ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.26 > p32

コンピュータ教育のバグ
作者不詳の作者は誰か
—著作権のことと,そして…—
 「よみびとしらず」伝承文学や民承文学の世界では,よくあるヤツで,誰が作ったのか定かではない作品のことである。これは,古今集あたりの和歌にもよく出てくるのだが,こちらは,一概に作者が定かではないケースばかりとは言えない。古今集といえば,言わずと知れた勅撰集である。勅撰集というやつは,天皇の詔か,はたまた院宣か,いずれにしてもやんごとなき筋からのお達しで作られたものである。ということで,当時,作者はハッキリわかっていたのだが諸事情で作者を明らかにしにくかった場合も含まれるようである。


作者と一言で言うけれど
 ご存知のとおり,情報教育では,著作権をはじめとする産業財産権についても,きちんと教えていこうという流れになっている。日本では著作権は無方式主義を採用しており,著作者が申請や登録などの手続きをしていなくとも,自動的に発生する。たとえば,ちょっとした落書きや走り書きですら,著作権を主張しようと思えばできるわけだ。著作物にもいろいろある。小説や随筆や脚本などの文章,楽曲,地図,写真,コンピュータのプログラムなどなど。と,このようなことを高校の授業で取り扱って教えていたりする。

 ところで,作者と一言で言うけれど,この定義には微妙で難しい部分もある。例えば,著作権法における著作者という定義で考えてみる。授業で生徒が行う課題や練習問題のプリントの場合は,作者はそれを作った先生になる。しかし,プリントに記入された解答についてはどうだろう。記号で解答したり,決まった用語を答えたりする場合はよいとして,説明を書いたり,アイデアを記述したりした場合は,その部分については,記入した生徒のほうに著作権があるのではないかという話になる。これをコンピュータの実習にあてはめてみると,データベースや,プログラムや,グラフィクスなどを工夫して創りなさいという類の活動をさせた場合には,出来上がった作品の著作権は制作した生徒にあるということになる。学校でこのあたりのことが問題になるという例は少ないだろう。しかし,コンピュータ教育に携わるものにとって一応は押さえておくべきポイントになるのではないかと思う。


ところで本当の作者は誰か
 さて,生徒が作成した作品の著作権は生徒にあるということに加えて,ここでもう一つ考えておきたいことがある。いろいろな制作物を生徒が作ったということになっているが,それは本当かという部分についてである。

 最近,コンピュータ教育に関連するさまざまなコンペティションが実施されるようになってきた。そんな大会の発表や展示を見るにつけ,「これって先生の手が入ってるよね」と思わざるえない作品と出会うことがある。また逆に,本当に生徒が休日返上でがんばって作った作品に対して,「先生,大変だったでしょう」と,言外に指導教員がかなり手伝ったんじゃないかというニュアンスのコメントを言われる場合もある。要するに本当に生徒が自力でなしえた作品かどうかという部分は本人にしかわからないのだ。この点を突き詰めれば,完全に生徒が自力で完成できるなら学校で取り組む必要がないという極論も出てきそうである。

 ということは,こんな場合は,大会の趣旨に反しないように,参加者,中でも特に指導する先生が,マナーを守って進めていただくしかない。しかし競争の原理が働いてくると,なかなかきれい事だけですまなかったりもする。ならばいっそのこと,全ての作品を「よみびとしらず」としてしまってはどうだろうか,というとこれも極論か。
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