作成したスライドを示しながら発表をするようなところもあります。そこで面白いのは,いきなりPowerPointを使わせるのではなくて,言いたいことを大きな短冊に書いて,それをめくりながら話をする訓練をするなどの工夫がなされているところです。
 ただ,そこでもったいないと思うのは,小学校でそういう訓練を受けて話ができるようになった子どもたちが,中学校に入ると同じようなことを期待されていないということですね。中学校では,コミュニケーション能力が思っているほど重視されていないように思います。コミュニケーション能力を伸ばして欧米人並みに話をすることは,価値としては高いように思うけれど,それを本気で社会全体が信じているかというと,そうではないようなところがあります。そうすると,そういう活動を経験して育った子どもがあとでジレンマに陥ってしまうのです。

 地上波ディジタルのプロ用の映像編集がコンピュータを用いたものになってきています。ここではほとんどの機能がプロでも素人でも同じなのです。パソコンのものは小学生にも使えてしまう。こうなってくると,相当力を持った子どもなどはかなりのことができるようになります。問題は,それを受け止めたり,指導したりするというところで,どこまで何ができるのかというところでしょうか。

 教師が上に立って,ということができなくなることに,まず教師全体が気づいて,どうやって子どもたちが自分のやりたいことを発揮できるか,環境を作れるかということに専心してもらうことが一番いいと思いますが,そのコンセンサスはまだ得られていませんね。

 昔なら,まともな映像を作るにはプロ用の機械があって,神業のような使いこなしができなければなりませんでした。今,誰もがそういうことができるようになったのは有り難いことだと思います。


情報の環境

 一番大事なことは,環境とか,私たちが生きている空間というとらえ方をして,「環境としての情報の空間」を考えていく必要があるということだと思います。今までのコンピュータという概念は捨てて,情報の集合,情報の空間というとらえ方をしなければなりません。

 情報科という授業の中で教える対象は,物ではなくなってくるという気がします。それが最初に言われた本質ということなのかもしれません。どのように社会が変わっていき,その中で自分たちがどのように動くと何が起こって,どのような影響を与えるのか,という感覚がとても大事になってくると思います。

 一番しっくりくるのが,環境という言葉だと思います。私たちを取り巻く環境について断片的に学ぶことはあっても,総合的に環境と私たちというとらえ方をするのは最近の話です。情報はむしろその中に入っています。私たちはどのように情報の環境を保ち,どのように発展させ,その中でどのように生きていけるのでしょうか。
 私たちは,ユビキタスという点で,情報の空間の中で世界で一番先駆的な環境を持っていて,その中で情報の環境を開拓していくので,情報の環境とともに生きること,情報の環境に対抗して生きること,情報の環境をきちんと作り上げるために生きること,そういうことを考えながら取り組んでいければと思います。日本の社会は,先行している先駆的な実験者のような役割を持っているので,責任も重くなります。私たちには,これをきちんと学んで,慎重に考えていくチャンスがあります。授業もそうです。議論ができ,問題をいろいろな視点から取り組んでいくことは,大事な責任なのです。

 将来いろいろなところで役に立つ創造性を育むことを目指して,情報の授業を考えていかないといけないということですね。

 解決した問題が世界に対して大きな貢献になっていくと期待できるのではないかと思います。

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