ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.23 > p32

コンピュータ教育のバグ
マーチングとコンサートの狭間で
−ゆとり教育は基礎学力を削るのか?−
 「マーチングバンドの曲で,デカくて派手な音をずうーっと出していたから,急にコンサート用の組曲っていっても間に合わないよ,トリオの部分なんか最悪。」吹奏楽団の指導者は,恒常的にこんなことを悩んでいるらしい。「イベントか何かのためにブンチャカ派手で大きな音を出すマーチの曲ばかりをやっていて楽団全体がそういう体質になっている時期に,急に静かで叙情的な曲を演奏しても雑な感じが出てしまってよくない。」語彙に多少の問題はあるかもいれないが,要はこういうことらしい。プロならそこんところも何とかして演奏をこなすのだろうが,これがなかなか難しいそうだ。


演奏は演奏

 情報教育においても似たようなジレンマがある。コンピュータを一通り使いこなせるようになったら,プロジェクト学習で総合的な力をつけようという考えと,コンピュータの操作が情報教育の基本なのだから,早く・正しく・美しく入出力ができる操作スキルの向上こそ命だという考えの対立である。学校教育全体で見てもそうだ。総合的な学習の時間をはじめとするさまざまな取り組みで生きる力を育もうという方向性と,読み書きなどの基礎・基本に立ち返って徹底的な基礎学力を重視しようという方向性で相反している。

 しかし,よくよく考えてみれば,これらの教育活動はいずれもが,学校というステージ上で先生と生徒という楽団が繰り広げている学習という演奏活動に過ぎないのである。基礎・基本だけの練習曲では退屈な演奏になってしまうし,基本的なスキルがないのに難しい曲を演奏してもボロが出てしまう。バランスが大切なのだ。そして,どちらも完璧にクリアできれば言うことはない。まぁ,完璧というのは時間的な制約もあってなかなか難しいことではある。ただ少なくとも,二つの考え方が全くの対極にあって,片方を立てれば片方が全く消滅してしまうというものではないはずだ。


よい演奏とは?

 では,どうすれば良い演奏ができるのだろうか。少なくとも基本的なスキルは必要だ,また気持ちをこめることも重要だ。つまり,基本的な知識・技能に裏打ちされた興味・関心・意欲・態度といったところになるのだろう。ここで重要なのは,指揮者(=先生)がこの意図を明確に意識し,なおかつ演奏者(=生徒)にもこれを伝える努力をすることではないだろうか。今やっている練習にはどんな意味があるのか,この曲のこの部分はどんな気持ちを伝えるために構成されているのか,などなど。そして,良い演奏ができたかどうかをきちんと評価して伝え,そしてブラッシュアップしてより高みを目指す。

 コンピュータ教育において,生徒はいきなり課題製作をしなさいといわれても訳がわからないし,かといってワープロの入力速度を高めるだけではそれをどう活かしたらいいのかピンと来ない。あるいは,いろいろ調べてまとめたことを元にとにかくプレゼンテーションをしなさいといわれて,終わったら何の振り返りもなかった。このような事態では,訳もわからずただ音を出しつづけただけで,何度やっても楽曲としては成立していない。楽団のいろいろなことに気を配らなければならない指揮者は苦労が絶えないのだ。しかし,一つの楽団の演奏をうまく創り上げることができたときの歓びもまた大きい。少なくとも良い演奏を目指すために存在しているわけだから,そのための努力を放棄してはいけない。
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