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ICT・EducationNo.27 > p1〜p5

論説
教科「情報」の大学入試への導入の現状と展望
東京農工大学総合情報メディアセンター 辰己丈夫
1 はじめに
 教科「情報」が実施されて既に2年を経過した。新学習指導要領実施に際し,高等学校が様々な状況に直面していることは,私のような大学教員から見ても想像に難くない。ところで,高等学校と大学をつなぐ重要なキーワードとして「入試」がある。国立大学では2006年度入試から東京農工大学と愛知教育大学が教科「情報」を入試科目に採用する。また,国立8大学による情報入試協議会(北海道大学,東北大学,東京大学,東京工業大学,名古屋大学,京都大学,大阪大学,九州大学の)も既に作業を始めている。これらの大学のいずれかで入試科目に採用される可能性が高いともいえる。本論では,「情報」の入試について,いくつかの観点を持って議論を行なってみたいと思う。
2 現状分析
(1)「情報」入試を巡る過去
 現行の一つ前の学習指導要領では,数学A,数学B,数学Cと物理Ⅰに情報系の内容が盛り込まれていた。また,専門高校の教科にも情報系の科目があった。このような状況では入試問題に情報系の内容を出題することは困難であった。しかし,それでも一部の大学・学部・学科が,一部の入試機会において情報系の入試を行なってきた。例えば,北海道情報大学の「情報関係基礎」,帝京大学理工学部の「情報」,聖心女子大学のプレゼンテーション入試などである。また,大学入試センターは,普通高校の数学Ⅱ・数学ⅡBと同じカテゴリーに「情報関係基礎」「工業数理」「簿記」の3つの試験を置いて工業高校や商業高校などの専門高校出身者への対応をしていた。特に「情報関係基礎」の問題は工業・商業系の出身者の『情報処理に関する知識・技能』を問う問題として作られていた。
 したがって,「既に『情報』入試は始まっていた」と言っても誤りではない。ただし,ここで問われていたのは(聖心女子大学を除いて),私たちがよく知っている新課程の「情報ABC」の内容とは関係ないものであった。特に「情報活用の実践力」のように,演習(操作)を伴う科目の能力を筆記試験で問うことは事実上不可能である。

(2)「情報」入試を巡る現状
 この状況の中,新教科「情報」を入試科目に採用しようという大学も現れるようになった。その中でも,東京農工大学工学部情報工学科(2005年度までは情報コミュニケーション工学科)は,2006年入学者から「情報」の入試を出題することを早々に決定し,2004年夏から試作問題の作成,公表,試行受験,採点などを行なってきた。私はこれら一連の活動である「情報入試試作問題プロジェクト」に関わらさせて頂いた。
国立大学では他に,愛知教育大学教育学部情報教育課程が2006年度に教科「情報」の入試を行なうことを発表している。また,私立大学では従来から同分野の試験を行なってきた北海道情報大学,帝京大学理工学部の他に,千歳科学技術大学,東京情報大学,専修大学経営学部が「情報」を入試科目に含めることを発表している。また,聖心女子大学のプレゼンテーション入試もまた,情報活用の実践力を測定しているので,「情報」の入試であるといってよい。なお,大学入試センターは,「情報」を取り入れることを積極的に検討したが,「当分の間導入しない」という決定がされた。これは,「実施時間帯(日程)の確保が難しい」「情報は実技科目であるという認識が強い」などが大きな理由であるといわれている。
3.教科「情報」の学習内容と試験
 教科「情報」を従来の教科・科目と比較して,学習内容の類似点を探ることも必要である。

(1)「情報」は実技科目か,実技科目は入試にできないのか。
 センター試験に情報を取り入れないという決定が行なわれたときに,研究者の間には,「『情報』は『体育』や『芸術』と同じ実技系の科目であるから,マークシートを利用する入試には向かないという理由が付けられたのではないか」という意見があった。確かに,マウスやキーボード,アプリケーションソフトの利用などの身体性が必要となる局面においては,実技的な能力が必要であることに異論はない。しかし,英語のリスニングも実技性を伴っているにも関わらず,センター試験で導入が決定された。また,実技には適切な知識と判断が必要である。例えば,スポーツ競技もルールを知らずして参加することはできない。これらの知識や判断の適切性を問うことで,仮に実技科目であるとしても入試に取り入れることは可能である。

(2)「情報」は知識科目か,知識科目を入試にしていけないのか。
 「情報」の内容には,例えば,キーボードの文字配列のように,人工的で些細な知識が多い。また,コンピュータソフトウェアを作るプログラミングにも一定の知識が必要である。しかしこれは,数学において総和記号(シグマ)の意味を知らなければ,この分野の学習を全く進められないのと同じである。さらに,「情報」の単元の一つである「著作権」や「個人情報保護」に関しては,法的に正確な知識に基づく判断が必要とされる。
 知識ばかりを問う試験への批判は強い。しかし,「シグマ記号の意味を知っている人が,それを正確に使える技能を持ってはじめて試験問題を解くことができる」のである。

(3)「情報」は数学や理科の代わりになるか
 「『情報』は『数学』や『理科』にとって代わるか」という問題も検討しておきたい。
 筆者は数学科を卒業し,中学・高校の数学の教員免許も取得している。大学で数学の講義(線形代数や解析)を担当することもある。筆者の私見では,数学で重要なのは「本質的な内容理解」「形式の違いがもたらす新しい発見」などの論理的な思考能力と,「数・量・図形」などに対する抽象的な表現に関わる問題である。また,理科の場合は,数値・数式などを利用した自然現象の記述と仕組みへの理解が重要である。数学における証明は公理と定義から得られるが,理科における『証明』は実験などから得られることが根本的に異なる。
 したがって,数学や理科の学習目標と情報のそれとは大きく異なるといえる。「情報」では,内容理解の本質性を問うことよりも,道具の性質を問うことの方が重要である。また,演算や自然現象(理科実験)において証明するのではなく,表現の適切性を多くの人間が評価する。
 確かに,「情報の科学的な理解」の内容には数学や理科に含まれてもよい内容が多いことは否定しないが,それでも,情報が数学や理科の代わりになるとはいえない。

(4)試験とは何を問うのか
 初等中等教育では,「関心」「意欲」「態度」という評価観点が使われることが多い。また,「体験(経験)」も重要である。一方,大学生では「知識」「技能」の観点も重要である。こういった評価を行なうときに,どんな手法を利用できるだろうか。すべての授業への出席が義務づけられていない大学で出席点を評価に考慮することは,「関心」「意欲」「態度」を評価することとあまり変わらない。それゆえに,出席点を成績評価に加えることに反対する大学教員も少なくない。
 さて,いわゆる筆記試験でどのような能力を問うことができるのかについて改めて考えてみたい。まず,知識の正確さを問うことができる。試験問題の難易度と実施時間の調整をすることによって,知識の量を問うこともできる。また,計算を伴うような試験問題であれば,正確な計算(技能)ができるかどうかを測定することができる。試験時間を短く設定し,さらに選択問題方式を採用することで,「問題を読むことで難易度を類推する能力」を問うこともできる。一方,一度限りの試験では「関心」「意欲」「態度」を計ることは難しい。AO入試などと筆記試験の併用が必要であろう。
4.大学を巡る状況
(1)倍率が1倍未満となってしまった大学入試の意味と大学を巡る状況
 現在は,大学進学希望者よりも大学の入試定員の方が多い。大学が受験生を選ぶのではなく,大学が受験生に選ばれる時代である。
 今後の大学に求められるのは,サービス業としての質である。すなわち,「知的能力が高くない人を入学させて,学内で授業を行なうことで本人の知的能力を改善させて,卒業させる」,あるいは,「素質がある人を入学させて,学内で授業を行なうことで本人の素質を更に発達させて,卒業させる」という考え方で大学教育を行なうことである。大学をスポーツジムに例えれば,入試とは入会前のをスポーツジムに例えれば,入試とは入会前の健康診断であり,入試合格とは安全に訓練ができることの保証である。言い替えると,その大学の教育についていけないと予想できる場合には,入試で不合格とすべきであり,大学は真剣にそのような受験生を捜し出す必要があるともいえる。
 大学説明会に万博への無料入場券をつける,学食での試食会を開くといった大学説明会で集まった受験生に入試を行ない,入学できた学生に4年間で十分な教育を行ない,大学の価値を維持できる卒業生を送り出せるのだろうか? もし,4年間の大学教育に耐えられない受験生を合格させてしまい,本人が真面目に授業に出たのに4年間で卒業できないということになってしまうと,「なぜ私を合格させたのか。授業料を返還せよ」という裁判を起こされることも覚悟しなければならない。

  入試が易しい 入試が難しい
卒業が難しい 裁判を覚悟 エリート養成
卒業が易しい 大学ではない 評価が下がる
▲大学がかかえるジレンマ

 もし,この種の裁判を避けようとするならば,入試の合格基準を上げる,教育の質を上げる,卒業判定レベルを下げる,「入学後の学習効果には個人差があります。」とパンフレットなどに記載するなどの対応が必要となるだろう。

(2)社会へのメッセージ
 大学は,高校から受験生を大学生として受け入れ,必要な学習と研究の機会を提供し,学生を社会に送り出していく機能を持っている。現実の社会では,さまざまな情報システムやネットワークシステムなどが動作している。これらのシステムを十分に利用する能力は,就業以前の学校教育や,社会教育,家庭教育で育成されるといえる。特に専門性が高い内容に関しては学校教育が担当すべきである。専門性が高いといっても,その人自身が専門的なプログラムを作成する必要があるということではない。例えば,小さな企業でも現在は会計にパソコンを利用する。そのパソコンがコンピュータウイルスに侵されないようにするにはどうすればいいのか,あるいは個人情報の漏洩を防ぐためにはどのような暗号化を行なえばいいのかについて学校教育で「体験を伴う知識」があれば,専門業者にシステム管理を委託する場合も適切な判断と指示ができるようになる。逆にいえば,このような能力を持つ学生を社会に送り出す以上,社会はその能力を活用する方向に進んで欲しいということである。これは,大学から社会へのメッセージでもあるといえる。
5.なぜ「情報」入試が必要か
 本節では,教科「情報」を入試にする必要性などについて議論する。

(1)専門家を選別するための「情報」入試
 例えば,高等学校ではフランス語やドイツ語の授業は余り行なわれていない。そのため,大学のフランス語学科やスペイン語学科などは,英語の入試成績を判断材料として語学に関する能力を推定することになる。同じ例は,英語以外の語学のみならず,政治経済学部,商学部(経営学部),法学部などにも見られる。これらの文科系学部の卒業生は「つぶしが効く」という理由で出身学部とは無縁の企業に就職することも少なくない。また,医学部,歯学部,建築,土木,機械などの学科の場合も高等学校に対応する教科・科目が存在しないが,卒業後の進路は専門家となることが多い。
 一方,音楽の入試を行なわない音楽学部(大学,学部や学科も含む。以下同じ)も,美術の入試を行なわない美術学部も,体育の入試を行なわない体育学部も存在しない。英語の入試を行なわない英語学科や英文学科も,数学の入試を行なわない数学科も存在しない。これらの大学は対応する教科・科目が高等学校の指導要領に含まれているからこそ,入試で問う意味があるともいえる。入試である程度以上の評価を得た学生を「素質がある学生」と見なし,さらなる専門教育を行なうことで専門家育成につなげることができる。
 さて,「情報」はどちらであろうか。確かに,大学の情報系の学部・学科を卒業しても,その能力を生かす職場に就職できない/しない現状を考えると,それほどの専門家を社会は大学に要求していない以上,情報系の学部学科であっても,「情報」の入試を行なう必要はないともいえる。
 しかし,既に述べたように,情報に関する専門性を生かす企業が真に優秀な能力を持つ学生を大学に求めるならば,専門家を養成する大学・学部・学科は「情報」を入試科目として,「素質がある学生」を入試で捜し出すことが必要となる。
 中国や韓国の情報技術産業の進歩は,情報技術に関する基礎教育が行き渡っていることと,素質のある学生を見出して専門学科でトレーニングを行ない,情報技術を利用する企業で能力を発揮しているところに理由がある。現在の日本社会は,単に価格が安いから,あるいは,納期が早いからという理由だけでシステム設計なども含めて中国や韓国に発注してしまうことが増えている。その結果,情報技術者の新規採用を行なわれなくなり,更に空洞化が進んでいるともいえる。
 現在の高校生から見れば,「ITで成功した人」とは「IT企業の社長として,さまざまな企業買収を行なう人」であろう。決して,Linuxを開発したLinus Torvaldsでもなければ,HyperText(いうまでもなくhtmlやhttpの冒頭のhtの部分である)を開発したTed Nelsonでもないだろう。しかし,このままでは,私たちは日本で暮らして現在の生活水準を維持できるのだろうか。
 大学の情報専門系学部・学科が「情報」を入試科目とし,質の高い学生を社会に送り出すことは,今後の私たちの生活水準を維持するために必要なことであるともいえるのである。

(2)すべての大学生のための入試科目としての「情報」〜国際的な比較
 一方,ユネスコなどがまとめている大学教育への勧告には,「すべての大学生は,簡単なプログラム作成を含めて情報技術について学ぶ必要がある」とある。情報の専門系の学部や学科の学生でない卒業生は,就業後に情報システムの開発に直接的に関わらない場合が多いが,その場合でも,自ら情報システムの発注に関わる可能性が高い。そのとき,「プログラミング」や「システム設計」の経験があるかないかは,適切な判断ができるかどうかに大きな影響を与える。言い替えると,基本的な理論の理解がない状態では,効率の良いシステム発注すらできないといえる。民法を知らずして契約行為ができないのと同じである。
 また,世界中の多くの国は,日本やアメリカと異なり大学進学率が低い。したがって,大学に通う学生は「エリート」とみなされている場合が多く,故に,例え情報の専門家でなくとも万能の判断を適切に行なうことが求められているともいえる。
 東京農工大学の試作問題のように,プログラミングやアルゴリズムに特化した入試問題ではなく,より一般的な意味での情報活用能力を測る大学入試問題が行なわれれば,「知的社会人として素質のある学生」をより的確に見い出し,その素質を更に発達させることが可能となるだろう。
6.「情報」入試の近未来
 本論の最後に,「情報」入試に関する今後の動向について述べる。

(1)IT戦略会議からの報告
 内閣に属するIT戦略会議(本部長は総理大臣)が2005年度に出した報告に,IT化を加速するために行なうべき課題の一つとして「大学入試でIT関係科目を利用すること」が挙げられている。そのため,文部科学省は「教科『情報』を入試に取り入れている」とIT戦略会議に報告する必要が生じた。東京農工大学と愛知教育大学の取り組みは,この報告書が明らかになるよりはるかに前に計画されたものであるが,結果として,文部科学省から非常に重要な取り組みの一つとして評価されることになったといえる。

(2)国立8大学による検討
 冒頭で述べたように,既に国立8大学による「情報入試」の検討ワーキンググループが活動をしている。受験生の能力評価について,学生定員が多いこれらの大学が検討を始めたことの意義は大きい。すべての大学で出題されるとは思えないが,IT戦略会議における報告を見る限り, 「どの大学も採用しない」ということはないだろう。
7.まとめ
 本論では,教科「情報」の入試を取り巻く様々な話題について述べてきた。「情報」という教科の特性と入試については研究があまり行なわれておらず,現在,世間に公表されている多くの論文や解説記事などは,ほとんどが東京農工大学の「情報」試行試験に関するものである。また,現在の大学がおかれている状況について,大学を教育サービス産業としてとらえて議論している文書もほとんど存在しない。
 本論は,そのような極めて特殊な内容であるがゆえに,やや過激な主張をしているように映ったかも知れない。しかし,5年,あるいは10年の後,本論で述べられたことが常識となり,その時に,本論の読者が本論の存在を思い出してくれれば望外の幸せである。
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